『モノノ怪』-鵺-を香道視点で解説考察する
『モノノ怪』シリーズの概要と本記事を書いた背景
『モノノ怪』とは?日本の怪談アートアニメの金字塔
『モノノ怪(もののけ)』とは、2007年に日本で公開された怪談アートアニメーションの金字塔的作品です。日本のクラシックな怪談や妖怪にまつわるホラー・ミステリー物語としての秀逸さに、クリムトや伊藤若冲、長沢蘆雪といった国内外の名画を取り入れた美術的演出の面白さを加えた、新しい形の歌舞伎や浮世絵ともいうべき独特の世界観も本作の特色です。
連続TVアニメーションとしての公開から長い年月を経た今もなお、その人気は止む事を知らず、2024年7月26日(金)からは新作映画『劇場版モノノ怪 唐傘』が公開されます。
『モノノ怪』シリーズの概要と構成
モノノ怪の主人公の薬売りとは、モノノ怪と呼ばれる妖怪や魔物のような存在を切る事ができる特殊な剣「対魔(たいま)の剣」を携え、薬の行商をしながら様々な時代や場所をめぐる謎の男です。
薬売りが対魔の剣を抜く為には、対峙するモノノ怪の「形(かたち)」「真(まこと)」「理(ことわり)」の3つを解き明かす必要があります。
モノノ怪は日本の怪談をモチーフにしている為、多くの場合はホラーのジャンルに分類されながらも、この形・真・理の3つが以下に相当することから、推理モノ・ミステリー要素も濃い物語となっています。
「形(かたち)」=犯人(モノノ怪)の正体
「真(まこと)」=事件の真相
「理(ことわり)」=事件の動機や背景
それぞれ独立した1つのエピソードが2〜3話分で解決するため、作品の設定に関する前提知識がないまま1つのエピソードを見ても楽しむことができる構成になっています。
記事を書いた背景:香道視点で気づく面白さをシェアしたい
そんなモノノ怪のエピソードの1つである「鵺(ぬえ)」では、日本の伝統文化である香道を題材に取り入れたストーリーが展開されます。ご覧になった方々の感想や考察も既に多くありましたが、本作と香道との関係について、香道の専門的知見を元に深掘りして書かれたものは見当たりませんでした。
予備知識なしで見ても充分に面白い作品ですが、香道の知見を元に見るとより一層面白い点もある作品だけに、この点を是非、香道を知らないモノノ怪ファンの方にも知って欲しいと思い、筆を取ることにしました。
『モノノ怪』-鵺-の香道的考察の二軸
『モノノ怪』の鵺(TV放映時の前編第8話・後編第9話)という作品を香道の視点で見た時の魅力は、大きく二つの軸に分けられます。
A:既存の香道の歴史や文化を巧みに活用したストーリー
B:香道の魅力を的確に捉え、高い表現力でそれを視聴者に伝える
A:既存の香道の歴史や文化を巧みに活用したストーリー
まずは、『モノノ怪』の「鵺」のエピソードを作る上で影響を齎したと考えられる、香道や日本の歴史に関する逸話の一例を挙げてみましょう。
①足利義政や織田信長が蘭奢待を切り取った逸話
②優れた香木をめぐって刃傷沙汰の争いが起きたという逸話
③実在する「源三位頼政が鵺退治の褒美に下賜された」とされる謎の蘭奢待
上から順に解説していきます。
①足利義政や織田信長が蘭奢待を切り取った逸話
①の織田信長による蘭奢待の切り取り事件は、香道史上で最もよく知られたエピソードと言っても過言ではないでしょう。現代でもNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも織田信長の蘭奢待截香(せっこう:香木を切る事)事件が描かれるなど、多くの歴史系フィクション作品でも取り上げられています。
あまり知られていない事ですが、蘭奢待という香木は、織田信長の截香以前は、これほどの知名度や影響力があったわけではありません。
