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序章 「伝える」とは何か? 【#全文公開『サッカー指導者は伝え方で決まる』岩瀬健】

現在、Jリーグ大分トリニータでヘッドコーチを務める岩瀬健氏。
トップチームからスクールまで様々なカテゴリーのサッカー選手を指導してきたこれまでの経験を踏まえて、試合、戦術、分析、練習、育成、選手など、シチュエーションごとの最良の伝え方を考察した一冊

サッカー指導者は伝え方で決まる 机上は緻密に、現場は柔軟に』(岩瀬健著、清水英斗構成)

が6月7日より書店へ順次並びます。発売をお楽しみに!
本日は本書の「序章」をまるっと公開します。

書影はAmazonにリンクします

サッカー指導者は伝え方で決まる 机上は緻密に、現場は柔軟に』
著 岩瀬健
構成 清水英斗 
ページ数 208
判型 四六判
定価 1870円(税込)
出版社 カンゼン
発売日 2022年6月7日
ISBN 978-4-86255-644-8

選手の約7割は指導者の理論を欲していない。では、どう伝える?

プロサッカー指導者の岩瀬健はトップチームからスクールまで様々なカテゴリーのサッカー選手を指導してきた。サッカー指導者は、ピッチ外における「指導者の理論(ロジック)」とピッチ内における「選手の感覚(フィーリング)」に隔たりがあることを自覚しなければならない、と彼は言う。つまり、机上では緻密な理論を持つことは当然として、現場ではその理論を柔軟に伝えなければ選手は躍動してくれない――。トップチーム監督デビューとなった大宮アルディージャでの経験も踏まえながら、試合、戦術、分析、練習、育成、選手など、シチュエーションごとの最良の伝え方をサッカーライターの清水英斗とともに考察していく。

序章 「伝える」とは何か?

これまで「伝え方」を何度も失敗してきただからこそ指導者たちが語り合える一冊にしたい

お互いが次に進むために

「健君、ちょっときて」
2021年5月23日、J2第15節、アウェーでギラヴァンツ北九州に1対3で負けた試合の帰り道でした。荷物を全部入れ、チェックインを終え、あとは飛行機に乗るだけ。北九州空港の待合室で、ふっと空いた隙間時間に、当時の大宮アルディージャ・フットボール本部長、西脇徹也さんが声をかけてきました。僕を周りのグループから少し遠ざけ、端のほうへ行くように促します。
「……明日朝10時、事務所に呼ばれています。僕と健君の二人」
「明日? 二人? もしかしたら、そういうことかな?」
「僕は試合前から呼ばれていたから、内容はわからない。ただ、もしかしたら解任ということもあるかもしれない」
「そうなんだね。10時了解です」
試合の前から呼び出しが予定されていたのなら、解任は北九州戦より前に、大方は決まっていたのかもしれません。直近10試合で勝利なし、5分5敗。ただ、頭の中では次のジェフユナイテッド千葉戦に向けて切り替えていたので驚きました。
次の日に事務所へ行くと、先に西脇本部長が呼ばれ、30分ほど話したあと、僕も呼ばれました。そこで佐野秀彦社長から、「成績不振によって監督としての契約を解除することになります」と告げられることに。僕は「大事なクラブが次へ進むための決断ですから、佐野社長の決断を尊重します。期待に応えられず申し訳ありませんでした」と答えました。そして、契約解除に伴う手続きは、ゆっくり落ち着いてから、1週間後くらいから始めようかと、その場は終わりました。その後、契約解除の手続きに関しては、お互いに少し歩み寄る必要がありましたが、最後は社長とお会いして改めて感謝の気持ちを伝えて、契約解除ということでサインをして終了。西脇さんも僕と同じタイミングでフットボール本部長を解任されました。
2022年、僕は大分トリニータのヘッドコーチに就くことが内定しましたが、そのリリースが出る前に大宮の佐野社長に電話を入れました。向こうからすれば、「何で今さら岩瀬から着信が?」と不思議に思ったかもしれませんが、改めて、大宮の監督として指揮するチャンスをいただいたこと、期待に添えず申し訳ありませんでした、ということ。再び大分で指導者として頑張っていく、ということ。そして、今後も試合会場で会ったら挨拶させてください、ということを伝えました。
僕もいろいろな思いはありましたが、社長にもいろいろな考えがあって解任という決断に至ったわけで、そこは受け入れてお互いに次へ進むため、区切りの挨拶として電話を入れました。

