山伏のいる神社に行く旅 #5|伝説の山伏と過ごした3時間
会社での出来事がきっかけで適応障害になったフォロワーさんと、山伏の方がいる神社に行く旅をした私。
行き先は新潟の八海山尊神社。災害レベルの雨という予報を押して、決行した旅だった。
それなのに、私たちは、ご神域の前で、まるで神が用意してくれたような、嘘のように静寂な時間を過ごすことができた。
さらに、修験道の霊場を参拝しようとした途端、禊の雨が降ったのだ。
心や身体に降り積もった穢れを浄化してくれるような時間。この後も、私たちは思いがけない時を過ごすことになる。
社務所に向かう
旅の目的は、お護摩(護摩祈祷)を受けること。この神社で毎月の月初めに行われ、特に浄化力が強いと言われるものだ。
参拝が終わったのが午後4時前。お護摩が始まるまで、まだ3時間余りある。時間をつぶせる場所は見当たらないのに、雨がますます激しく降ってきた。
そこで、私たちは社務所へ向かうことにした。中で待たせていただけないか、無理を承知でお願いしてみることにしたのだ。
社務所とは、一般には、神社の境内にあって事務を取り扱う所のことを言う。
だが、八海山尊神社の場合、歩いて20分ほど離れた集落の中にある。宮司のご自宅が社務所になっているのだ。
この神社は豪雪地帯にあり、冬季には参拝できない。冬の祭事や御祈祷は、社務所で行われる。
そのため、中には立派な祭壇がある。さらに、修行に訪れた行者や氏子・崇敬者が宿泊できる設備もある。
私にとっては、登拝(神仏に祈るための登山)や寒行(冬の滝行)の時に前泊させていただくなど、何度もお世話になった場所だ。
今夜のお護摩も、社務所で催行される。
とはいえ、待たせていただくには、あまりにも長い時間だ。雨の中、私たちは不安な気持ちで向かった。
伝説の山伏と過ごした3時間
社務所に着くと、いつもとは全く違う雰囲気だった。
これまでは、祭事のある時に来ていた。玄関は開けっぱなしで、多くの人が頻繁に出入りする姿しか見たことがない。
だが、この日は誰もいなかった。雨に打たれて、ひっそりとしている。まるで留守宅のようだ。
恐る恐る、初めてインターフォンを押す。すると、ガラッと戸が開き、驚いた声が聞こえた。
「ええー!香奈子ちゃん!」
初めて来た時からお世話になってきた、お勝手の方だ。直会(祭事の後の宴会)など、この方が作る数々の素晴らしい郷土料理をいただいてきた。
「月岡さーん」
伝説の山伏を呼ぶ声が聞こえる。
私が東京でお世話になっている山伏の方の師匠、月岡先達のことだ。数々の超人的な逸話が残る方である。
「おおーよく来たねー」
久しぶりの声が聞こえる。宮司も、他の山伏の方も、玄関に集まってくる。作務衣などを着て、リラックスした様子だ。
あっという間に、一緒にお茶をすることになった。恐縮する暇もない。
「こんなに早く来て、図々しいだろうか」
「3時間も何をして過ごそうか」
という気持ちは消えていく。
ほどなくして、宮司の奥さまが「行食を用意しましょう」と言ってくださった。
行食とは、修行の際にいただく食事のことだ。
八海山尊神社の神職や行者は、祭事の際、五穀断ちをして臨む。その食事を私たちにも用意してくださるという。お護摩の時も行食なのだ。
五穀とは米、麦、ごま、小豆、大豆のこと。酒や油も絶つ。私も寒行(冬の滝行)の際に何度かいただいたことがある。
それから私たちは、3時間にわたって、ゆっくりと、あらゆる話をした。
フォロワーさんと、どう知り合ったのか。なぜ二人で新潟まで来ることになったのか。ここに来るまで、どのような時間を過ごしていたのか。
その他にも、合気道の開祖・植芝盛平が、八海山に滝行に訪れた際に残した直筆の書の話(この社務所にある)、神仏が現われた写真の話などもした。
特に胸の内を明かすような話をしたわけではない。言わば雑談である。幼い頃、正月に親戚中が集まった時を思い出すような雰囲気だ。
それなのに、自分の軸を元に戻してくださるような、心が洗われるような、そんな時間を私たちは過ごした。
「この方たちは、40年あまりにわたって、こうやって人を助けて来られたのだ」
そんな気持ちになる。
午後7時過ぎ。皆さんがお護摩の準備のため、席を立たれた。
今までの3時間が嘘のような、彼らの別の顔を見せる刻が近づいたのだ。
地元の氏子の方々も集まり始めた。神秘的な体験が、これからいよいよ始まる。
つづく
★お護摩の様子など、八海山尊神社については、こちらの記事をぜひご覧ください
★私のお護摩の体験談は、こちらをご覧ください
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