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"描きたいだけでいい"は"人に届かなくていい"とイコールではないという御話

漫画/小説の投稿サイト【アルファポリス】では、自身の作品を公開するだけでなく一定の条件を達成する事で編集部からの評価シートを申請する事も出来ます。

私が現在連載中の漫画作品『かみさまのふね』は自身で様々な想いがある作品でして
完結はしていないどころか展開を重ねている段階ながらも、申請条件達成に至っていた為どのように映っているのかが気になり評価申請を行ってみていたのですが
そこで頂いた真摯な講評に沢山の事を考えました。

自身の創作作業法を起点に少し、表現と、それを他者に届ける事の関係について話をしてみたいと思います。

(※有料設定は投げ銭用にて記事自体は全文無料でお読み頂けます

(▽実際の漫画本編はこちらです。宜しければ記事の後程にでも
(※"女性向け"となっておりますのは、どうしても二択でジャンルを設定しないといけない為に何となくでして。作品カテゴライズってどうしてどこも性別二択なのかなってずっと思ってるのですけどそれはまた別の御話💭


◇古き著作と、今描けているもの

私はこれまでアルファポリスに、若い頃の粗削りな、でも折角なので載せてみようかと思った幾つかの古き創作短編も掲載しており、そちらでも折角なので一応くらいの感じで評価シートを申請していたのですが
存外にもそれらに良き評価を頂いておりました。
自分としては「古いから」とか「私にとってこれは云々」といった感覚のそれらを
只々"今一個の作品として第三者の立場の方が読んでどのように感じたか"の答がそこに真摯に記されていました。

しっかりと、当時なりの"何を描きたかったか"やそれに伴う表現の工夫を読み取って下さり、本当に只々それらの作品の読後評価を頂いていました。
勿論今では自分も判る、これが足りないこれを意識した方が良いなどの指摘もありました
が、そこも含め、本当にまっすぐ作品を読んで下さっての講評を頂けた事にとても感じ入ってしまったのでした。

逆に
最近の作品
連載中の『かみさまのふね』、その前身『星の虹彩準備篇』は、なかなかの厳しい評価でした。
その指摘された内容は、実は私が意図して省いて描いたものでもありました。

これら2作は、前者はとても個人視点のみでとあるものに向き合う日々を描き、後者はとても観念的に電子世界の少女4人を描き
初めて読む人にどう伝わるかはやはり気にはしつつも、そこを人に伝わるエンタメにしたい意図よりも只々
ずっと温めていた大切な御話を
私の大切にしてきた創作の子達を
自身の培って来た漫画技術で形にしていく、
そうした自身にとっての楽しみを前面に置いた作品でした。
その断片がどなたかに届き少しでも興味を惹かれてもらえればという意識も確かにありはしましたが、優先度としてはきっと”形にしたい”が圧倒的に先であったのだと思います。

2022/01/11に初めてアルファポリスに投稿した、『星の虹彩準備篇』chapter.1「海を歩む」の一節

古い習作に思われた旧作群が一個の作品としてしっかり読んで頂けたこと。
自身の想い入れと共に発信している新作が良い悪い以前に”届きづらい”と評されたこと。
ここをどう捉えるかは自分次第のはずですが、正直後者に関し最初は意気消沈とも云える心持ちともなったものでした。

元々あの子達の事を知っていた知人からは、『準備篇』開始時に漫画そのものの詩的表現と作劇としてのあの子達のやりとりにとても大きな感想を頂いてもいて、後に全くの第三者の方々からも良き感想があり、私自身だけの自己満足で描いているようなものに対してちゃんとそんな風にも思ってもらえるのだなと、どこか安心もしていたものでした。

フラットな立場から、そしてプロの立場からの”公開している作品”として捉えての忌憚なき指摘をもって
どこかそれでもいいと思っていた、今回”出来ていなかった事”に向き合う形になったのでした。


◇描こうとしている事を本当に"ただ描きたいように"描けているのか

最初に簡単に纏めれば見出しそのままです。
少し廻りくどい書き方になっているやも知れませんが、ここからその辺りへの自身での感じた事諸々を連連と綴ってみます。

厳しい評価の中で、今作の仕組みや人物の関係性、そうした着想にはとても良い評価を頂けました。
伝わりづらいと仰る中でも、それでもそこを受け取って頂けていた事には感慨深い想いがありました。

