見出し画像

最近何となく思っていること

こんにちは!
今日は朝コミュニティーでの瞑想会があって、

「わたしはもがいてる人が好き」と言ったら、メンバーに衝撃を与えてしまいました(笑)

みんな幸せになりたくて、自分を変えたくて、必死に頑張っている。
その姿は美しくてかっこいいじゃない。
もがいてる人はいいなって思う。

本当にそう思っている。
だからメンバーのみんなも、クライエントさんでも、「もがいてるあなたが好き」だからサポートしたいと思うし、利益度外視で仕事を受けちゃうこともある。

最近思ってること

でも最近考えてることがある。

「自分を好きになる」必要って本当にあるのかな??
「自己肯定感をもつ」ことが本当にいいことなのかな?
世間の正解に踊らされていないかな?

「自分らしく生きる」「自分軸を持つ」ことはいいことだと思ってる。

でもそれらの言葉と同義のように「自己肯定感を持って、自分を好きになる」必要はあるのか?
と最近何となく考えてしまう。


自分に置き換えて考えてみると

・自分らしく生きる
これは達成してるし、大事なことだという価値観がある

・自分軸を持つ
これは私の表現で言うと「自分の大事にしたい価値観がわかっていて、判断することができる」という状況なので、そう思うと大事

・自己肯定感
これは正直今のわたしにもあるのかわからない(笑)
別に「肯定も否定もしていない」と言うのが正しいニュアンスであって、マインドフルネスでいう<善悪を判断しない>という精神の方が私の価値観に影響を与えている気がする

・自分を好きになる
これは上の自己肯定感と似てるようで少し違うと思っていて、わたしも「自分のことが好きか?」と問われたら「嫌いではないから、好きな方だと思う」くらいにしか答えられない。


もちろんみんながこのスローガンを掲げていることは素晴らしいし、それでいいと思っているんだけど、

私自身が発信していくときに、この言葉を使いたいか?
この言葉でお客さんを集めたいのか?

という問いをしていると思って、読んでほしい。
(あなたの夢、意志を否定する意図はないと伝わってくれれば嬉しい)

(心から自分を好きになりたい!はもちろんとってもOKなことだけど、好きにならなきゃいけない!って思っちゃってないか?という警鐘はしたいのかも)

自分の物語を楽しむ

実は今年に入ってひっそりプロフィールを変えた。

今まで「自分が主人公の物語を生きていい」と掲げていたスローガンを「自分の物語を生きていい」に変えた。

別に自分が主人公じゃなくてもいいなって思ったから。


<<自分の物語>>


ということが大事なんだと思い直した。

例えば裏方のがあっている、サポートするのが幸せな人なら「自分の物語」の中であっても主人公はパートナーや大切な人にしてもいいはず。

だから必ずしも自分が主人公である必要はない。


でも
<<自分の物語>>だという自覚は必要だと思う。

自分の(思い描いたように生きるための)物語、なのかな


それがさっきの自己肯定感とか自分を好きになるという言葉で感じる違和感の部分


自分の物語を楽しめたら生きやすい


わたしは大学生くらいの時から、
「Kanaの物語ははちゃめちゃだけど面白い」と自分の波瀾万丈な人生を面白おかしく見られるようになったと思う。

そして
「人は誰でもその人だけの物語を持っている」という価値観が生まれた。

その物語、いわばその人の生きてきた背景を知ることはその人を好きになれるし、いい人間関係構築には、いいスキルだったから

いろんな物語を聞くことが好きになった。


いろんな物語を聞くうちに

「あれ?自分の物語も相当面白いよな」
そう思えるようになって


自己肯定感は低かったし、自分のことは好きじゃなかったけど

「こんな風にでも生きてきた自分」を受け入れることができた。

こんな物語なのに、一生懸命幸せになることを諦めずに生きてきたわたしって偉いし、面白いやつじゃん

そう思えたことが救いの一歩目だった。


だから最初に書いたように
今も自己肯定感が高くて、自分が大好きか?と聞かれれば、何となくしか答えられないのだけど

「「こんな風にでも生きてきた自分を認めてあげたい」」

そう思っている。

そしてそんな人生を今は面白おかしく俯瞰できるようになったから、自分の物語を誰より楽しんでいる。


わたしがこっそりファンをしているだいさんという方のつぶやきを紹介したい


じゃあ「せるふらぶ」は嘘なのか?というと違う


じゃあお前の掲げるセルフラブの精神は嘘になんじゃないか?
セルフラブって自分を好きになるってことじゃないの?

そんな疑問が浮かぶ人がいるかもしれないけど、

わたしの中でセルフラブの定義って「自愛」何だよね。
「どうぞご自愛ください」の自愛

風邪ひいて「ご自愛ください」って言われた時に「自分のことを好きになってください」って言われた、とは思わないですよね

「あったかい格好してゆっくり自分を大事にしてあげてね」って感じだと思う

だからこれもあれか
好きと愛してるの違い論争か?(笑)

好きは自分にベクトルが向いてるけど、愛してるは相手にベクトルが向くやつ。
まあでもそうかも。

自分を受け入れて、どんな自分でもOKと思えるようになることは「自分を好きになる」を超えて「自分を愛している」ということかも。


あーそれだとスッキリする。

わたしは「自分が好きか?」という問いにはうまく答えられないけど

「自分を愛しているか?」という問いには
迷わず「はい」と答えることができる。

そういうことなんだ。

嫌いなところも、直したいところももちろんあって、全部が好きじゃなくても、全部を受け入れて、わたしはわたしを愛しているのだ。


だからもがき苦しんでいたとしても、
それは自分を愛しているからこそできることなんだろうな。

そう考えると、やっぱりもがいてることは必死に自分を愛していることだから、自分を愛している人を好きだというわたしの感覚は正しい気がする。



あー書いてスッキリした。
これもジャーナリングの良さ。

わたしが普段ジャーナリングしているときも
こんな感じで深掘りして、どんどん深めて自分の中で気づきを集めたり、価値観を繋ぎ合わせたりする。

この文章をここまで読めたあなたもきっとジャーナリングが向いていますよ。
(今ならLINE登録でジャーナリングのやり方動画がプレゼントで見られます)

ぜひ書いて自分の中にあるものを整理してみてください♪


では最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとってお役に立てれば嬉しいです❤️
スキとフォローが励みになります♪

▼Kanaの情報まとめました

▼Kanaと話してみたい!と思ってくださったらLINEから

サポート嬉しいです!いただいたお気持ちは文鳥カフェ開業のために有効活用させていただきます✨