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遠き銀色の友人との抒情詩 -”一般映画としてのウルトラマン”から紡ぐミリタリーsfとしての最新作-

あなたは"ウルトラマン"と聞いてどのようなものを思い浮かべるでしょうか。
もしも一作も触れた事がない、キャラクターのイメージしか知らない、そんな方にこそ観て頂きたい映画が2022年に公開されました。

身体の大きさから地球人とはまるで異る、銀色の美しい姿をしたその異星人との絆を紡ぎ
エンドロールへと溶けゆく珠玉の112分。
映画『シン・ウルトラマン』とはそうした作品でした。

一般映画として そして全てが見事に”ウルトラマンという作品の根幹”を元に作られた”空想特撮映画”『シン・ウルトラマン』は現在Blu-rayソフト等家庭用再生パッケージ各種や配信サイトでも観賞が可能です。

私はこの映画を”『シン・ゴジラ』の書式でウルトラマンを撮ったもの”といった感じの期待で観に行きました。
その先に
あれ程の 感情をずっとスクリーンの向こうに馳せてしまう程の 抒情詩を体感させてもらえるとは思ってもみなかったのでした。。

劇中で長澤まさみさん演じる浅見弘子がウルトラマンを視て「あれがウルトラマン..! ..綺麗。。。。」と吐息のように呟きます。
正にそのシーンで私も同じことを感じていて。。
物販で購入したアクリルスタンドの背中を、観賞後ずっと見詰めていたものでした。

この背中の美しさを公式も推していたと思われるメインビジュアルの見返り美人。。
「あれがシン・ウルトラマンBlu-ray..! ..綺麗。。。。」
パッケージからして本当に綺麗な"彼"の色をしております。。
「霞ケ関の独立愚連隊へようこそ〜〜♪」
当時描いた、元ももクロ早見あかりさん演じる船縁由美さんのファンアートです。

元々公開当時の感想をnoteに移植したいと思いつつタイミングを逸していたのですが、最新tvシリーズ『ウルトラマンブレーザー』が「シンウで初めてウルトラマンに触れた人達に刺さるのって正にこうした質感じゃあないのかな..!」と感じる本格ミリタリーSF且つ圧倒的な熱量の作品で
その切掛もあり、そうした初めて”ウルトラマン”という創作劇に触れた方へも含めて記事を構築してみようと思った次第です。
(※思ったのですが、下書き放置熟成の内に放送終了してしまいましたね..!;(私のパターンです
何にせよ今度こそ放つ機会と致します

※紹介記事でもありますが、ある程度内容に触れる記述も御座います。より具体的な物語言及等に関しては事前に添えますが、ご注意下さい※


✧邦画における”ヒーロー映画”というもの

洋画においては今やマーヴェル系をはじめ”ヒーロー”題材の作品は、日本国内でも一般映画の位置付けで大きな市場を築いています。
言ってみればそもそもジャンルとして”SF映画””アクション映画”であり、創作の題材としても魅力に満ちた要素を多々持っています。
にも関わらず日本ではどこまで行っても”基本は子供のもの”という謎の縛り付けが長年根強いものでした。

『シン・ウルトラマン』はプロモーションからして”一般映画”を徹底していました。
それは別段そうした事を強調するものではなく、逆に只々”普通に”映画の宣伝を行っていたのです。
出演者もスタッフ陣も主題歌担当も有名処。タイトルも著名であり後は人をどれほど動員出来るかです。
公開前後に朝昼の情報番組等でも俳優生出演での宣伝活動が多々見受けられました。
そうした事もあって沢山の一般層にもこの映画が届いた様子でありました。

先述の縛り付けというのはジャンル外からの偏見だけでなく、一部の偏った特撮ファンの側から”特撮は子供のものでなければならない”という押し付けも嘗て多く散見されていたものでした(これは今でもそうした人は居るのかも知れません)。
あくまで創作表現の手段でしかない名称をもってその内容や対象を第三者が縛る事はあっていいものでないと私は思うのです。
嘗て同様に”子供のもの”とされていた漫画やアニメーション作品が今や1個の表現手段に過ぎず一般的なものとなっているような変遷は時代の中で自然と起きゆくものです。
何事に於いても”多様性”という概念が浸透している今時、とうにこうした諸々は古き彼方となっているのかも知れません。

米津玄師さんの主題歌がまた曲も歌詞も染み入るもので、異星の来訪者を英雄と捉え向き合うこと、また、メタ的に”嘗ての幼少の日々にあった英雄の面影”としても結実していました。