それはつまり
だからこそそれが、その"世界"の前提すら読む人に伝わりづらいまま話が観念的に進められていく事への、”描き手側の想いを考慮するが故の勿体無さ”という視点での強い指摘がありました。
その世界への強い想いを扱っていながら、そこに読者の興味を惹かせようとしていない
そうした指摘を頂きました。

実を申せば、とある理由からあえてかなりボカして話を進めているのも、どこかそっと伝わる人だけに届いてくれればいいと思いながら発信しているのも、確かでした。
演出意図というよりも、自身がどこまで描いてよいかブレーキをかけながらの作劇でした。

”世界や人物像に魅力がある分それを読者に興味を惹かせるように持っていかなければ勿体無い”
”表現として構図や配置に力点を置いているのは解るが絵そのもののデッサンが大きく崩れているのが気になる”
2点に要約すればそうした評を頂きました。
これらは
例えば持込などで頂く、私の年齢や過去作や受賞履歴や創作遍歴などを前提考慮したり、雑誌読者との相性どうのといった講評とは違う
"この作品を単体で今何も知らない方が読んでどう思われるか"という
只々本当に純粋に当り前の講評であり
一番大切なものでした。
(※持込批判ではなく。商業ベースに於いては様々な意図を前提とするのは仕事として勿論大切な事で、それもまた一つの”意図を作品手法に注ぎ込めているか”の話でもあります

どこか
これまでも私は漫画を構築する事自体にはそこまで苦労しない部分がありました。
絵が上手い人でも「漫画ってどうやって構成してるの..?」という話は知人友人やプロの方を含め内外で在り、その疑問が不思議な程に、物語の骨組を漫画という形で表現するのは昔からそれこそ手癖で描けてしまうものでした。
私は絵が上手くはない分、漫画構築の才は頂けているのかなと(自惚れにせよ)有難く思う中で創作を続けていました。

ただ、であるが故に
"形にする手腕"に悩まないが故に
脳内を表現に移し替える過程で第三者視点が薄いのは否めない処がありました。
漫画を描けているのだから絵はそこまででなくとも大丈夫というどこか逃げ道のようなものもありました。

”漫画を描ける”事と”それで面白い作品を作れているか”はまた別の話でした。

(※以前、特にアナログ作業だった頃は、構成は文字ネームも詰めた後にかっちり全体のビジュアルネームを何度も直して、作画もアタリから下描きして丁寧に描き込んで..といったやり方でしたが
デジタルに慣れた今では、文字ネームは何度も見直すものの漫画としてのネーム構築はその場の直感で行い、作画は下描き無しで進める事も多くなっていました。
どちらも、ようは何度も同じ工程を経る感覚で、例えば漫画の形を詰めてやりきってしまうとネームの時点で描き上げた感覚になり一区切りついてしまう事に難を感じていて、"完成形の新鮮感"を取って現在のやり方に移行していたのでした

特に今作『かみさまのふね』は、"この御話を描きたいが為に"アルファポリスを始めた、その目的作でもあります。
本来もっと準備にも制作にも時間をかけて、万全の状態で発信して然るべき、重きを置く一作でもあるはずでした。
ただ、それは進める中でも意識出来る事ではあり、また、準備を万端にと考えている内はいつまで経っても始まらないものであったかも知れないのでした。

(※少し違う話やもですがnoteの記事も下書きを何度も直しある程度良い形になると満足して公開しないままになっている事がよくあり、この記事やひとつ前の1ヶ月前公開の映画の初日感想なども正にそうなのでした。”ここで完成させて発表する”という”〆切”はとても必要なものなのです

昨年連載していた準備篇chapter.4「生まれを想う」は本編への大きなブリッジとなる一篇だったのですが、意図せず丁度"ウチの子"の誕生日の日の更新で完結を迎えるという不可思議な巡り会わせがありました。
これは今始める時なのだと、ほぼ間を空けずに週イチ更新の形式を継続する形で、本編『かみさまのふね』の連載を始めたのでした。
(※この辺りは詳しく記事にもしておりますゆえ後程にでもお読み頂けましたら▽

