そのことすらも忘れ生きていることの、勿体無さよ。
平等とは何か?「偏りや差別が無く、みな等しいこと」と、ものの辞書ではこうなっている。仏教的視点では「物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であること」とある。現人間社会ではどうか。「与えられる権利、法の下の平等、社会関係上の概念、差別からの自由、政治思想としての平等主義」が挙げられるか。己はどうか?平等というものをどう見ているか?そもそも、平等という概念が、なぜ存在しているのか。人間社会において、誰かの都合が良くなるために考えられたもの…。「平等平等というけれど、一向に生活が良くならないのは、平等な社会にはなっていないからではないの?」「平等に機会は与えられているよ。それを得ようと努力をしない方が悪いのさ!」「世の中、不平等ばかりさ。あっちは背か高い。こっちは頭がいい。そっちは甘い、辛いとか。みんな境遇が違う。いちいち高見や理想を掲げても現実は変えられないよ。」「人生、一律平等なのであれば、こんな格差社会になっていないだろう?平等という名の不平等な世界なのさ。」…。怒りか、諦めの境地か、それとも感謝、悟りか。実相は、一律平等ではないのが真理。単一では出来ていない。即ち、平等の不平等がその中身。今世は、永い長い人生の中で、ほんの一瞬切り取られたものだから、良い時もあれば、悪い辛い厳しい時もある。遣える命が長い、短いもある。ひもじい思いもあれば、贅沢三昧飽食の時もある。その一人ひとりの人生が寄せ集まって出来ている社会なのだから、一律平等と括ったところで矛盾ばかりが生じてしまう。だから、そのことに一喜一憂する必要はない。しかし、人間には、好もうが、好まざろうが、平等に与えられた真理がある。宿命がある。そのことすらも忘れ生きていることの、勿体無さよ。余程忙しく過ごしていようとも、せめてそのことだけでも、知ろうとする努力をした方がいい。
そのことを肝に銘じ、生き様の優先順位を変え、本当のことを知る時間と機会を得れるよう尽力します。
有難う御座います。