監督のキャリアに関わるターニングポイント

解任に至ったターニングポイントは、間違いなく第13節のザスパクサツ群馬戦だったと思います。
あの試合は1対0でリードしていた終盤のコーナーキックの場面、ファーに蹴られたボールを相手選手にヘディングでゴールを決められてしまい、アディショナルタイムに同点に追いつかれてしまいました。試合終了まで残り数秒のところで勝ち点3を逃したことで、当然、みんな悔しかったと思うし、選手たちに責任はありません。ただ僕が監督として選手たちを勝たせることができなかった。結果的には「違う選択もあったのでは」と、試合後に群馬戦の采配について、スタッフでいろいろな可能性を振り返りました。
この群馬戦の前には、第11節で東京ヴェルディ、第12節でアルビレックス新潟と対戦しましたが、東京V戦は1点を取ったあと、すぐに取り返されて1対1で引き分け。続く新潟戦は良いゲームをしたのに、2対3で逆転を許してしまう。第5節以降、なかなか勝てない試合が続いていました。
新潟戦は試合中に3枚替えを行い、右サイドを入れ替えたのですが、その交代がうまく機能せず、「采配のせい」と批判もされました。実は肉離れをしていた選手がいたり、やむを得ない交代の理由があったのですが、当時は采配への不信が徐々に広がるなかで迎えた群馬戦でした。そこで先程言ったように、終盤で同点に追いつかれ、その采配については僕自身も責任を強く感じたなかで、解任は決定的になったのかもしれません。
交代云々は結果論に過ぎなかったとしても、采配が当たるのと当たらないのでは、監督の求心力にダイレクトな影響があります。引き分けに終わってしまった群馬戦のあとには、自分への求心力が低下しているのを感じました。それでも選手は変わらず、練習を一生懸命にやってくれましたが、僕が話をする時の雰囲気などに、何か違和感があるのを少し感じていました。
おそらく群馬戦で引き分けた失意の光景が、それぞれの頭に残っていたと思うし、試合後のロッカールームで、「勝ち点3を取れなくて本当に悔しいけど、もう一回、次の試合に向かって頑張っていこう。みんなの力を貸してほしい」と話しましたが、僕は自分の言葉に対して手応えがありませんでした。もちろん、ふてくされたり、練習で手を抜いたりする選手はいません。ただ、基本的に試合で負けた次の週のトレーニングは、雰囲気が重いこともあるので、みんながギアを1個上げて気持ちを高めないと、なかなか力が出せない状況の時があります。その1つギアを上げる鼓舞という意味においても、群馬戦後の自分の言葉は、選手に届く感覚がありませんでした。
あの試合は勝てたのに、僕の采配のせいで引き分けた。そういうふうに映るでしょうし、実際にそれは否定できません。僕自身が責任を感じたせいもありますが、群馬戦後のチームの様子は今も強く印象に残っています。東京V戦と新潟戦に続き結果出ず、「このままではダメじゃないか?」という雰囲気が蔓延していました。
第2〜4節にも3連敗はありましたが、それはまだ序盤で事情も違いました。第3節の京都サンガF.C.戦は、雷のため中断。後日の再開時はメンバーを替えられない規定があり、日程も詰まっていたので、再開試合よりも先に行われた第4節のSC相模原戦はスタメンを大幅に変更して臨みました。前半に先制するものの、試合の終盤にコーナーキックとスローインから失点をしてしまい逆転負け。その試合に関しては、それまで試合に出ていなかった選手が出場し、チームみんなで戦おうとしたのに勝つことができなかった。
そうした相模原戦の逆転負け、あるいは再開した京都戦の負けと、先程の群馬戦の結果は違います。群馬戦は監督としての僕の責任が大きく、周りもそう感じていたと思います。また東京V戦、新潟戦、群馬戦は、大宮がクラブとして「シーズンの折り返しでJ1昇格を狙えるポジションを目指します」と、ファンやサポーターに声明文を出した直後の3試合でした。そのなかでは群馬戦が一番勝利に近かった。もし勝てば、あと数試合は監督としての時間が与えられたかもしれません。そのようなターニングポイントの試合に勝つかどうかで、監督のキャリアは大きく変わります。実績を残す人ほど、そこを落とさない勝負強さがあると思います。
しかし、僕は勝てなかった。現役を引退したあと、15年以上もサッカーの指導者を務めてきましたが、初めて本格的に挑戦したトップチームの監督は、わずか15試合で解任。リーグ戦の成績は2勝5分8敗。とても悔しい結果に終わりました。