そうしていなければ今でも、もしかしたら構成を練っていたり作画を何度もやり直していたのかも知れません。
少なくとも、あの時に始めて、続けて来ている事で少しずつでも重ね続けていた”形にしての発信”がこうしてここに至り纏まったものにもなっている訳で。
その事には後悔はありません。
その上での、歩み続けながらの、第三者視点に向き合えた機会が今回だったのだと思います。

誰かに伝わらなくてもいい
ただ形にしたい
毎週少しづつでも重ね紡げる事がひたすらに嬉しい
そうした作品でした。
忙しかったりなどあっても、当日朝からでも夜勤明けからでも
描きたい事は元々決まっているので、漫画の形を組み立ててる事は先述のように然程難なく、作画は場合によってはほぼ絵を入れず表現構築でその週の更新をこなして
そうした事が可能でもあったのでした。
(※個人的には、作画で崩れるくらいなら、台詞とコマ割とコマ内の装飾で綺麗に”漫画”を構築出来るのが自身の技術の一つとも感じられて、その作り上げが好きでもあったのでした

ですが
であるがゆえに
"本当に自分の大切なこの御話をきちんと形に出来ているのか"がどこか蔑ろになっていたのやも知れません。
毎週重ねていく事を第一にしていても、折角週毎の負担を低くする更新方法で進めていっているのですから、もっと一枚一枚に最大限のものを込めてもよいはずでした。
どこか「誰も読んではいないのかも知れないのだし」といった”逃げ道”もあったのだと思います。

絵的なものに関しても、”最低限描けていれば”ではない、もっと日々別途練習を重ねて描けるようになるべきものでもありました。
(※多分に指摘はそこだけでないにせよ『かみさまのふね』を進めつつ自分で具体的に一番嫌なのが、眼鏡描けてないな〜〜..といった事だったりもします。あの子の特徴的な装飾品でもありますのに..と思いつつ。自分は下手だからとどこか諦めていて。そこは今からだってどうとでも練習出来るものでもあり、現時点でももっと意識して違和感を減らす描き方を模索する事も本来出来てはいて。なのに
(そして例えば今時3Dモデリングを学んで素材を作って作画に使用したっていいはずなんですよね。そうした選択肢ややりようも沢山あるはずで
(何よりあの子自身の作画も、本当はとびきり愛らしく可愛らしい少女として魅せるべき子のはずなのに、それが伝わるだけの描画が出来ていない気持ちは自身でずっとありました

2023/09/26の『かみさまのふね』更新はこの絵▽に言の葉が乗る1頁構成だったのですが、上記のような事を考えつつ一枚絵で魅せるならそれなりにきっちり描きたいと何だか少し違って描けたやも知れません。どうでしょうかね..?

普段と違いあまり描き込み線も入れずがかえって良かったようにも感じます
(※note掲載用にテキストレイヤーを消しています

私の話に傾倒だけでは解りづらいやもなので少し話を一般的にして言えば
つまりこれは”描きたいものを描きたいように描いていればそれでよい”というある種よく語られがちな創作論の中で
では「本当に描きたいものを描きたいように表現出来ているのか?」を、自身の為だけでよいので向き合ってみる、というそれだけの話です。
"誰かに伝わる為には云々"ではそれこそ「いや、自分の描きたいものは..」といった”言い訳”が出てしまうという側面もあります。
その前に、では自分の為だけでよいので納得のいく表現をしてみようという話で
これは簡単なようでいて、「自分はこれを描きたくて描いた」の段階と「描きたいと思ったからしっかりとやれるだけの事を詰め込んだ」には相当の階差があるものなのです。

これは例えばnoteのつぶやきや嘗てのTweetなどネットの書込みのような日々の何気ない文面でも同じ事で、どなたとて好きな事を好きな様に綴って構わない訳ですが、その内容をまず自分自身にとって「書きたいように表現出来ているか」という話なのですね。
誰かに向けてとか人目どうこうは別にとか以前に、本当にまず"自分が納得する文面になっているのか"。
そういう話に置き換えると漫画を描かれない方にも伝わり易いやも知れません。


◇今やれる手直しとこの先の御話

先程の作画意識のようにこれからの連載にプラス出来るものと別個、まずすぐに直せる事として過去話の表現修正がありました。
幸いアルファポリスでは投稿後も自由に更新が可能のため、一先ず作品概要欄に補足説明を入れ、序盤のコマを差し換えたりもしました。