センセーショナルな信長の截香事件がきっかけとなり、蘭奢待は一気に知名度を増しました。もし信長の截香事件が起きなければ、蘭奢待がこれほど広く知られるようになる事は無かったかもしれません。
特にその後の江戸時代には、香道を嗜んでいなかった多くの人々にも、教養・雑学的な「知識としての」香道や香木が広く知れ渡り、愛好されるようになります。
当時の教科書のようなものであった往来物(おうらいもの)には、香道の名香(蘭奢待を含む歴史的な由緒がある香木)の名前や、組香の種類、香道具など、香道に関する様々な知識情報がいくつも掲載されています。
例えば「名香六十一種名寄文字鎖」という、六十一種名香を歌のように並べたものは、「それ名香の数々に、匂ひ上なき蘭奢待、いかに劣らん法隆寺…」という一節から始まります。
歌舞伎の『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』や、落語の『伽羅の下駄(きゃらのげた)』など、江戸時代の大衆文化であった古典芸能の作品にも、香道を題材に取り入れた演目が複数存在しています。
このように往来物や大衆芸能で度々取り上げられていた事は、実際に香道を嗜むか否かにかかわらず、当時の幅広い層の人々が香道や香道に関する歴史や文化に強く関心を持っていた事の現れといえるでしょう。
蘭奢待の香りが他の香木と比較してどうであるか、本当に手に入れた者が天下人になれるかといった実態はさておき…
概ね江戸時代頃に拡散した(実践を伴わない一般教養的な知識としても含めて)香道や香木に対する関心は、大部分の人が(美術館博物館や収蔵品アーカイブ等も無い時代ゆえに)写真も実際も見た事が無いまま、蘭奢待に対する「天下人の香木」や「最高の香り」といった噂や憧れのイメージが増幅されていきました。
そして、香道の知名度そのものは大きく衰えた現代まで、蘭奢待に関するまことしやかな噂話は引き継がれていきます。
『モノノ怪』の作中では、「蘭奢待(らんじゃたい)」ではなく「欄奈待(らんなたい)」と、実在する蘭奢待とはやや異なる名称を使用しています。
しかし、以下に羅列する通り、作中で幾つもの共通点が語られている事からも、モノノ怪の欄奈待は蘭奢待を念頭に置いて作られた創作名称である事は、まず間違いないでしょう。
②優れた香木をめぐって刃傷沙汰の争いが起きたという逸話
②の香木を巡る刃傷沙汰といえば、江戸時代後期の随筆集『翁草』に書かれた『細川家の香木』や、これを元に明治時代に書かれた森鴎外の歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』等があります。
これは①の蘭奢待にまつわる噂と比べると一般的な知名度はやや低いかもしれませんが、江戸時代の文化や日本の明治時代の文学作品に詳しい方であれば、「香木と刃傷事件」というキーワードから、これらを浮い浮かべる方も少なくないと思います。
鴎外の小説は青空文庫でも読む事が出来ますので、ご興味のある方は後日そちらでご覧ください。
『翁草』に記載されている『細川家の香木』とは、次のようなお話です。
この伽羅の本木と末木の香木をめぐるお話には、もう少し続きがあります。
香道の世界では、この初音、白菊、柴船(柴舟とも)の3つを総称して「一木三銘(いちぼくさんめい)」、或いはこれら3つの香木に、蘭(ふじばかま)を加えた「一木四銘(いちぼくしめい)」と呼ばれる名香/銘香に関する伝承があります。
細川家伝来の品々を所蔵する永青文庫では、白菊と名付けられた香木も存在し、現代でも稀に企画展等で展示される事があります。
ただし、香道の世界で流通している、各地の美術館博物館のコレクションとなっている、来歴の確かな一木三銘の白菊が、全て本当に伝承上の白菊と同じ香木かどうかについては、大きな疑問が残されています。これがどういう事なのかは、次に解説する③の鵺の蘭奢待を知れば見えてきます。
