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どれほどその命を懸命に生きたかが問われる。

人間、うっすらと感じていながらも、信じ切れていない「本当の人生とは何ぞや」ということ。特に“命(いのち)”について考えた時、輪廻転生が在るのか無いのか思い悩む。人間、死んだら一切合切終わりなのか、それとも続きがあるのか。己はどう考えるか。この真理、そろそろ在るのか無いのか、自分の意志で決めた方がいい。無いというのであれば、無いにふさわしい生き方になろう。在るのであれば、在るにふさわしい生き方になる。これは今世の生き方に決定的な違いを生む。どっちつかずの中途半端が一番良くない。「そのようなことを考えたこともないし、考えたくもない!」「在るのか無いのか、そんなことどっちでもいいよ!今、忙しいんだよ!」「そういう宗教のような話は勘弁してほしい!どうせ金か何かの話だろう?」…。このような姿勢、生き様では、残念ながら今世で事を成すことは出来ない。もはや、人類は、このやり取りに結論が出ず、いよいよ末法の世となってしまったからここで云っておく。大丈夫。“輪廻転生”は在る。但し実相には、様々な条件がある。人生の目的は一つ。己の魂、分け御霊として、長い悠久の旅をし、成長を遂げ、元の源に戻ること。その間に、魂は転生を繰り返し、たくさんのことを学び、経験し、悟り、仕上がっていく。その過程において、どれほどその命を懸命に生きたかが問われる。約300年に及ぶあの世での内省の時間を経て、ようやくこの世に生まれ出る時、「今世で必ずや懸命に生き、前世で遣り残したことをやり遂げ、悟りを得て魂を成長させることを誓います」と自ら願い出て、約束をして、転生を許されているという真実がある。“輪廻転生”の仕組みとはそのようになっていることを推して思い出すべし。「その根拠を示せ」などという阿漕なことは言う必要はない。見えないこの仕組みをこの世に表層化させることは、そもそも不可能だからだ。従って、在るのか無いのか、己自身で感じ、熟考し、決めるしかない。いずれ死んだ後に全てのことが明らかになる。その時に、なぜそのことを教えてくれなかったのか?と嘆いてみても、後悔先に立たず。「本当の人生とは何ぞや」という問いが、どれほど大事なことか。今日一日でも、そのことに関心を持ち、熟考してみるのはどうか。そのことを肝に銘じ、人生の真実を理解し得る人間になることを目指し、実行します。有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者