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五行歌集「花宙」 弍 / 書家 西垣一川さま書評 「甘い雨というシャワー」

 歌集上梓はわたしの中をよい意味で空っぽにしてくれた。数千首の中から掲載歌300ほどを選びとる、過去と未来をなんどもなんども振るいに掛けている心地。拾っては棄てる。掬っては、ふり払う。そのくりかえし。掲載した歌だけが生きていて、あとはみんな死んでしまった感情のようだ。ほんとうは敢えて掲載しなかったシリーズ、章題もあるのだけれど、それについてはまたいつの日か綴ろうとおもう。


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 2019年11月11日処女五行歌集「花宙」を上梓、その後「2020年月刊五行歌2月号」にて書評特集を組んでいただきました。落ち着きのない日々に流されていましたが、此の度お許しいただいた書評をようやく掲載させて頂くことに。

 個展などで歌集「花宙」を手に取ってくださった方々は日ごろ五行歌誌とは無縁の方がほとんど。独り占めするには勿体無いほど、お祝いのこゝろで頂戴した夢のような書評をnoteにて共有させていただければ幸いです。

 最初にご紹介させていただく書評は、わたしの永遠のあこがれ。書家であり五行歌人でもある西垣一川さま。五行歌との出逢いをくださった方でたいへん光栄な書評の余韻はいまでも、、、改めましてありがとうございました。

          ◻︎


【甘い雨というシャワー】
西垣一川

 
 書家、甘雨ちゃんが五行歌を詠み始めたきっかけは、わたしの書と五行歌に彼女が興味を持っていたことだったと思う。
 その後、いろいろお話ししていると、所属している書の会と以前わたしが所属していた会が同じだということが分かった。甘雨ちゃんのお師匠さんは亡くなったわたしの師と同門であったということもありご縁を感じたものだ。
 あれから15年、こつこつと詠み溜められた歌がご著書になったのを拝見しながら、初めてお会いした時の甘雨ちゃんを思い出している。
 今でも変わらない個性的なきりりとした瞳から不思議なオーラが出ていた。まるで巫女さんのような佇まいだった。
 あ、出会ったのだ。歌を詠むという行為に、きっと彼女ならではの直感でときめいたのだと思った。
 タイトルの『花宙』ということばに少し物足りなさを感じた。だが読み進むうちに、何か一つ一つの歌に心地よい浮遊感を感じて戸惑った。
 花、宙と二文字が連なることでこの浮遊する体感を表すことばになっているのだと感じて納得がいった。
 
 美、とも違う          
 こころゆさぶられるなにか
 無様でも
 たましいの線を
 刻みたいと思うのだ
 
 テイム・インゴルトの『ラインズ』という本にマット・ドノヴァンという人の、線についての連想がいくつかあり、その中のひとつに「ふたつの点のあいだに想像される小道」という言葉があった。
 書家はひたすら無用な遊びや寄り道の小道の線を、点と点に繋いでは書いている。
 反故にした紙は山のように積み重なってることが多い。
 筆を走らせながら作者はたましいの線を刻みたいと願っている。
 何気なく描かれた線から、あるとき名状しがたい象が現れることがある。彼女はそれをたましいの線と表現した。
 そんな線をわたしは書けたことがあっただろうか。そして彼女はもう自分の線を見つけてしまったのだろうか。
 真摯に書に向かうすがた、その証の歌だと思った。
 
 自然から直接、物としていただくものは多い。もちろん無言のちからで届けられることの方がもっと多いと、生きていく中で感じる。
 歌を詠むときいつもわたしは、その賜物のように現れる気を掴みたいために目を閉じ、それを想像する。
 彼女のひとみは真っすぐにその気配をみつめて五感に取り入れている。
 例えばこの歌。
 
 
 人間は
 においがする
 歩んだ
 土が
 しみるのだ
 
 
 香りとも言い難い「におい」という野生にも感じることばを当てたことでこの歌が活きた。
 歩むことで大地のエネルギーを搾り取った逞しい人間の姿が現れる。わたしは素足の人間の足をイメージした。
 歌はシンプルでさりげない。しかしわたしは自然との関わりの中で生きている人間というものをこの歌で深く感じ入った。
 
 狂った
 自我の方位を
 花の
 織りなすかぜが
 糺してくれる ■糺=ただ
 
 実は歌集の中でこの歌が一番好きだ。人は赴くままの風のように生きたいと願う。そのままが己であり自我である。
 昔、わたしは自我が強すぎ、そのうえ我が儘であった。自分の歩みたい道さえ未熟だったため選べずにいた。
 この歌では花の/織りなすかぜが/糺してくれる
 この素敵な人生の導きのフレーズにこうべを垂れたいくらいだ。年を重ねた今でも、わたしの自我の方位は不確かである。
 心に残したい一首だ。
 
 彼女の歌群には何故か生活感というものがない。それはことばが詩的で日常性を突き抜けるちからを持っているからだろう。
 歌を詠む姿勢にそういう意図的なものがあることもひとつの歌との闘い方として素晴らしいと思う。
 そして愛についての歌にもその香りが感じられる。
 それは、自然から受け止めた透明感といってもいい。
 
 春のにほひの中で
 逢う
 ぬるい
 狂気を
 微睡らせている ■微睡=ねむ
 
 何かをねだる
 毛細血管のよう
 冬木立
 空へ 空へ 
 果てる
 
 丸く
 ひざを抱えて眠るキミ
 アンモナイトの
 化石となって
 眠れよ
 
 どこまでゆくの
 とうとうと流れゆく闇の
 蜜色に
 また一ひらを
 ゆだねている
 
 抜け殻になっても
 蛇のかたちで
 縛ろうとする
 愛とはよべない
 虚ろなものよ 
 
 満ちるものと
 引くものの
 願いは
 一つ
 だったかもしれない
 
 また歌への思いをしたためた素晴らしい歌も多い。
 
 さびしさを
 埋めちゃだめ
 底でしか
 奏でられない
 絶叫がある
 
 激しい叫びとはいえ奏でるのである。作者は底に沈んだ救い上げられないようなさびしささえ歌にしようと言っている。
 わたしにも嘗て吐きそうなほど苦しいさびしさを抱えたころがあった。それは安らぎを与えてくれる人がそばにいない孤独な哀しさであった。
 そして、その頃のことは歌にして心を鎮めた。
 
 言葉は
 裸身
 何を纏い
 何を散りばめ
 何を秘めようか
 
 ふわり
 てのひらに舞い降りて
 たちまち
 とうめいなかなしみになる
 それが、歌
 
 きみは一つ     
 左の胸に
 あたたかで残酷な詩を
 くちづけて
 去る
 
 最後の三首は歌詠み人ならではの、そして甘雨ちゃんならではの世界。
 今後、彼女のこころの深奥からどのような歌が紡ぎ出されるのか楽しみにしている。


         ◻︎


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書家 / 五行歌人 石崎 甘雨 
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