③「源三位頼政が鵺退治の褒美に下賜された」とされる謎の蘭奢待
香道の視点から『モノノ怪』という作品を見た時に、最も革新的であり、本作を他の香道を取り入れた作品の中でも屈指の名作に至らしめているポイントは、
何といっても鵺の蘭奢待を意図したと考えられる題名と本作のストーリーです。
白菊を含む一木三銘/四銘等の他の歴史的な名香/銘香についてもそうですが、
香道の世界では、江戸時代以降、正倉院の蘭奢待とは見るからに別物の香木なのに、なぜか蘭奢待として由緒正しい経歴で流通している謎の香木が存在します。
この怪しげな蘭奢待と書かれた香木には、源三位頼政(源頼政)が鵺退治の褒美に下賜された蘭奢待が、東福門院和子など様々な歴史上の有名人の間を巡り巡って蜂谷家(江戸時代以降に志野家の後を継ぎ志野流香道の家元となった家)に来たものである、という不可思議な由緒書きが付属する場合がある事に因んで「鵺の蘭奢待」、或いは、鵺を退治したという頼政に因んで「源三位の蘭奢待」とも呼ばれています。
※中にはこの由緒書きこそ付属していないものの、出所や特徴が近似している点から、由緒書き付きの鵺の蘭奢待と同木と思われる蘭奢待と書かれた香木も多くあります。
まず、鵺の蘭奢待とは、正倉院の蘭奢待は別物の香木です。由緒書きを見た時点で、鵺退治という非科学的な要素から真贋に疑問を感じる方も多いでしょうが、由緒書きを見ずとも、また、香道を嗜んでいない方でも、香木の外見的特徴を見て、正倉院と同一の香木と見做す事が困難であると気づく方もおられます。
この鵺の蘭奢待とは、江戸時代の志野流香道のトップが作った、由緒正しい香道の歴史的名香/銘香の贋作の一つです。当時、この鵺の蘭奢待を含む様々な歴史的名香/銘香の贋作を、名家に献上したり、門弟達の伝授時に与えたりしていた為、現代でも当時の贋作が全国各地に伝来しています。
徳川美術館は初音の調度をはじめ香道具の名品も多く所蔵する素晴らしい美術館ですが、江戸時代に尾張徳川家にこの贋作の鵺の蘭奢待が献上された事から、尾張徳川家伝来のコレクションを管理する名古屋の徳川美術館の所蔵品にも、この鵺の蘭奢待は含まれています。
なお、徳川美術館には極めて多くの香木が伝来しており、しかも蘭奢待あるいは東大寺と書かれた高木だけでも、複数のそれぞれ異なる特徴を備えた香木が存在しています。
昔の人は現代のように様々な情報収集の手段を持っておらず、画像ですら容易に蘭奢待を見ることが叶わず、真贋の確認は今以上に困難であった事から、気づかずに持っていても不思議はありません。
また、贋作であってもただの香木として見れば品質の良いものが使われた例もあることから、仮に献上品が正倉院の蘭奢待と別物だと気づいた上で所有し続けていたとしてもそれは当然の対応といえます。仮に、質の悪い香木の贋作であっても、歴史的な事実を記録する資料としては重要です。
どのような理由で受け継がれたかにかかわらず、贋作でも貴重な歴史史料である事は間違いなく、徳川美術館等が贋作の鵺の蘭奢待を破棄せずに維持してきたことは適切かつ正しい対応です。
鵺の蘭奢待をはじめとする歴史的名香/銘香の贋作は、本物ではなくても、史料的価値が非常に高く、後世に伝え遺すべき貴重な逸品である事は言うまでもありません。
一方で、美術館・博物館は公共性と教育研究機関に相応しい責任ある情報提供が求められる事や、専門知識のない一般観覧者に対して、鵺の蘭奢待と正倉院の蘭奢待が同一であると誤解を与えないように説明する義務注意があります。
しかし、そこに非専門家でもわかるように適切な展示や解説が添えられているケースは、残念ながら非常に稀な事です。