そして大事なこと
別段シンウは大人だけが観る映画だなどといった話でも勿論なく、純粋に子供がウルトラマンと禍威獣(※シンウにおける怪獣の呼称)との戦闘に沸き立ち人形を握りしめ眠るなどもとても素敵な事だと思うのです。

私はどの意味でも作品表現の立ち位置を限定し狭める事を良しとしないといった話をしたいのですね。。
邦画は本来こうしてもっともっと育っていける世界だと感じています。

✧令和にミリタリーSFドラマを毎週枠で攻めた最新作

近年に無い気概を積み上げ積み上げ、魅力と熱意に満ち放送を終えた最新tvシリーズ『ウルトラマンブレーザー』。
まずは公式配信されております第1話を引用してみますので、未観の方は一旦タイトルインする辺りまででもご覧になって頂けましたら。。
(先に申しますが、サムネで映っているウルトラマンはそこまで一切出てきません。が、このフィルムの空気感がはっきり伝わる構造です..!

正直な処、放送前までにあったSNS告知や番組紹介特番で出た情報や映像を見る限り、やけに今回は”趣向の異なる一作”とアピールするものの、平成/令和ウルトラマンの書式の亜流の範囲に思えていました。
が、
初回リアルタイムで観ていたのですが、まず導入からの緩急そしてゲント隊長の降下と強い劇伴、この辺りでもう”撮り方”が違うと感じ
タイトルインをこの入れ方してCMに行った事に何とも”感心”に満ちてしまったのでした。。

『ブレーザー』の新鮮なワクワク感は映像作品としての”撮り方”だけでなく、始まって暫くは毎週の怪獣が全て新規だったというのがウルトラマンTVシリーズとして相当に久々のことだったのにも由来します。
と申しますのも、シリーズを追っている方は御存知の通り、一時期以降前作までずっと過去作との繋がりでの集客に固執する…というか冒険出来ない状況が続いており、
怪獣も第1話からもう過去の人気チョイスで特に意味も無く出され、更に雑に倒されたり、ウルトラマンも別作品からの客演が初期から当たり前となり、
"新シリーズ"として新たに登場するウルトラマンも神秘性でなく”キャラクター性”そして”過去作との関係性”を前面に出した構築展開が主体となってしまっていたのでした。
これはシリーズファンへのサービス的な側面や、中にはその過去作が気になり観てくれる人も期待出来るのやも知れない反面、どうしても内輪に籠もりシリーズの未来開拓に難ありとも感じさせるものでした。

実は『ブレーザー』でも話数が進む中で過去作の怪獣や異星人が登場する回もあるにはあって最初はあれっと思いもしたのですが、逆にこの作りの今作でどのように扱うのだろうという期待にも転換されるものに昇華されており、これならという新たな魅力にもなっていたのでした。
そして登場する”ウルトラマン”は最後までブレーザーのみ。
客演で(あえてストレートに言えば)少ない話数の邪魔をされるような事も一切なく、”あの世界”のドラマだけを描いて放送を終えてくれたのでした。

ブレーザー前の2年は”TDG25周年記念”と称し新作企画自体が既存作のリブートとして展開されたのですが
まず2021年の『ウルトラマントリガー』は副題にも”ニュージェネレーションティガ”を冠し、
意欲作であった1996年の『ウルトラマンティガ』(※その後著名アイドルグループV6の定番曲となっていった『TAKE ME HIGHER』は元々この作品の主題歌で、主演にもそのメンバー長野博くんが起用されるなど話題作りにも貪欲、作品内容としても温故知新のアイディアと真摯さに満ち、”光であり人である”ウルトラマンの神秘性を正にそのキーワードを使いながら掘り下げていく作劇でした)を原案としています。
『ティガ』から始まる”平成3部作”をリブートする はずが、その『トリガー』が既にかえって変な縛りと安いセルフパロディのようになってしまっており、伸び伸びと作れていないのではと引っ掛かる要素にもなっていたと個人的には感じていました。
初年が特にそうであった反省か、翌年『ダイナ』原案の『デッカー』は要素を拾いつつかなり自由度を増し
その迷走の中でも私個人がTDG内で想い入れひとしおの『ガイア』を扱う3年目に期待していた処、このリブート企画は何の説明もなく中断され、突然お出しされたのが『ブレーザー』でした。

