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多様性を阻害する多様性への対処法

このところ、落合陽一さんの「2030年の世界地図」を読んでいました。

SDGsのことが、わかりやすく書かれている本。とても読みやすかったです。

SDGsの内容についてはさておき、これからの時代は、所有から共有へ向かいその先、共感の世界へと向かっていくという。共感性と分配が正しく、滞りなく機能するような世界に。それは環境と経済成長が両立できる世界でもあってほしいと。

共感性が高めの人間からすると、やっと自分たちの時代がくるのかとありがたく思えました。共感性が高いって自分で言うとよく気が付くいい人ですって言っているように聞こえそうだし、とは言えマイノリティで、人の気持ちに寄り添いすぎて苦しくなることは多いけど、理解してもらえなくて流されることは日常茶飯事。自分で他人との境界線を引くのが下手すぎて、自ら傷つきに行ってしまったりもします。
それが周りから共感しようという風が吹いてくるなら、なんて生きやすいんだろうと思いました。境界線を引くのって、すごく難しい。気が付くと、線を越えて踏み込んでしまっていることが往々にしてあります。

世界がそんな素敵な方向に向かっているとは寝耳に水でしたが、とても嬉しかった。そりゃ理想通りにはいかないだろうし、あくまで世界のスローガンではあると思うけど、目標に掲げられただけでも優しい世界に近づいた気さえします。私もそんな世界に賛同するし、自分ができることはしたいなと思えました。アメリカ大統領選挙を見ていると、あらゆる手段を使ってどう考えてもズルだろうことをしてまで自分の権力を振りかざしたいのかと辟易してくる。日本とは文化が違う、それがアメリカなんだろうけど、スムーズにバイデンさんになったらSDGsの目標も叶いやすくなるのかな。
この本は、他国の選挙に興味を持つ一助にもなりました。

そこで、共感の世界を目指していると必ず現れるのが「多様性を阻害する多様性を振りかざす人」だという。多様性だ、ダイバーシティだって、ただ単純に自己中を振りかざす人のことだと解釈しました。います。そういう人、苦手。

近年、「多様性」という言葉は本当によく聞くようになったと思います。「マイノリティ」もこれからは、いろいろひっくるめて「多様性」と呼ぶようになるのかな。子育てをしていても、不登校の対応でもよく出てくるワードです。だけど現段階ではワードだけがひとり歩きしていて、意味までちゃんと理解し、腑に落として使われていることはあまりないなと本当に感じる。マイノリティの立場で話すことが多い人間としては、「多様性」という言葉に頼りたくなることもあり、わたしも使う。そうすると「多様性」を逆手に取られ、「こちらの多様性」に合わせろと、上手く丸め込まれる感じは何度も経験してきた。

多様性は、きちんと使うのであれば相互的であることが絶対条件だと思う。相互的でなかったら、どっちかの押し付けがどこかにあるはず。それは例え自分が理解できないことであっても、相手方が「こうだ」というのであれば、そう感じる人がいるのだと、まずは認めることが必須。相互的に認め合うことはかなり難儀なのか、これまで認め合えたと納得できたことはほとんどない。どんな場面でも、だいたいどちらかが何かしらを強制させている。認め合う過程では、険悪になったり、揉めたり、悲しくなったり、面倒なことにもなりがちだから、なかなか進まないのかもしれない。そもそも自分の意見を主張するという習慣がない日本人だから、意見を持たない人も多いし、面倒で「まぁいいか」と相手の強制を受け入れてしまうこともたくさんあるとは思います。

だけど難儀だとか言ってる場合ではないよね。せっかく来るめったにないこのチャンス、私は共感の世界に向かってほしいと思う。認め合えない世界なんて、嫌だ。つまらない。寂しい。しんどい。誰とも、どこともつながっていないなんて、生きてる意味を感じない。もっと大切に扱い合おうよって心から思います。一人ひとりが少しだけお互いのことを認め合えれば、やさしい世界に近づくのにって。

優しい世界へ向けて、何もできない訳ではない。共感性が高い人間として、こっち側からできることがあるはずです。まずは、「多様性を阻害する多様性を振りかざしてくる人」を早めに見つける方法を考えることかな、と思いました。そして、その対処法を考えてみた。

多様性を阻害する多様性を振りかざす人。このタイプは2種類いる。

まずは意識的に言葉を選んでぶつけてくる人。すごくわかりやすい。普通に喧嘩っぽくなるか、強く言われるから従うしかない感じになる。怖い。やばい。要注意。

そしてもう一種類は、無意識的に、やさしい言葉で自分の意見に同調させるように仕向けるのがうまい人。これが厄介。こういう人間は、共感性の高い人にとっては天敵とも言えます。ついついその人の強制に気付かず「そうだね」などと言ってしまいがち。そしてそれを積み重ねていき、後々、ひどい目に合うという、、よくありませんか?超要注意人物です。