美術館・博物館等で鵺の蘭奢待をはじめとする歴史的な名香/銘香の展示にあたっては、伝・蘭奢待など、少なくとも頭に伝をつけて、蘭奢待だという伝承や願望はあるが事実ではないことを明示してキャプションの解説で説明する等、非専門家である一般観覧者にも分かる解説等の対策を行い、正倉院と同一ではない事を説明するといった工夫は必須と考えられます。
真作だけが貴重な史料とは限りません。
例えば、平安王朝文学の代表作の一つ『源氏物語』を書いた作者・紫式部をモデルとするNHK大河ドラマ『光る君へ』にも登場した藤原行成による作品について。
その達筆ぶりを三蹟(三跡)と称えられた藤原行成が書いたという伝承や添え書きがある作品は多数存在していますが、後世に厳正な調査が行われた結果、実際には行成ではなく別の人物が書いたとみられる作品は数多く存在しています。
そうした伝・藤原行成の作品であっても、優れた書の学びの手本として、あるいは、歴史的・文化的な価値がある物として、貴重なものは沢山あります。本当に行成が書いた作品ではない、伝称筆者を藤原行成とする伝・行成の作品として、重要文化財に指定される事もあります。
書画の世界では既に、歴史的な誠実性や、贋作或いは第三者の改竄や願望により付加された情報と、作品としての芸術的評価との分別を適正に保ちながら、文化財や史料として保存していく進展も見られます。
これを見習い、香道の世界でも、偽史ではなく本来守るべき本質的な価値を根拠として、作品や史料を大切にする事に力を入れるべきでしょう。
しかし、どのような時代にも心ある人は居るもので、
当時の志野流香道の内情をよく知る江戸後期の志野流香道の高弟・江田世恭(えだながやす)は、この鵺の蘭奢待をはじめとする志野流香道の名香/銘香が贋作である問題を告発し、後世のお香を愛好する人達の為に記録しています。
書画の鑑定家でもあり、お香と風雅を心から愛し、その誇りと良心に従った江田世恭の功績は、志野流香道の歴史上で最も優れた香人として評価されるべきものですが、江田の功績を語る上では避けて通れない贋作名香への注目を避けようとする為か、少なからぬ香道関係者の間では無かった事にされているのが現状です。
生前から現在に至るまでの江田世恭に対する低すぎた評価もまた、見直す必要があります。
ここまで来るともうお分かりでしょうが、
モノノ怪の鵺のストーリーは、こうした香道の世界で実在する贋作名香の一つである鵺の蘭奢待を念頭に置いて描かれた可能性がある、という事です。
香道を題材にしたエピソードに「鵺」というタイトルをつけて、
というモノノ怪のストーリーは、
“一見するとフィクションの形をとりながらも、実は江戸時代の志野流香道で実際に起きた「鵺の蘭奢待」等の贋作名香の問題を解き明かす。
同時に、実は今でもその偽物の名香の噂に惑わされて集まった多くの人達が、笛小路流を守る瑠璃姫の屋敷に囚われた亡者(門弟)となって、終わりのない香を続けさせ、
モノノ怪の養分の如く弄ばれ続けている愚かさを強烈に皮肉る、極めて優れた知的批評性を伴う作品である”
…と考察することができるのです。
モノノ怪-鵺-は、こうした香道の事情をよく知る人が見ると、自分達の関わる世界の愚かしさをフィクション化して描いたような、本当にゾッとする暗喩に満ちたストーリーと読み取ることができます。そして、作り手がどこまでこの件を調べて書いた物語なのか、大変に興味をそそられます。
鵺の蘭奢待については、以前は香人やその近しい友人関係の中でひそひそ声で語られる黒歴史でした。今でこそ、香道研究の第一人者である翠川文子先生の論著をはじめ、どうにか良心を捨てていない香人達が地道に問題を伝え続けてきた結果、昔と比べれば少しずつ香道を嗜んでいない方々の中にも知る人は増えつつあります。