修正後△
修正前では上のコマでの説明はこれのみでした△

修正後は少し諄い文面にも感じますが、とはいえ修正前では逆にふんわりし過ぎていたのは否めません。
ここからも展開に沿って必要な情報は順次付与していってはいましたが、確かにまず最初にこれでは「これは何の端末なのか..?」と余計な引っ掛かりを生みますよね。

ここをまず直したというのは、評価シートでの具体的な指摘のひとつに「主人公が向き合うメイン要素である街頭端末遊具がまず何をするゲームなのかが不明瞭で、初期段階で興味を惹かせ読者を導入させるべきではないか」というものがあって思う処に繋がったからでした。
これに関しては先述のように御話が進んでいく中で台詞の端々に重ねてはいたのと
また、本筋はそこで出逢う"あの子"との日々であり、舞台装置に過ぎないその端末がどんなものか最初に詳細に語るとそれそのものに特別な何かがあると読者が捉えてしまいかねないとも思っての"最低限"でもありました。
只、考えてみれば詳細不明瞭のまま物語が進むと読者は逆にそこに引っ掛かってしまうのかも知れないのは確かで、それはかえって余計な躓き要素で直すべき箇所であったと思い直したのでした。

例えば以前私は別の作品で、こちらが特にそう意図しない何気ない描写に関し知人から「これ何かあるんじゃないかと思っちゃいますよ」と指摘された事がありました。
これは情報の出し方ひとつでそこに意識を置かせる/置かせないをコントロール出来るという事でもあり
読者の深読み云々でなく、そう感じさせる描写を出来ているか/してはいないかという話なのですよね。
(※ここを言い出すと人によっての話としてはキリが無いと云えば無いのですが、あくまで自身がどう意図するかに関しての話として

こうして要所要所振り返り必要があれば直しながら、更新は更新で変わらず毎週進めております。
何かご意見あれば是非お気軽にお聞かせ下さい。
何というかですね、評価シートに関しましても、こう言われたからこうしようといった事ではなく、”第三者の方が作品を読んでくれてまっすぐ感じた事を伝えてくれた”そのものに、自分がこう描いて終わりではない、そこにちゃんと他の人が居て下さる事への改めての意識というか、その人の為に云々というのではなく、
ちゃんと読んで下さる人が居るのならもっとちゃんと描けていなくてはと姿勢を正したというか
長々と綴ったこれらはつまりそういう話でありました。

アルファポリスのシステム上で、更新の度にアクセスしっかり頂けていて更新日以外にもちょこちょこ細かく読んで頂けているのは視認出来るものの、どのように思われているのかまではなかなか判らないものです。
あくまで今回は私の為の御話ながらも、それが私の"そう描きたい"ようにどなたかにでも伝わって頂けているかが鍵でもあるのでした。
お読み頂けた方で、もし何かお聞かせ頂けるなら、それは"あなたがどう感じたか"、それだけで構いません。
アルファポリス側でも、noteのクリエイター宛連絡でも
お聞かせ頂けるものがありましたら、是非。

『かみさまのふね』の想定展開はまだまだ先は長く、今後も暫しこの御話を重ねゆきます。
初回から最新話まで登録も無く無料で御読み頂けます。
今作は今迄の漫画の描き方とも違い、モノローグを中心に進めていく形式で描いている作品で更に人を選ぶやも知れません。
そうした仕様かつ少しずつ毎週更新の御話では御座いますが
ご興味頂ける方はどうかお付き合い下さい。


◇余談1:アンケートを求めさせて頂いた際のおはなし

さて、ここからはこの機会に幾つか関連余談です(長々の上にまだ書くのかと申し訳なくも)。

私のやりいいようにしつつ、それでもやはり読んで下さる方がおいでを意識して、気になる事をSNSでアンケートさせて頂いた事がありました。

先述のように、私はアルファポリスにおいて昨年年頭から毎週更新を重ねているとは申しましても、一時期の描き下ろし短編や過去作の手直しを一作まるまる載せていた時期もあれど、新作連載は毎週1-3頁程度の少しずつ少しずつの形式をとっていました。
これを、読まれる方としてはどのように感じておいでか、また、書き手読み手双方の立場からこうした形式をどう感じられるかといった
そこの興味は存在していたのでした。

