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人間、時間が経てば、賢くなり、進歩し、進化すると思い込んでいる。

人間、時に、常軌を逸した行動を取る。


なぜか。


その行動、当の本人も良く分かっていないことの方が多い。


何かに取り憑かれたのか、将又、気が狂ったのか。


そうではない。


もし、その行動が偶然ではなく、必然だとしたらどうする?



「いやあ、時々、自分も訳の分からない行動取る時あります。自分でもなぜだか分からないんです。本当に不思議です」



「なんか、やばい話してない?都市伝説っていうか。サイコパスとか、マンガや映画とかで観たことあるけど、あれやばいよね。頭いっちゃってるっていうか、人間じゃないよ」



「私は何かに執り憑かれるっていうことはあると思います。お祓いに行って、良くなったっていう人知ってるし。自分でも時々、旅行に行った後とかに、何か体が重いなあなんてことあります。何かもらってきちゃったんだと思います。そんな時は、自分で除霊してます」



「世界には考えられない極悪事件や、信じられないような事故が毎日のように起きていますよね。あれって、何なんでしょうね。単に一人の人間が恨み辛みを膨らませて行動に移すのか、普通に生活していたら絶対に起きないようなこと、起きてるでしょ?本当に不思議。人間のすることじゃないっていうか」…



人間、時間が経てば、賢くなり、進歩し、進化すると思い込んでいる。


精神的に向上しているのかと思いつつ、いつの時代も、人間の成すこと変わらない。


寧ろ、退化していると思った方がいい。


これ、堂々巡りの繰り返し。


やったらやられるの因果応報が渦を巻き増幅している。


人間は、この渦の中を揉まれるようにして生き、憑依している。


因縁や業を解消するためにその機会を窺っている。


人間の縁は、遠く薄いようで、強く濃い。


姿は変えども、そこで起こる出来事は、因縁や業で役者が構成されている。


時に親子であり、時に恋人同士、時に師弟関係であったりする。


突発的な事故や出来事で関わった人々も全て自分自身の人生の大事な役どころ。


己が感じていなくとも、相手がそれを感じている。


人間、肉眼で見えることは上手に対応するが、さもみえないものに対する恐怖心は強く、何とも対応し難い。


然し、そこに縁や因、業は確かにあり、全て繋がっている。


必然なのである。





そのことを肝に銘じ、自分自身の魂の記憶を呼び起こし、今世、何をどうすべきなのか、どうしたいのかを問い、そのことを知り、純真無垢で邪気なく素直に導かれ生きます。





有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者