しかし、2024年の現在でも、贋作問題や流派の偽史について知るべき事を知らされない気の毒な香人達も、素人を騙すつもりで高い立場を利用して、いまだに贋作や偽史を堂々と美術館で展示したり、公共のTV番組で正倉院の蘭奢待と混同する不誠実な説明をしたりする困った方々も、残念ながら居られます。
余計な事を言うと伝授を受けられなくなったり、破門にされたりする事を恐れて、有識者でも詳しい事は言えたり言えなかったりする問題も、依然として続いています。
モノノ怪-鵺-のTV放映は2007年です。もしこの2007年時点で鵺の蘭奢待などの香道の贋作問題を全て調べ上げて書いたのであれば、高い調査力とストーリー構成力の素晴らしさに脱帽しますし、
もし、贋作問題の詳細や、江田世恭の告発文の事までは知らずとも、鵺退治の由緒書きなどを元に、贋作だという確証を持たずともこの怪しげな蘭奢待と書かれた香木にまつわる断片的な情報から物語を組み立てている内に、図らずも香道界の困った問題を抉り出すストーリーになってしまったのなら、洞察力や直感力の鋭さが卓越しています。
全て調べ尽くした結果か、一を聞いて十を知った結果かは、第三者にははっきりとはわからない(現在、公式ガイドブックや設定資料集等は未発売)状態なので、どちらなのかご存知の関係者の方がおられましたら、是非教えていただきたいです。
B:香の魅力の本質を捉え、高い表現力で伝える
視聴覚メディアの制約をどうするか?という課題
香道において欠かせない嗅覚情報は、TVアニメーションや映画・ドラマ等の視覚情報と聴覚情報に偏った映像作品の中で、そのまま伝達することは出来ません。
昨今はIMAXなどの五感で体験する映像作品も登場してはいますが、IMAXは対応する全国各地の映画館で使用可能な範囲の香りに限定されるもので、表現できる香りの種類や品質は限定的です。
伽羅や真那賀、真南蛮といった香道の香木の違いを完全に表現する事は、技術的・コスト的にもまず実現は難しいでしょう。このような既存のメディアを通じて伝達可能な情報の制約は、香道という文化の普及において一つの大きな障壁となっています。
(他流の方々だけでなく、私の先生や、先生の先生等が出た番組も当然含めて)既存の香道に関する実写映像にはこれというほど良いものが無かったので、自分自身で明治以前の環境を踏まえ、暗闇の中で蝋燭の灯りで香道具を鑑賞するオンラインイベント(文化庁助成事業)を開催した事もありました。
この開催にあたって、世にある香道を題材に取り入れた映像の中では唯一と言っていい「優れた表現力をもって香道を描いた作品であるモノノ怪」の存在が念頭にあり、モノノ怪には出来ないが香道の専門家には出来る、視聴覚メディアを通じた映像表現とはどのような者か?実写ならではの表現とは何か?を自分なりに考え、突き詰めた結果の開催でもありました。
モノノ怪は、そのような視聴覚情報しか伝達出来ない制約の中で、実写には難しいアニメーションならではの表現を生かして、香道の香りの魅力を視覚的に表現する巧みさでも傑出しています。
映画の技法を活かしつつ、物語に巧みに引用する
モノノ怪では、登場人物達が聞香を始めると、モノクロのような暗い色調の世界から一転して、色彩豊かな空間に変貌し、周囲に花が咲いたり、襖絵の動物達が動き出したりすることで、香木の香りの豊饒さを表現する演出が使われています。
映画史的な話を含めれば、黒澤明の映画『天国と地獄』で、既にカラーフィルムが使える時代に敢えてモノクロのフィルムを使用した上で、煙突から出る煙にだけ赤い色を着色し、観客の印象を強化する演出方法が使われた事を契機に「モノクロの絵から一部にカラーを使う」という演出が定着していきます。
後にスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』など多数の作品でもこのような表現の手法をオマージュとして用いられ、映画における表現方法として既に定着した手法といえます。
