“メッセージ”は唐突に。/だけどそれはきっと「パーフェクトなタイミング」なんだ☆
少し前から、ここ、私のnoteにも「新しい風」が吹き込みはじめているのを……確かに、感じていた。だから、なのだろう。先日は「アイコン画像」を〈絵〉から〈写真〉に変更してみたり、トップページの文章も新しいものに書き換えようとスマホのメモアプリに〈下書き〉を蓄えたりしていたのだ。リスみたいに(←カワイイ♡「木の実を埋めてエゾリスが冬支度。雪の上から埋めた場所をピタリと掘りあてる特殊能力!!」だって。“リスみたいに” と書きながら、リスって木の実とか蓄えたりするんだっけ?と不安になり検索してみた)。
ちなみに、これまで使っていたアイコンはこちら。だいすき♡
で、昨日もなんとな〜く「noteの整理でもするかな~」とパソコンをひらいたのだけど、気づいたら(??)「トップページの文章」と「サポートエリアの説明文」を “やっぱり今日、新しくしよう♪ したい♡” と意識を集中させ紡いでいた。そういうタイミングって、大事にしたい。尊重したい。それを《感知→即実行》できる時間があることを感謝したい。そこに自由を感じたい。そんで全部、過去の自分が自分で自分に「取捨選択し、与えたのだ」ということを、いちいちこうして思い出したい。確認したい。「私は、そういう人生を、生活を、選び取ったのだーーー‼︎」と。
「したい♡」→「しよう♪」→「する☆」
(その決意と覚悟。“選ぶ”ことで生じた“捨てる”ほうの人生たち。潔く、自分にとっての「一番」に手を伸ばす――勇気、というよりもっとシンプルな、本能とか欲望とか?
「したい」→「いつか…」→「きっと……」じゃ永遠に進めない、変わらない、動かない、掴めない。どこかでチャンスが訪れても、用意ができていなければ高くは飛べない。活かしきれない。もったいない。
全部、日常の“ささいなこと”にもあらわれる。“ささいなこと”にほど、表現されている・いくんだ。。。まさにそれが、私にとっての「暮らしと創造」)
というわけで、本日も記録。
(今回のお話は、「これって単なる “プロフィール新しくしました!” ってことでしょう?」と思って読むか、「そこを入口にもう少し大きな?普遍的なこと?を言ってるんじゃない??」と感じて読むかで、全然、受け取るものが違うでしょう☺︎)
ふと何かを想ったとき、ひらめいたとき、それをキャッチできるかどうか。そして素直に行動できるかどうか。その時間があるか? 心の余裕や物理的スペースはあるか? 私はそういうことをとてもとても大切にしたいと思っているのだ☆☆☆と久々に再確認。いつか未来で、その「答え合わせ」をするのが楽しみでもある。今は “まるで無意味” “単なる自己満足” のようにしか見えなくても。毎瞬の選択の積み重ねが、「今」を創っていくこと。それが「未来」になること。
本当は私たち、知ってるはずじゃない?
(それをこの「命」と「肉体」をとおして、わざわざ “物質的に” 体感・体験したくて、私たちはこうしてここにやってきたんじゃなかったか??? って別にスピリチュアルな話でもなんでもない。生きて、リアルに感じていること。)
……って今日はなんだか話が逸れすぎ。膨らみすぎ(でも面白いから全部残しておこう)。
本題に戻って。
これまでの「トップページの文章」と「サポートエリアの説明文」を記録します。
◎トップページの文章
↓
↓
↓
そしてこれが今の、リフレッシュした私。「Re-fresh」「再び、フレッシュ」。「リ・ボーン(Reborn)」でもいいな。
今は「発売予定」だけど、もうすぐ「発売」になる予定。祈り。
◎サポートエリアの説明文
最初は一番上のやつ(旧「トップページの文章」)を再利用しようと思っていた。気に入ってたし、とても『私』だったから。でも「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味。使える魔法のはずだから」というフレーズを思い出して、そこに「よりフレッシュな自分」みたいなものを再認識しちゃったものだから、“新しい文章、考えよう!”となった。もっと、これからはじまる「風の時代」的なイメージで……「仲間」「出会い」「地球目線」「素敵」……そして最後の《循環》がひらめいたとき、「メッセージだ☆」と思った。感じた。例えるなら「未来の自分からのメッセージ」???
この「140字」に込められたエネルギー(それは自分で書いたものなんだけど、なんか“受信した”とか“降ってきた、キャッチした”とかいう感覚に近くて)は、私を不思議と「希望的」にする。心がぐーーーんと広がるような、心地よい“ひらけた”エネルギー。
もう一回、載せちゃう。笑
これが書けて、私はますます「これから自分が向かうだろう方向」みたいなものがクリアに、明るく、感じられるようになった。伝わるかどうかわからないけど、とっても好きなの。嬉しいの。
メッセージ
タイミング
こういうことがあるから、そしてそれがたとえ自分自身でしか味わえない「静かなる興奮・高揚」みたいなものだとしても(だからこそ??)、やっぱり「書くこと」はおもしろい。私にとっての「特別」。
全部、限りなく「なに言ってんのか、わからない」だとしても(他人には)、私にとってはこんなにも、「ビリビリきてる! きまくっている!!」から、ほんと、やめられないよね、心の記録。さいこぉーーー、だ♡♡♡
もう、「理解してもらおう・もらいたい」を超えている!!!
以上、こういう文章はとっても「note的」じゃないことを私はちゃんと知っている。けど、「note的な文章」を書くことに私はまるで興味がないし、何よりこれが、このわかりにくくて読みにくい文章こそが、「めちゃくちゃ私らしいんだぜ」ってこと、誰よりも私自身が感じているから、そしてそれこそが『自由』であり、「私が今こんなにも『自由』であることの『表現』」になっているんだぜ・だからここに『自由のエネルギー』が宿るんだぜ・それってそうそうできることじゃないよな☆ってそろそろ私、気づきはじめてる、だからますます光を放つ!でありますな。
って、ついてこられた?
☺︎
この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆
“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