正直”ニュージェネレーションガイア”も観たかったのはかなり観たかったのですが、重ねたリブート企画に先述のような無理を少なからず感じていたのも事実で。
とはいえ言い出した事を最後の年で止めてまで突如として現れた謎の新作『ブレーザー』。
それがあれ程に、”今これをやらなければ”と言わんばかりの、どれ程ぶりかの”本当にちゃんと一個のまっすぐな新作として作られているウルトラマン”であったことに、その真摯な姿勢に
円谷側でも感じていたと思われる危機と未来への本気の取り組みを感じ、これはこれで良かったのだと今では思っているのでした。

そして
ブレーザーのデザインにはガイアとアグルを思わせる赤青二色の紋様が込められていたり(※『ガイア』には”人類を護る”立ち位置と”地球を護る”立ち位置の二人のウルトラマンが居て、その意味の差異、変身者双方が世界同時多発出生を受けた天才児集団アルケミースターズの出身であることから量子物理学を物語に組み込むなど非常に密度の在るドラマ構成をされていたのですが、その辺りも天体物理学を伴う活動銀河核”遠い銀河のブレーザー”に繋がっている感覚あったのでした。。)、
『ガイア』劇中のシーガル・ファントップぽい特殊車両が少しだけ出て来たり、
最終話、『ガイア』の異星脅威概念である”根源的破滅招来体”と思わせていたV99にああした意味合いを持たせたり、これも大切な概念であった”地球怪獣”も同時に扱ってくれた感もあって、
決してそうとは言わない中で、どこか”ニュージェネレーションガイア”の要素も置いてくれていた嬉しさもありました。

▽一個の作品としての『ブレーザー』の全体構成/作りの上手さの諸々についてはこちらの記事がほぼほぼ私も思っておりました同様に書き綴られており、重ねて書かず引用とさせて頂きますので後程にでもごゆるりと(※深く全体の物語内容に触れておりますので未視聴の方は視聴後に。。)

私としても一個
あえて未視聴の方へも明かしてしまうと、最終話でもブレーザーの”正体”は語られないままでした。
ですが
遠き宇宙からの来訪者です。全てが判らずともむしろ当然のことで
それでもその存在との絆を紡ぎ、共に手を取り未来へ進む事を
『ウルトラマンブレーザー』全話を通しあれ程に魅せてくれて
だからこそこれは物語全体の意味合いにも繋がっていて。
本当に素晴らしい新シリーズでした。。
未視聴の方は是非その軌跡を追って頂ければと存じます。
(この記事的にも、『シン・ウルトラマン』もまたそうした物語であったと感じるのです

さて、2024/2/23に公開が予定されている劇場映画もブレーザー単体での”劇場版という形のアンコール”。
タイトルは『大怪獣首都激突』と全力で”怪獣映画”である事を強く打ち出しており、その方面でもワックワクなんですよね。。
正にそこへ監督も言及した、最終話後の様々な想いも語られた公式動画引用しておきます▽
(※TVシリーズ結末までの物語内容にも深く触れておりますので未視聴の方はまず本編ご視聴を..!

今後、場合によっては昨今配信ドラマで作成されているオールスター作品『ウルトラギャラクシーファイト』にブレーザーも並行同位体としてでも登場してしまうのかも知れませんが
(実際私も歴代ファンではありますので共演を観てみたくないと言えば嘘にもなりますが)、
出来うる限りそうした例外以外は無理矢理世界観を結び付けたりしないでくれるといいな〜〜..と思う次第です。

完全に余談ですが
私、”そうとは言わず”に見事”スーパーマン”を描いてくれた映画『マン・オブ・スティール』が大好きなのですが、あの世界で次回作を期待していたら次もう『バットマンvsスーパーマン』にされてそこからジャスティス・リーグのマルチユニバース展開だったじゃないですか..。(だったんです
『ブレーザー』に関しても、それは私だって”夢の共演”が嫌いな訳じゃないですが、昨今のそれ前提でパーツみたいにされるのはもう夢とかでなく違うんですよみたいな、折角のあの独立した素敵な世界にまだ起きてもない事への警戒を少ししてしまったりもするのでした。
(この手の代名詞アベンジャーズって個々の映画が沢山あった中であれが動いたから皆ワクワクしたはずというかあれも途中から前提パーツ準備はまぁあった訳なのですが..