アニメーション作品に関わる作り手も、映像表現の研鑽を積む上で映画の演出や文脈を研究する方は多く、モノノ怪-鵺-の映像表現においても、このような映画史における既存の演出表現は念頭に置いたもの、と考えられます。
そうした映画史上に残る作品へのオマージュ技法として、カラーの部分に観客を注目させて印象に残す事に加えて、
香りという目には見えない=視覚情報として伝達できない情報を、モノクロからカラーの世界に切り替えることで、「何もない空間に様々な素晴らしい香りが広がる様子を視覚的に表現する」事にも成功しているのです。
同時に、香木の香りは実際にあのようなイメージを聞いた人にもたらす点では、感覚的事実の再現描写の一種と見ることもできます。
(※少し補足すると、香道関係者の間でも、香りが齎すイメージを重視する人や、香りそのものの特徴を捉えたり分析したりすることを重視する人、由緒や歴史上の有名人物の所持品であることを重視する人など、お香について重きを置く点は異なります。その為、ここでは「再現と捉える人もいるし、そうでない人もいる」と説明しています)
香道の世界では、(流派により異なりますが)一定の条件を満たした香人は、香木に香銘(こうめい:香木につける名前のこと)をつけることが認められており、香りの持つ特徴や連想するイメージを元に香銘がつけられる事もあります。
ただし、モノノ怪のような聞香イメージを、実写で安易に実写で真似しようとすると、大事故になるリスクも高いです。
現在の技術では、実写の映像では(たとえ被写体となっている聞香中の人の心の中で様々なイメージが浮かんでいても)その人の頭の中にあるイメージを、カメラでそのまま撮影して第三者に見せる事はできません。
また、聞香をする人物の実写映像に、中途半端に合成イメージやプロジェクションマッピングなどを重ね合わせて真似しようとすると、恐らく非常にチープな印象を与える表現になりかねません。どこかの都庁で披露された致命的にダサいプロジェクションマッピングの再来のような、笑おうにも笑えない、残念な実写映像になってしまうリスクも高いと考えられます。
浅い考えで、鶴や桜や月などの和風の絵や写真や和歌の文字等を適当にプロジェクションしても、ちぐはぐで陳腐な印象を与えてしまうだけです。
アニメーションという実写と比較して視覚表現上の自由度が高い形式であり、モノノ怪シリーズ自体も怪談という非日常性の高いテーマや描写が豊富にあり、それらの要素を活かしつつ、極めて洗練された視覚表現力をもって制作された作品だったからこそ、上手くいったものと言えるでしょう。
枝葉末節ではなく「根」や「幹」で香道を捉える点でも優れている
題材となるものがある作品の評価について、忠実度や再現性といった細かなディティール=枝葉の部分にばかり注目が集まりがちですが、本来、何かの分野のフィクション作品を作る上で重要なのは、枝葉ではなく根や幹の部分です。
そもそもフィクションである以上、完全な再現である義務はありませんし、ドラマでも漫画でもアニメでも、医師免許を持血、ブラックジャックのような名作と言える漫画を描いた、手塚治虫のような二物も三物も持っている人も稀でしょう。
必ずしも現実に忠実でなくても良いのですが、題材の本質を守ると非常に良い作品になる確率が高い傾向があるのは、枝葉末節の忠実性というよりも、題材や原作の作品から、根や幹の部分をしっかり読み取っているから、と考えるのが自然です。
はっきり言って再現性でいえばその道の専門家が一番よくできると考えるのが自然です。ただし、その道の専門家が書いたからといって、物語や演出等の作品の出来に関する要素が面白くなるわけでもありません。