まだ私がTwitterを利用していた頃のアンケート。準備篇chapter.4「生まれを想う」連載中時期に伺ったものです。

上記アンケを行ったのはアルファポリス投稿を始めた際に作成した創作特化の宣伝アカウントで、正直普段の日常アカウントに比べ拡散力が無いのを判っていながらあえてこちらでのお訊ねでしたが意外と回答頂き、そして偏っているようでいて実は読者/作家の枠をなくし各々を合計すると
「1頁ずつでも毎週更新の方ががよい:42.9%」
「暫く更新無くても纏めて読めた方がよい:57.2%」
というそこまで大差の無い結果ではあったのでした。
(処で合計101%というこの(あと2項目目単体と1+3項目目合計パーセンテージが同じというMiracle

ここを踏まえると、ある程度はやはり纏めて読めた方がよいのはそれはそうであろうなというのと、毎週更新を歓迎して下さっている人もおいでというのと、アンケートはあくまで参考で真に受けると痛い目を見るとよく知っているというのと
詰まるところ"人による"を可視化出来たところで、結局これまでのやり方を継続する事としたのでした。

また、このアンケート関連で第三者の方に「連載は連載で続けて、改めて纏めたものも公開するというのもよいのでは?」という提案を頂き膝を打ち。
そうなんですよね、別に一個に選ばずともそんな展開も自由な訳で。

そしてその歩みの先に、あの子の誕生日にchapter.4は完結し本編へ橋渡しするという未来に繋がったのは先述の通りでした。
歩みながら迷っても、歩み続けたのは正解だったのです。

そうして、歩みの中で他の方の存在を意識できたのもまた収穫でありました。
とてもとても、有り難いことです。


◇余談2:自身の好きをきちんと表現していたものが沢山の人に伝わった、二次創作時期の御話

少し昔話をします。
要素的に記事にも繋がるものはありますが、基本長々とした昔話です。

私が商業方面と多少御縁があった頃、若かった私は担当さんの話が受け容れられず沢山の時間を消失させていました。
その先に漫画を描けなくなった時期もあったのですが、その後人に発信出来るところまで立ち戻って来た切掛は
とある作品の二次創作でした。

商業作品を原作として個人が制作した漫画や小説などを同好の士に発表する活動"二次創作"。
私の漫画の出発はオリジナルを描く"一次創作"でしたが、大学で二次創作文化にも触れ自身でも様々な作品を題材にし、冊子を作り頒布する所謂"同人活動"も経験し、かのコミックマーケット出展をはじめそうした同人誌即売会にも参加していた事は以前もありました。
その当時、大学や即売会で知り合った人脈は
既にプロの人や後にプロになる人や若くして商業に行って潰れてしまった人なども居て
そうした沢山の出逢いや道違えなどもあり、また
SNSが発達していなかったこの頃ではこの後に触れる程ではなかったものの所謂ジャンル界隈の人間関係問題などもあり。
勿論そうした出展サークル側のあれこれと別途、試行錯誤して描き上げた原稿を自費で印刷製本発注しディスプレイした冊子を目の前で見知らぬ誰かが買って行って下さること、読んで下さった方が感想を下さることなど素敵な体験も沢山沢山沢山ありました。
(それこそ後にプロになった人が「頂いた御本、正直言うと最初は絵柄で読んでいなかったんです。でもふと読んでみたら、漫画上手くて。。」と言って下さった事を今でも覚えています)
そうした様々な経験をしました。

最初の投稿作が漫画誌で賞を獲りそちらで結果を求め視野も気持ちの余裕も狭くなっていく中で二次創作からは離れていました。
その日々の中で漫画を描く事の楽しさを思い出させてくれたのは、今迄全く触れた事の無いジャンルでの二次創作でした。

その原作作品の登場人物の関係性に嘗てない新鮮な衝撃を受け、私にとってまっさらな処に来た事で何かを揺さぶられたのか、自分らしくはないと自覚しつつも本編の関係性を少し誇張したような振り切ったネタで漫画を描き始めました。
今迄描いた事のなかったような題材且つコメディで、私自身の照れもあり名前を変えてネット投稿をそっと始めてみたのですが絵柄等で友人には即バレてしまい、シリアス一辺倒だった今迄とのギャップに驚かれたものでした。