指導者としていかに「伝える」か

サッカーには不思議な負けと、不思議な勝ち、ともに存在すると思います。これまで何十年も、監督以外に選手としても、コーチとしても関わってきましたが、サッカーというスポーツは本当に、不確実なものが多いスポーツだと感じています。偶然、ゴールポストに当たって跳ね返ったボールが、相手GKにも当たって入ったり、それが重要な試合の決勝ゴールになったりと、些細なボールの行方が勝負の分かれ目になることも多いと思います。
特にチームに変化はなくても、試合に勝ったり、負けたりすることがあります。そのなかで試合に勝つ可能性を限りなく上げるためにわずかな理由を探っていくのが、監督の役割であり、仕事だと思います。そして同時に、目の前の選手の成長を期待する、中心的な存在が監督です。
監督とコーチはまったく異なる仕事です。監督が選手から信頼を得るためには、勝つことが必要になるし、どんな戦術もすべては試合に勝つための手段に過ぎません。試合に勝てば良いやり方、負ければ悪いやり方と受け止められることもあるので、特にキャリアをスタートする新しい監督にとっては、何より勝つことが大事。試合に勝てば、監督としての時間がもらえる。そして、選手たちの成長を考えると、時間というのは不可欠であり、勝つことでそれが保証されることにつながります。
振り返れば、あの時僕は監督としてどう振る舞えばよかったのか。どうすればターニングポイントで勝てたのか。もともとそこに至る前に、何をするべきだったのか。サッカーの監督とは、どうあるべきなのか。失敗を隠すつもりはありません。そのなかにも学びがたくさんありました。それを、この書籍の中で語ろうと思います。
僕は監督を解任になったあと、シーズンの残りはオンラインで指導者の方へ、定期的にセミナーを行わせてもらいました。そこでは普段、直接の面識を持てない方とも、サッカーの深い話をすることができました。
サッカーはプレーに対する見方や解釈が、人によって違います。あれが引き金になって負けたのではないか、あのワンプレーが勝負の分かれ目だったのではないかと、そうした仮設や捉え方は本当に様々です。そこはサッカーの変数の多さというか、ものすごく変数が多いからこそ、多くの方々が様々な観点でサッカーを語ることができる。
解釈の幅が広いスポーツだけに、どんな意見であっても一概に的外れとは言えません。「言われてみれば、そういう見方や可能性もある」と、気づかされることばかりです。だからこそ、これだけ多くの人たちがサッカーの魅力に取り憑かれ、サッカーというスポーツの素晴らしさや楽しさを感じているのではないでしょうか。そのような多くの指導者との語り合いを、書籍の中でも実践し、みなさんと共有したいと思ったのが出版に至った動機の一つです。
一方で、そのようなオンラインセミナーの交流を経て、他にも感じることがありました。今はインターネットを使って、指導に関する知識をたくさん得られる時代です。情報が増えるのは基本的には良いことですが、その副作用として、指導者とプレーする選手の間に、乖離が起き始めているのではないか? そのような危機感を募らせるようになりました。それは今回、書籍を出版したいと思ったもう一つの動機です。
理論をピッチへ持ち込んで実践するのは当然ですが、問いたいのはその持ち込み方です。無暗に映像を使ったり、戦術ボードを使ったりと、最近は無意識のうちに選手とのコミュニケーションが、選手主導よりも指導者主導になることが多く、そうした指導者の机上での考えを言語化することが良い指導者の条件になっているような気がします。
しかし、指導者と同じようなロジックを欲しがる選手は、指導者が考えるよりも少ない。指導者の本来の役割は、選手を成長させること、チームを勝たせることです。指導者が机上で試行錯誤を繰り返した自分の理論をそのままピッチへ持ち込んでしまうのは、もったいないと言わざるを得ません。とことん理論を追求した上でピッチの中で伝えるのはコツ程度で十分です。自分がインプットする情報と、選手へアウトプットする情報が同じになってしまうような、言語化によるアンバランスな指導が昨今は増えているのではないかと感じます。
指導者はプレーをする選手に対し、どのような「伝え方」をするべきなのか。ロジックを噛み砕けばいい、という考え方も、選手によっては伝わりづらいこともある。ピッチ上の選手は逐一ロジックに従ってプレーするわけではないので、選手の感覚につながるような働きかけ、あるいは選手のアイデアを尊重することで最適なプレーが瞬間的に生まれることもある。時には、ロジックが選手の感覚とアイデアを縛り、プレーを鈍らせる可能性があることを、指導者は理解しておく必要があります。
僕は「伝え方」について、今まで指導者としてたくさんの失敗をしてきました。相手の個性も背景も様々なので、とても難しいことで、一筋縄ではいかないと思います。そして、指導者としての伝え方にはマニュアルは存在しません。この書籍ではそうした苦い経験を振り返りつつ、清水英斗さんとの対談形式でサッカーを語り尽くしていきます。
サッカーの監督が直面するリアルな悩みを、みなさんと共有し、互いの糧にできればと思います。

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