題材に取り入れるなら最低限の知識や敬意を持ってほしい…という話も、あくまで根や幹の部分を大切にしてほしいのであって、そこが守られていれば、枝葉の部分は多少異なっても構わないと考える人が大半だと思います。
モノノ怪を香道的な視点で見れば、枝葉末節の部分は現実の香道に必ずしも則していない、違っている事も多いのですが、根や幹の部分は驚くほど要所を捉え、上手くアレンジされています。例えば次のような点が挙げられます。
舞台設定が雪の日=お香日和であるという絶妙さ
まず、雪が降っているところから物語が始まるのが興味深いポイントです。
雨や雪の日は、湿度が上がり、香りの分子が運ばれることから、普段より香をよく聞けると言われています。
江戸時代の伝書などにも、雨と雪の日には香を聞けと書かれているくらいで、現代でも「雨と雪の日はお香日和」と言えます。
モノノ怪の作り手が江戸時代の香道の伝書を読んでいたわけではないかもしれませんが、この辺りの香道を楽しむ上での重要ポイントを、出だしからバッチリ押さえた舞台設定で始まるのです。
香道の予備知識を持ってモノノ怪を観ると、冒頭の雪が降っている時点から期待が高まります。
また、冬の寒い日には、香炭団(こうたどん:聞香専用の小さな炭)を入れた聞香炉を手に持つと、ホッカイロのような暖かさを感じられるものです。
冬は星がよく見えるように空気が澄んでいて、さらに雪の日であれば湿度も申し分ありません。
実尊寺の「お香は冬が沁みるでおじゃる」という何気ない一言も、お香を嗜む人にとっては頷けるものであり、実尊寺の香に対する見識の深さ、瑠璃姫の婿候補に立候補した四人の中で最も香道に長けた人物という設定が、この一言だけでも伝わるのです。
モノノ怪における香道の表現は、組香(源氏香)の香席や道具の仕様や、瑠璃姫が香を炷く御手前(おてまえ:茶道のようにお茶を点てないので基本的にこのように書きます)といった枝葉の部分は、現実の香道と違う部分も多くあります。
しかし、この現実との違いは、モノノ怪は現実の歴史や香道を描く作品ではなく、怪談アニメという位置付けもあり、作中では枝葉の部分なのでそれほど重視すべきとも思いませんでした。
お香を嗜む人にとっては、現実の香道とは違う「非現実性」が、いっそう怪奇物語らしさを上手く盛り上げる要素になっていると感じました。
さらに、瑠璃姫役の話し方や、BGM、前述のモノクロからカラーに変わる映像表現を通じて、現実の香道の香席とは異なる形で、香席の雅やかな雰囲気を伝えられる視聴覚情報だけでうまく表現できていると感じます。
仮に、現実の香人の御手前をモーションキャプチャーで再現したところで、TV越しにその雰囲気がきちんと伝わるとも限りません。この辺りの差異も、枝葉末節ではない根や幹の部分を、アニメーションという形で視聴覚情報だけで表現するための工夫が凝らされています。
薬売りが物語の物語の最後に「香(こう)、満ちたようでございます」と締めるのは、御家流系統のお香で、香筵の終わりに「香、満ちました」というご挨拶をするお約束を参考にしたことは間違いないでしょう。
「鵺」以外のモノノ怪のエピソードでは出てこない決めセリフなので、これは間違いなく香道について調べた上で取り入れたとみられるポイントです。
世にある香道を題材にした作品の中でも、モノノ怪は香道の歴史と文化の本質を見事に活かした点でトップクラスの作品だと言えるでしょう。
まとめ:モノノ怪-鵺-は香道視点で見ても真の名作
『モノノ怪』の「鵺」は何の予備知識なしに見ても面白いが、香道に詳しい人が見ても非常に面白い名作である。
作中の欄奈待のモデルは間違いなく東大寺の正倉院にある香木・蘭奢待の事。
怪談も香道も、江戸時代には「皆が実際に頻繁に体験しているというわけではないが広く知られているもの」として、大衆芸能文化の題材としてもよく取り入れられている共通点がある。