そしてその二次創作は
当時私自身が只楽しくて描いていただけのはずのそれは
どんどんと評価して下さる方を増やしていきました。

どう作れば商業方向で行けるのかといった事とずっと向き合い、その先に居る”読者”さん達が、描いたものをやりとりするのが(友人らに参考意見を訊く事はあれど最終的に可否を告げるのは)担当さんのみとの中でずっと淀んでいた日々とまるで違う
只々自分が好きなものを好きな形で表現する事で、それはそれを好きな人に”好きな形で表現されている”作品としてダイレクトに届くという
むしろ表現活動の基本に立ち戻った世界がそこにありました。
(※これは実はその担当さんも私をそこに導きたかった日々ではあったのと今では思うのですが、とてもそう導いている形に私は感じられず、私自身だけでもそこには至れなかった日々だったのでした

同人誌即売会にも久々に参加し、本当にダイレクトに目の前で”読んで下さる方々”からの称賛や、交流の広がりも起きていき、やり甲斐と楽しい日々が今度は巡って来ていました。
担当さんとの日々では得られなかった、”好きなものを自分が描きたい形に描く事でそれを好きな人にちゃんと届く”を自然と思い出せた日々でした。

この切掛となった二次創作元の作品が完結した際、その結末は、個人的に整理のつかない在る意味では絶望すら感じるような幕引きでした。
とても今迄のような誇張コメディを描く気にはなれず、また、その二人の、原作ではもう描かれない未来を(私の自己満足だとしても)描いてあげたくて、真剣に筆を執りました。
私を楽しい漫画創作に引き戻してくれたその子達の未来を、原作を尊重した上でその先の可能性を丁寧に丁寧に、私本来のシリアスストーリー漫画として描き切りました。
そのカップリングを描き始めてから私を知った方々には逆にそこまでのコメディと一転した作風に驚かれながらも、やはり同様にショックを受けていた方も多かったため、強く強く響いて頂けたようでした。

自身で形にして未来を祈った事でひとつの整理にもなり、それからは新シリーズなども題材にし、少しコメディチックも添えながらも、丁寧な私本来のやり方を芯に置いた表現に移行し二次創作活動は続きました。
そのジャンルの即売会イベントが定期的に開かれていた事もあり私は参加を続け、以前の作風を好きな人にはウケないのではと思いながらでしたが、逆にそうした誇張を好まない、物語をきちんと紡いで描くやりように惹かれて下さる方も増えました。
ノルマのように即売会毎に新刊を作る事にこれは違うのではと感じるようになりジャンルを離れ様々別作品を題材に描くようになった頃にも、私の漫画そのものを好いて追って下さる方もいらして、自身のやりようは紆余曲折ありながら良い形に辿り着いていたと感じていました。

ただ
読んで下さる方にだけ向き合っていられたらよかった処を
どうしても人が集まると発生する、ジャンル界隈というものはどこにでもあり、そこでの様々な人間関係の状況も活動には隣接していました。

言ってしまえば私は自身の表現が先にあって、同時に勿論その作品に惹かれるが故にそこにファンアートとして漫画の形で表現を返す、そうした活動でありました。
ですが「”界隈の人付き合い”に参加しないのなら同人ではやっていけない」という言動をする人達も居ました。そのジャンルでは初参加時に馴染めなかった即売会の様子をイベント後追っていると、隣接だったサークルの人やその周辺でそうして私が学級会(※同人用語。誰かを槍玉に挙げ界隈や個人の主義に基づいてどうのこうの話し合う様子)されているのを見てしまった事もありました。
そこまででなくとも、ジャンルを跨いでも何らかの即売会に参加していれば有名な方とも顔見知りにもなり、挨拶回りが無いのはその人を避けているのかと言われたり、そうした面倒事も伴い始めました。
勿論仲の良い人も出来たりふと初参加した処で良い御縁があり楽しく過ごせたりそんな事も多かったのですが、どうにも面倒事も同居の煩わしさも存在していました。

”コミュニティに属したいが故に””人付き合いが欲しいが故に”、作品が好きだからよりも、人脈や仲間欲しさが先立ちその為に何らかの作品を媒介に界隈を求める人達も少なからず居ました。
でもむしろ上手くやっていけるのはそういう人達でもありました。