△久々の予告だけでもう泣いちゃった。。
”そうとは言わない”シーンがこの時点で含まれており
と余談終わり(予期せずマンオブスティール本編観返す切掛です。。。。

✧予備知識など必要ない、令和の一個の映画(※途中から内容詳細に深く触れます

順逆ながら以前『シン・仮面ライダー』の記事△でも触れたのですが、『シン・ウルトラマン』公開当時も「元ネタを知らないと楽しめない初心者お断り映画」という見当外れの無責任言説がSNSを転がってもいたものでした。
結局の処こうした事を言う方は”自分が元ネタを知っている”処で止まってしまっており、”原作”の要素が実際にはどう新規創作劇として昇華されていたのかに考慮が及ばず、そしてそうした言動程興味本位に拡散され易い大衆SNSの碌でもない構造上の話でしかなかった訳でして。

私はこの映画の原作である初代『ウルトラマン』の知識がある上で『シン・ウルトラマン』を観賞したのですが、知っているから唸るあれこれが同時に尽く初見の方にも響く作りになっていたのが神業すぎて
そういう面でもずっと驚きの映画体験だったんですよね。。

未観賞の方に向けた感慨感想は記事冒頭にも綴りましたので
この先ちょっと先述の”原作を一個の映画にどう昇華したか”の辺りを詳しく、同時にこの映画に感じ入った様々も綴ってこの記事を終わりたいと思います。

※以下、映画全編の内容に深く触れますので未観賞の方は是非先に御観賞の後に。。※


◇◆◇
◇◆◇

逆にですね
例えば
初代の本編を観た事があり、長年シリーズを重ねて構築された設定などを知っている身としても
”ゼットンを連れてくるゾーフィ”が”当時の児童誌の誤植/誤報ネタを拾ってる”なんてのは今作の感想を追ってる中で初めて知った事だったんです。
観賞中は普通に「ゾフィー隊長をこういう役回りで登場させてゼットンをこういう使い方するなんて..!!」って物凄い高揚してたんですよ終盤の展開。

元の”ゾフィー”と”ゼットン”を知っている私ですらこうで、
これ一つ取っても全部知らない人からしたら更に
”ウルトラマンと同郷の存在”から語られる地球に対するあの判断や、”天体制圧用最終兵器”の絶望感等が、あの映画単体として圧倒的に描かれている訳で..。
”一兆度の火球”も元ネタを知っていると少しフフッとなりかけるも、あの展開の中ではひたすらその絶望の表現として成り立っていて、あんな説明の仕方をされると本当に一体どうすればいいのかすぐ真顔になってしまって....。

最初にユニット形態出された時も「今回はこういう”概念”としてのゼットンなのかな」と思っていたら
大気圏外であんな
姿は宇宙恐竜を模していても、初代でアラシ隊員がゼットンを斃したペンシル爆弾的なものを作ったところで今回はどうしようもないような、本当にどうにも出来ない巨大兵器に展開されて…………だったんですもの。
マニアックネタを実は使っていたなど、実際の観賞体験の前では何ら関係ない話だった訳です。

巨大と云えば長澤まさみさんの”巨大フジアキコ隊員”もね
「本当に巨大フジ隊員やった..! でも映画の中で余分な只のネタになってない..?」と心配したのも束の間、ああしてメフィラスの事だけに留まらずその先にまで全部繋げていて、いや上手いなって。。
(そもそもがザラブの展開に惹き込まれ過ぎて、予告でメフィラス出るのは知ってたはずなのに実際出て来た時にそーだったまだここからメフィラス星人のあれこれをするのかな..えっ凄いなこれ2時間に満たない映画だよね..?!となっていたのでした。完全初見の人は言わずもがな。。

ザラブ星人が出る以上”にせウルトラマン”の事も想定はしていたにも関わらず、シンならではのあの展開に胸に詰まる想いを重ね
その先にいざ”本物”が登場した時の惹き込まれ具合の凄まじさったらなかったのに
そこに”例の劇伴”を 一層音量を上げてましたよね..?もしそうでなくともそう感じてしまう程の流され方をして ドッと泣いてしまったのでした。
ここも全部全部、原案作がどうとかとか関係ない”この映画”に惹き込まれていた訳なんです。

ラスト前。
初代最終回の「私は命をふたつ持ってきた」をやらなかったのも、原作に沿う沿わないではなく只々”この映画”の流れとして必然だったと感じました。
最後のリピアーとゾーフィの会話を染み入るように聴きながら
原作を知っていたにも関わらず、きっとその展開はやらないようにぼんやりと感じていたのを覚えています。