香木をめぐる刃傷沙汰は、香木をめぐる刃傷沙汰を記した江戸時代の『翁草』掲載の『細川家の香木』やこれを原案にした森鴎外の小説を参考にした可能性がある。
作り手は香道の専門家ではないと思われるが、香道についてよく調べて作った作品と考えられる(とても細かな用語の使い方の違和感からそう判断しましたが、香の本質の捉え方や知識面の深さは、当時の並の香道の先生や門弟を凌ぐレベルで優れていると感じました)。
観る人によれば江戸時代に実際に起きた蘭奢待を含む香道の名香の贋作事件を連想するエンタメ作品に仕上がっている。
贋作名香の事を知って見ると「自分を崇拝してもらう為に偽物の蘭奢待を使って人々を集めてとり殺す」というストーリーは、江戸時代に蘭奢待を含む名香の贋作を使って人々の注目や崇敬を集めて養分にしていった、実在する特定の香道の流派に対する、高度な皮肉の効いた知的批評性を持つ作品になる。
贋作名香の件を全部調べて知った上で書いたのか、「鵺」等のキーワードから想像を膨らませて書いた偶然の一致なのかは本作を視聴したのみでは断定しきれないが、少なくとも鵺の由緒書きの存在は知っていたと思われる。
全て知った上で作ったなら調査力や物語の構成力が、一定以上の調査を経て起きた偶然なら洞察力や想像力が、非常に優れている(どちらなのか知りたいので、ご存じの制作関係者の方が居られましたら是非教えてください)。
黒澤明に始まる映画の表現手法(モノクロ→カラー)を用いて、視聴者の注目を集めるのみならず、映像では伝わらない嗅覚情報=香りの広がりや豊穣さを巧みに表現している。
御手前や組香の仕様など、枝葉末節の細かな部分は現実の香道と違う点も多いが、そこが詳しい人が見た時にかえって「異様な雰囲気」「非現実性」を印象付ける要素として怪談らしさを高めるのも上手い。
舞台設定が雪の日になっている:香道の世界では古くから雨と雪の日は香を聞くのに最適と言われている。冬の聞香の美点など、香道の枝葉末節ではない幹や根の部分の美点を捉えて物語に活かしている。
本記事はいかがでしたか?もしお楽しみいただけましたら、ご興味のありそうな方に記事をシェアしたり、ハートのいいねボタンを押したりしていただけると嬉しく存じます。
長くなった為、省略した部分も多くありますが、この記事を通じて、香道という特殊な分野の歴史や文化の視点から見た『モノノ怪-鵺-』という作品の凄みをシェアする事で、類稀なる魅力を持つ本作品を、いつもと異なる視点で楽しむ一助になる事を願って、筆を置く事に致します。
<9/1追記>
記事中の変換ミスによる誤字・重複文字の修正を行いました。
西山厚先生、お知らせいただき有難うございました!
おまけ:香道について知りたいと思った時に読む本
香道に興味を持った人には松原睦『香の文化史』をご購入ください。難しい専門用語にはふりがな付き・出典付きで、全くの初心者が読み始めるのにも、中上級者がさらに学びを深めていくのにも役立つ素晴らしい1冊です。
レビューは旧版を参照するのが良いと思いますが、今から買う方は新版をお求めになるのがおすすめです。
(質のいい本なので供給や増刷が遅れた時等にAmazonで定価以上の値段がつく場合があります。その時は出版社に在庫を問い合わてみてください。本記事ではアフィリエイトも一切設定していませんので、アフィリエイトが苦手な方もご安心ください。)
なお、学芸員・日本文化関連の研究者等の場合は、松原氏の『香の文化史』に加えて、本記事の参考文献でもあり、江戸時代の名香と贋作の蘭奢待、江田世恭の告発文に関する論著として翠川文子『古香徴説・古香徴説別集』も参照する事を強くお勧め致します。この2冊は香道に関する調査研究を行う上での必携本です。
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