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暗闇の光──リチャードの最期【八〇〇文字の短編小説 #3】

ちくしょう、なんて残酷な人生なんだ──そう思いながら、リチャードは煙草に火をつけた。ロンドンの外れにあるペンジ・イーストの街は夜に沈んでいた。暗闇のなか、アレクサンドラ・レクリエーション・グラウンドの端の公園にある滑り台の上で、乾いた口にくわえたハムレットの先が蛍の光のように点滅する。

五年前、リリーとの間に生まれた娘のベスは、一カ月もたたずに天に召された。医師が伝えてきた「乳幼児突然死症候群」という言葉が悪魔がささやく呪文のように聞こえた。なんとか耐えていたリリーはしかし、その一年後、自ら命を絶った。そして去年の冬、弟のリックが大麻のやり過ぎによる錯乱で交通事故に遭い、帰らぬ人となった。絶望に包まれたままの自分は一カ月前、印刷工の職で肩たたきを受けた。文字どおり、何もかも失った。もう何もかも終わりだと思い、煙草の煙を吐いた。

公園の前のレナード・ロードを少し歩けば、ホリー・トリニティ教会がある。俺はもっと神に救いを求めるべきだったのだろうか。リチャードはそう思いをめぐらせたが、自分が信心深い人間ではないことがわかっていた。でも、死んだらリリーにもベスにもリックにも会いたかった。いや、正しく言えば、リリーとベスとリックに会うために、自分は死ぬべきだと考えていた。神様も最期くらいは、信仰心の薄い自分の望みをかなえてくれるだろうか。

ひざの上には昼過ぎに雑貨屋で手に入れたロープが、蛇のようにとぐろを巻いている。リリーと初めて出会ったときのことを懐かしんでは煙草に火をつけ、ベスの小さな手の暖かさを思い出してはライターをかちゃかちゃと鳴らした。絶望のような闇夜に目を凝らし、めぼしい木にあたりをつけた。

この煙草を吸い終わったらやり遂げよう──滑り台の足元には死んだ昆虫のように見える吸い殻がどんどんたまっていた。リチャードが思い出したように吐く煙は闇にとけていく。

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