そういう人たちの特徴としては、まず、こちらの意見は聞かないという多様性を握っています。人の話を聞いて、「うん」ということがまずない。「でもさ」「ていうかさ」だいたいがその接続詞で返答します。挙句の果てに、都合の悪いことには返事をしなかったり、無視をする。聞いてないじゃない、もしかしたら、本当に聞こえていないのかもしれない。自分に都合のいい言葉以外は聞こえないのかもしれない。どんな風に脳みそは構成されているんだろう。どんな精神状態なんだろう。皆無すぎる。

共感性の高い人は、自分の話を聞いてもらえてないことに気付くのが遅れる場合があります。すぐ相手の話に共感してしまうから、「そうだよな」「その通り」かもしれないと思いがち。誰かが言っていることは正解だと思いやすい。それは特にソーシャルな場面においてそう。自分の気持ちに気付いてもらえないことが多いから、誰かの気持ちには気が付いてあげたいと思ってしまうのです。その善意に、無意識で付け込んでくるのが2種類目の多様性を阻害する多様性の人です。

一度付け込まれると、そのコミュニケーションがパターン化され、どんどん度が過ぎる扱いをされるようになります。この人なら何をしても、何を言っても大丈夫だろうと思われる。許してくれるからといろいろと押し付けられるようになる。この辺りになってやっと「何かおかしいかも」と、気が付きます。

このときにはもう遅くて、すでに多様性を阻害する多様性の人にいいように扱われているはずです。残念、いい友人だと思っていた、いい上司だと思っていた、そんな人にも、ただうまく使われていただけかもしれません。悲しみ、怒り、ストレス、それぞれ自分の中に何かしらの反応が起こると思います。悩みます。気が付いたあとにも続く、付け込まれ生活にどうしたらいいかわからなくなります。解消までにはおそらく、つらく苦しい日々をしばらく過ごすことになります。長期戦になるので、ここではとりあえず悩みすぎ注意です。

こんなことを何人もとやってしまい、人間不信に陥る。共感性の高い人と多様性を阻害する多様性の人が関わるとこういうパターンになるんです。どうやって、このパターン化を阻止していこうか。

まず、気づこう。自分が何かを話したときに、「そうなんだ」「へぇ」などと相槌を打たない奴には要注意。こちらの話は聞いてないです。だから自分も相槌を打つのをやめよう。これは早めの段階でやっておく。こちらが相槌を打つだけで、付け込まれる可能性が高まります。

それから、いちいちこちらの意見を否定して新しい意見を言ってくる奴。これも要注意。求めてもいないのになんでアドバイスされるんだろうと疑問を持ったら、できればすぐにその旨、伝えた方がいい。「そうだね」「ありがとう」などと言って受け入れてしまうと、多様性を阻害する多様性の人には、自分の言うことを聞く人だと思われてしまう。危険です。早めに否定しておきましょう。

もし気が付くのが遅れて、すでに付け込まれてしまってから気付いた場合。これはすごく厄介であり、共感性の高い人が苦手な部分の精神を使うことではありますが、なるべく早めにどこかのタイミングで自分の意見を無理やりにでも押し付けた方がいい。相手の小さなミスを指摘する、前にも言ったよね、ちゃんと確認してなど、小さいことでいいから今までには言わなかったような態度を示すことがとても大事。これをやることで一瞬はすごく怯みます。おそらく、ちょっと気遣われたような態度を示してくることもある。

多様性を阻害する多様性の人は、こちらからの攻撃にはめっぽう弱いことが多いです。自分より弱い人間を見つけることに長けている、それは結局、己が自分に自信がないのです。少し反論すれば、すぐです。ただ、おそらくしばらくすると何度かは反論してくる。そしたらまたこちらも反論する。つらいかもしれないけど、諦めないでがんばるしかない。反論を続けることで、自分の言うことを聞かない人だとわかるはずです。

反論を続ける間、共感性の高い人はすごく精神力を使います。こんなことをしている自分に罪悪感を感じ、ただただスムーズに関係を続けていければいいんじゃないかと思い直すかもしれないけど、大丈夫。ここは苦しくても乗り越えた方が俄然楽になります。絶対にあきらめちゃいけない。

多様性を阻害する多様性の人の相手は、あなたじゃなくても大丈夫です。その人はどんどん逃げ場を探して自分が優位になれる誰かと関係を続けていきます。多様性を阻害する多様性の人を信じて、突き放してしまいましょう。攻撃してくる人を理解する必要はないのです。自分とは合わないのです。そういう人がいるということだけど認めてあげていれば、それだけで多様性を阻害する多様性の人の存在を否定していることにはなりません。誰かを遠ざけることに罪悪感を持たなくていいんです。

反論を続けて、今までより話が通じるようになったり、理解を示してくるようになったのなら、その人は本当の友人だと思います。こちらももっと、自分をさらけ出していきましょう。さらけ出す勇気も大切です。

多様性を阻害する多様性の人だった場合は、もれなく逃げていきます。疎遠になります。挨拶だけするような仲に戻れます。実害はなくなります。大丈夫です。強い意思を持って、対処していきましょう。

これが、私なりのSDGs実現に向けた目標に近づくための第一歩です。

どうかどうか、誰もが認め合える、優しい世界が訪れますように。

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