実際にそうして、2つの生命体に在る1つの命の残しどころとして
リピアーは神永の存命を選びます。
地上に戻った”ウルトラマンの男”──神永新二が目を開きあの言葉がかかる瞬間に暗転しエンドロールに入るあの構成。
急に途切れて終わってしまったかのようでいて
あれは 少なくともあそこまではリピアーの意識があって
”チーム”のひとりとして禍特対の皆に再会出来た証だったのだと思っています。

そう考えて映画全体の流れを
異星の来訪者である美しい銀色の巨人と地球人達の”友情”が生まれゆく流れを思い返すだけで
あの世界に沢山の想いを馳せてしまうんです。

物凄い 物凄いものを見届けさせてもらえた
そんな
映画でした。

◇◆◇雑感1-遠き友人の”名前”(※内容詳細に深く触れます

締めた形ながら今少し
この機会にこの他のシンウ雑感も幾つか宜しいでしょうか。。

私今回、ウルトラマンと名付けられた外星人に”リピアー”という”彼自身の名前が在ったこと”に、何というか、たまらない気持ちになってしまったんですよね。。

後付でも、今では例えば”ウルトラの父””ウルトラの母”にすら実は”ケン””マリー”という各々の個人名が公式に存在します。
ですが
初代はどこまでいっても”ウルトラマン”が彼の個人名とされたままで。

考え方として、元々M78星雲人には個人名の概念が無く、遠き星の友人がくれた名前を大切に種族としての名称に置き、そこから地球に習うように個々を名乗っていったというものがあります(※非公式)。
この考察自体は私とても好きで、だとすれば確かに初代は特別な名前を個としても名乗れているとも捉えられます。
でも
それはやはり”彼個人の名前”が無いとも言える訳とも思えてしまい。
ここまで来ても言及されず、公式に「マン兄さん」なんて呼ばれているくらいなのでもう今後もそれは変わらないのだと思います。

ですが
世界線は一切交わらない『シン・ウルトラマン』という映画で描かれた”初代ウルトラマン”には、彼自身の名前が、在ったのです。
上手く言えませんが、私は本当にその事が、愛おしくて。

名も無き外星人が地球人類の為に命を賭してくれたのではありません。
禍特対の皆からしても「私達はウルトラマンって呼んでたけど、彼の本当の名前って何だったのかな」ときっと思ってくれていたはずで。

彼の名前は
光の星から来た、地球の発音で”リピアー”。
地球人からすれば”超越的な銀色の外星人”でも、彼は只々、”リピアー”という、命持つ一個人だったんです。
名前というのは、そうしたとてもとても、大切な意味を持つものだと思うのです。。

(※これは創作手法的メタ的な裏話ながら、”リピア”という花が実在します。ヒメイワダレソウの別名。花言葉は「絆」「誠実」そして「私の事を想って下さい」 です..


余談ながら、今回ウルトラ一族の個人名についての公式や考察を改めて調べていた処
ウルトラセブンにも本来個人名は無く”恒点観測員340号”という呼称が設定としてあったらしい事は私も知っていたのですが、そこが現状公式と言えるかに疑問を呈する考察を新たに拝見しましたもので共有しておきます。▽
成程興味深いものだなぁ。。
(言ってみれば当時の”ヒーロー番組を作る”というTV局やスポンサーサイドの企画と、制作側のSFドラマを撮る気概との折り合いから始まり、こうした様々が生まれ育ちしてるのだろうなぁと


◇◆◇雑感2-”ひとりのひと”(※内容詳細に深く触れます

観賞中も うっすら感じていた事ですが、公式に”恋愛感情の芽生え”にも触れていたのでストレートに言及しますと

浅見弘子が恋をしたのは
地球人神永新二にではなく
初めは何もかも噛み合わなかった外星人リピアーに
なのですよね........。

彼女が着任した時点で既に”彼”はリピアーでした。
間違い無く彼女は劇中、ずっとずっと
リピアーとしか過ごしてこなかったんです。
地球人に擬態していても、銀色の外星人の本体に戻っても
そこに居たのは、遠い星から来たリピアーというひとりのひと。

あの後目を覚ました、姿は当人のものでも彼女にとってはリピアーのそれであった神永新二と
あれからどう向き合ってゆくのでしょうね..........。

そんな事にもまた、スクリーンの向こうへ想いを馳せてしまう
本当に沢山の余韻を残した抒情詩
それが
『シン・ウルトラマン』という映画でした。

インフォメーション!(*˘︶˘*).。.:*

記事はここまでですが、
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(※続きの文字は御礼文面です

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