見出し画像

『くちびるリビドー』第13話/3.まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風(1)


 携帯電話の着信画面に「公衆電話」の四文字が表示されるとき。その相手は、ほぼ100%決まっている。――今回も、きっとそう。

「あ、ゆりあ? ワタシ、ワタシ。アンタさぁ、明日からの三連休って何してる? ヒマならちょっとつき合ってよ、小旅行」
「いきなり何ごと? 小旅行って、お店は? 休みなの?」
「今ちょっと閉めてるのよ。ね、詳しいことは会ってから話すからさ」

 突発的で強引な誘いはいつものこと。相手はこちらのスケジュールを透視でもしているかのような有無を言わさぬ勢いで、毎回見事に私を誘い出す。


 そんなわけで私はバタバタと二泊分の荷物をまとめ、翌朝九時十分発の飛行機に間に合うよう早めにベッドに潜り込むこととなった。
 年に多くて一~二回。その人はほとんど衝動的に旅に出ることを思いつくにも関わらず、航空券の手配からホテルの予約まで、すべてを完璧に整えた状態で私を呼び出すものだから(しかも支払いは向こう持ち)、ついつい気軽に応じてしまう。
 なにより一緒にいても素の自分をさらけ出せるし、たぶん考えるスピードや身体的リズムが似ているのだろう。心地よく、子どものように楽しい気分になれる。それに「人がいると眠れないのよ」と言って、きちんと別々に部屋を取ってくれる律儀なところも好きだった(とはいえ見た目は普通のカップルと変わりないから、チェックインの際には少し怪訝な顔をされるのだけど)。兄のような、姉のような、唯一無二の心の友。
 羽田空港のいつもの待ち合わせ場所で、芸能人オーラ丸出しの雰囲気でコーヒーなんかを飲んでいる姿を見つけると、どこかにパパラッチが隠れてないかと内心ドキドキしてしまうけれど(撮影現場などではオネエ言葉を封印しているらしいその本性は、どこまで浸透しているのやら)、私たちの関係に変わりはない。

「小泉寧旺さんですよね? 握手してくれませんか」
 周囲に聞こえぬようできるだけ近づいてから、ふざけて声をかけた。

「やっと現れたか、マイ・ハニー」
 驚きもせず言葉を返すその表情は、いつかのスクリーンで観たもののように美しい。

「芸能人オーラ出しすぎ。週刊誌に撮られでもしたら、困るのは私なんですからね」
「しょうがないだろう? あふれ出す魅力は止められない」








くちびるリビドー


湖臣かなた







〜 目 次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


3

まだ見ぬ
景色の
匂いを運ぶ風


(1)


 314マイルほどの距離を一時間ちょっとで飛び越えて、私たちは秋田県の北部にある大館能代空港(「あきた北空港」のほうが明らかにわかりやすい、と毎回ついつい思ってしまう)へと向かう。
 次々と国内線が廃止されていくこの小さな空港へ(北緯40度、東経140度。そもそも大館市にも能代市にも位置していないのだ)、今ではもう東京からは一日二便だけ。

「なんでまた、秋も深まりつつあるこの時季に、北の日本海なんて見たいのよ」
 いつものように機内の空気に神経質になりながら、ペパーミントを効かせた手製のアロマスプレーをさっそくマスクに吹きかけて、私は尋ねた。
「傷心、傷心。まったく、察しなさいよ。気の利かない子ねぇ」
 そう言って窓側のシートに身を沈め外を見つめる横顔からは、本心は読み取れそうにない。

「で、空港からはどうするの? あそこ山の中でしょ。寧旺のことだから、乗り合いタクシーなんかに乗るわけないし、私たち免許持ってないからレンタカーってわけにもいかないし」
「それがね……取ったのよ、免許」
「うそ!?」
「正真正銘、取れたてほやほや。というわけでアンタの命、しばらくはこの新米ドライバーに預けてもらいますからね」

 そんなサプライズが、この旅のはじまりの合図だった。
 飛行機を降りた私たちは、そのままレンタカーの受付カウンターで手続きを済ませ、用意された車(寧旺にはいまいち不似合いな日産・キューブだった)に乗り込こみ、カーナビに従って国道7号線をひたすら西へと向かう。
 十一月の北秋田は、それぞれに悩みを抱えているらしい今の私たちにしっくりと馴染む薄曇り空で、紅葉シーズンを終えつつある周囲の山々からは、豊かな秋の気配よりも、近づいてくる冬への覚悟のようなものがうかがえた。
 東京の日差しとは異なる、何かが欠落しているような(もしくは過剰に含まれているような)この光の微妙な加減。
 やさしくて、物寂しげで、うら悲しくて、乾いた木々の間を埋め尽くしてゆく落葉たちに浄化されたようなこの空気の匂いも全部、私の体は知っている。
 すっかりと稲を刈られた田んぼの黄金色の名残り、その畦道に生い茂る鮮やかな雑草、風に揺れるススキの穂。山の静けさに包まれた田舎道を走っていると、これから日本海に向かおうとしていることが、なんだか冗談のように思えてくる。

ここから先は

3,574字 / 1画像
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