そうした中、ある時
とあるジャンルで人間関係の大きなトラブルを受けました。
私は、良い機会だと思いました。
正面から動ける即売会での事は運営へ通報するなどやれるだけの事はやった上で、私は界隈を離れました。
私の受けた事や界隈からの離脱を気の毒に思われる方もおいででしたが
その後少しして丁度コロナ禍に入っていき即売会の開催自体が見合せられる世界となり
私にとっては何だかこれら全てはむしろ本来の一次創作に立ち戻る為の良い巡り合わせにも思えたのでした。

再びの二次創作で漫画の楽しさに立ち戻って描けるようになった事や沢山の評価に嬉しくあっても、私の本分は一次創作だったはずでした。
一個の漫画作品として読んで頂けていたにせよ、どうしても元の作品がある事には変わらなかった事は以前から引っ掛かってはいたのでした。
私にとって二次創作で何より大事だったのは自身の表現を使ったファンレターを構築する活動であっても、コミュニティではメインは交流やファン活動です。
交流が嫌な訳でなく、そこを第一に"界隈"が生成され距離を取る事が怪訝そうにされる空気に、であれば半端に関わるのはかえって良くないような、私自身の人付き合い下手でもあるでしょうがそうした感覚はどうしてもありました。

先述のように露骨に言葉にされる事もありました。
そうした私への揶揄でなく、私の距離感を心配した人から「折角同じ作品が好きなんですから..!」とコミュニティに迎合する事をそっと勧められたりもありました。
これは私個人だけの事でなく、大きな界隈だと色んな人が居るという話だけでなく
例えば小さなジャンル界隈でも”身内”感に巻き込まれる事に辟易し離れてしまった人もおいででした。
逆に、大きなジャンルで界隈自体や個別人に否を唱え一定の距離を置きながらも、そこで出逢った一部の友人方と丁寧に交流を保っている人も居ました。
これらは全て考えようやりようの話であるのだとは思います。

そうした諸々を経て私の現在の、どこかに属する事も大きく交流を持つ事もない、個人の緩やかなネット発信に至ってはいるのですが
心置き無く描けているようでいて、それは嘗てのように自身の作品としてちゃんとどなたかに届くものであるという事から意識が外れていたのかも知れないと
襟を正したのが今回の機会であったという話でありました。
(あと只々昔話です

この昔話は以下の記事でも更に詳細に記しています。自身の漫画遍歴のひとつとして、商業との関わりから始まる長い現在までの語りの一部です。御興味お有りの方はこちらも宜しければ▽


◇余談3:代行ながら久々即売会の機会

この記事を下書き置きしている間に素敵な機会が巡って来ておりました。
間接的に久々の即売会参加時のような準備を楽しめました。

私の自費出版冊子は一時期からメロンブックスさんに委託頂いています。
メロンさんは独自の即売会を開催するなど意欲的に色んな企画も練って下さるのですが
先述の諸々でリアル即売会を離れただけでなく、昨今のSNSでの色んな人の二次創作を取り巻く様々勝手な論争/喧騒に嫌気が差した私は現在二次創作自体からも距離を取っており
冊子在庫も取扱い期間更新の際に処分頂いたりし、ご興味頂いた方に投げ銭程度でお読み頂ければと少額で電子書籍のみ残しているような状態で
初期に在庫移動で参加出来た時は別として、新規納品が必要となるとそうしたイベントのご案内を頂いてもここ暫く参加はしていなかったのでした。

そこに
2023/10/29開催の第2回秋葉原「超」同人祭+において”DL参加”という枠のご案内がありました。
会場でのQRポップでの個別紹介/現地その場で直に購入可能な”即売会”扱いに加え
DL参加特典として、会場で頒布するチラシペーパーの代行発行まで頂けるという新企画を起ち上げて下さったのです..!

