見出し画像

日本で最初のラーメンブームは1910年だった!! ラーメンを日本中に広めた立役者とは?

いまや国民食となっている、みんな大好き「ラーメン」。

ヴィーガンラーメン、コオロギラーメン、電気チャーシュー、疲労回復ラーメンなどなど、実は今のラーメンはここまで進化していた! 最先端のラーメンや食にまつわる、あらゆる現場を徹底取材! ラーメンから食の未来も見えてくる。

新刊のラーメン・グルメエッセイ『「至極」のラーメン科学』より、冒頭の「はじめに」前編を公開します。

※発売日は地域によって遅れる場合がございます

【はじめに】前編

100年前のラーメンを食べて思ったのは、(これが100年前のラーメン?)という不可解さだった。
ラーメンが誕生してから100年と少し。
日本で最初のラーメンブームは1910年に開業した『浅草來々軒』から始まったとされる。
浅草來々軒より前に横浜中華街や神保町の中華料理店などでラーメンは売られていたが、世の中にラーメンという料理を広め、日本初のラーメンブームを巻き起こしたのは浅草來々軒である。諸説あるものの、中華料理の麺料理とは一線を画する、今や日本料理となったラーメンは浅草來々軒が広めたと言っていい。
当時の日本人は中華料理に馴染みがなく、ある種のゲテモノ扱いだったという。その一方で、シュウマイやワンタンを出す、町中華の原型のような店が少しづつでき始めていた。
浅草來々軒もその流れで、庶民のための中華料理店として出発する。

〈ラーメン店の誕生背景には、來々軒が「支那そば」、「ワンタン」、「シウマイ」という大衆的なメニューを安価に販売するという新たな業態を繁盛させ、広めたことがスタートとなります。〉(新横浜ラーメン博物館リリース)
 
当時の浅草來々軒は大繁盛で、毎日客が2500〜3000人も訪れ、1カ月の収入で家を1軒買えたというからすごい。來々軒の大成功を受けて、浅草にはあっという間に來々軒スタイルの中華料理屋が立ち並び、全国へと広がっていった。
ラーメンを日本中に広めた立役者が浅草來々軒。ドラマやマンガで中華料理屋の屋号に來々軒が使われるわけだ。
ラーメンの元祖とは、どんなラーメンだったのか。
新横浜ラーメン博物館は浅草來々軒のオープン当時の味を再現することに成功した。
新横浜ラーメン博物館のスタッフが当時の資料を収集、來々軒の創業者・尾崎貫一氏の親族の協力の下、故・佐野実氏の支那そばやが再現したという本格的なものである。
麺は当時の国産小麦(明治時代の輸入小麦は微々たる量で、すべて国産でまかなっていた)の品種を特定、現在ではすでに失われていたため、系統図と遺伝子情報からもっとも直系の小麦を探し出し、かん水は〈「かん石を水に入れ、その水を使用した」という証言〉(新横浜ラーメン博物館リリース)に基づいて再現したものを使ったという。
チャーシューは中華風の吊るし直火焼き。メンマは台湾産。
ダシは鶏と豚、野菜、煮干し。当時は鶏が牛よりも高級品だったという。ブロイラーはまだ作られておらず、いわゆる地鶏。ダシには卵を産み終わった親鳥が使われたという情報から、名古屋種の親鳥を使用。それに国産の豚ガラ、野菜を加えてスープをとった。
味はしょう油味。当時はすべて国産でまかなっていたので、国産大豆、国産小麦、塩で作られたヤマサ醤油の濃口しょう油が使われた。
さらに丼まで当時のものを再現するという凝りようで、関係者の熱意が伝わってくる。

※後編に続く


【サンプルページ】

画像1
画像2
画像3


画像5
画像5
画像6


画像7

書影はAmazonにリンクします
『「至極」のラーメンを科学する』
ページ数 200
判型 四六
定価 1,540円(税込)
ISBN:9784862556226
出版社 カンゼン
発売日 2021年12月10日


カンゼンWEBショップでも販売中です(¥3000以上のお買い物で送料無料)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?