流石に興味を惹かれ申込をし、無事参加枠に当選し
サークルカットとペーパー原稿を作成し
更に折角の機会なので古い既刊でデータ化され残っているものを新装版電子書籍として新刊扱い登録する事と致しました。

これらの作業が非常ーーに楽しく。。
特にペーパーに関しては、実は先述の”二次創作に戻って来”て以降お品書きはイベント都度作成していてもペーパーってほぼ作らずでやっていたので
つまり、物凄く懐かしい作業だったんですよね。。。。
その辺はペーパー自体にも綴っておりまして、秋葉原に行ける方だけではありませんからイベント後に公開もしたいと思ってはいるのですが、現物はそこで配布されるもの限定となりますのでご都合の付く方は宜しければそれだけでも貰いに行ってやって下さいませ。

あと今回新装版にした古き既刊の内、一つはその”最初に二次創作に触れていた時期”大学時代近辺の作品で。
当時の事を色々と思い返したんですよね。。
当時これだけはジャンルの色が全く違う作品を原作に描いた漫画で、でもそのジャンルの方にもかなり好評で
隣接した方はその本人のみでなく私の既刊の全く別ジャンルの本まで手に取って下さり、そちらは原作を御存知ないにも関わらず物凄く泣いて下さったそうで..。
それからイベントで元ジャンルで出て配置が離れた時にも挨拶に来て下さったりもして、その時に所謂”落描き本”(※日頃のラフ画等を纏め解説やフリートークを添え構成したイベント用コピー本。そうしたものを刊行する人は結構いらして、完成品とまた違う魅力を持つ種類の、ある種貴重な段階が視られるものでもありました。私は頻繁に即売会参加しており必ず”新刊”は出すようにしていて、纏まった漫画が間に合わない時はそうした本もそれはそれで楽しいので出していたのでした)だった時にも手に取って感想も下さり
そこで「絵が見られるのも良いのですけど、かほうさんの漫画が読みたいですね..」とまで言って下さっていたのを本当に有り難く記憶していて...............(※当時”かほう和裄”表記でした)。
やはり私は漫画を描かなくちゃと感じたこと
二次創作でも”私の漫画”を読んでもらえていたこと
沢山沢山思い返しました。

今回のような遠隔参加は気楽で良いものの
そうして現地で自身で出展していたからこその体験も沢山あったんですよね。。
先程の大昔の話とまた違って二次創作に戻って来た後の時期の話、私自身も別日に参加していたコミケで友人のスペースに手伝いがてら既刊を置かせてもらった事があったのですが
置いた本を見てお隣のサークルさんが驚かれて「かほうさんですか..?!」って。
その既刊は先述の、私が戻って来る切掛の作品が完結後に祈りを篭めて綴った自身でも強い想い入れがある作品でしたが、その方々も物凄く物凄く響いて下さっていたそうで。。。。
でも意外と、自身でもそうですが凄く良い作品があって「うわ〜良かった..!!」となっても作家さんに感想を送り付けたりってなかなかないんですよね。
その方々も「まさかこんな風に感想をお伝え出来る機会があるなんて」という御話で。
そうしてあの場に行かなければあのように直に聞かせて頂く事もなかったであろう強い感想を受け、こんな風に見知らぬ他の方にも沢山沢山沢山伝わって下さっていたのだろうなぁ..と、感慨深い想いを大切に抱えてあの日は会場を後にしたのでした。

喧騒から離れ静かな場所を選んでいる今は、穏やかであっても、こうした事に巡り逢う機会もなかなか得られなくなってはいる訳で
そこはどちらも取れないものではある訳で。
(別段即売会やファン界隈だけが交流の場ではないので、他でゆるりとする中で私の創作を知って下さった方もおられたりもあり、広がりなんてどこにでもあるものではあれ

今回はまず自身で準備自体がとても懐かしく楽しかったこと(※大事!
そしてもしかしたら今回ご興味持って初めて読んで下さる方や、久々に私の漫画を目にして下さる方がおられるやも知れないこと。
こうして過去描いて来たものも形として御紹介を続けて下さるメロンブックスさんへの感謝と共に当日を楽しみにしております。
対象電子書籍やイベントに関してはまた近く別記事を綴りたいと思います(そこをここでやり始めると記事の主旨とズレるのとまたこの記事がずっと公開されないと思いますゆえ。。)。

新たに届くかどうかの前に発信内容はきちんと。
ちゃんとそこは大事に行なえました。

そうした話として、この記事の最後の余談を締め記事を終わります☻
長文御読み下さり誠に有難う御座いました..!

インフォメーション!(*˘︶˘*).。.:*

記事はここまでですが、
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