いつ気付くかな、気付かないでもいいな、でも私の本当を璃月には知って欲しいな、 そんな思いでnoteを認めます。 先日、私と向き合って話すことを選んでくれてありがとう。下手な言葉になってしまったけれど、聞いてくれて本当に嬉しかった。独りよがりでいつもごめんなさい。 私にとって璃月とは、 私のすごく大事な暖かい重たい部分を担っていて、 私はそれをもしかすると理解していなかったのかもしれない。 貸しても借りても居なかった。 私の人生において、これから先にどんなことがあっても私の
あまりに馬鹿馬鹿しくて泣くことすら忘れてしまいそうな日々。 心配しても悩んでも蚊帳の外、疲れ切って眠ってそれでも考えて、起きたら私だけ昨日の夜に置いて行かれたまま、あの人は進んでる。 やめよう、と毎度思い、学習をしないのは私だ、と毎度感じる。 それでも出来ない。したいと思っているのに、喉から手が出るほど治したいと思っているのに。 もう本当になんでもいいと思う。 ただ、幸せであればいい。泣く時間よりもご飯を食べる時間が、眠る時間が、温かいお湯を被る時間が、笑う時間が、全て合算し
9月に入り、仕事を始めた。 というのも、9月の手当が急遽申請できなくなったから。10月から契約の会社に入ったはずだったのに、契約日と研修が9月上旬だったのだ。 例え研修ではあるものの、1日でも給料が発生したらその後手当は対象外となる。 別に、躁鬱病が良くなった、訳ではない。 家族や彼や世間になんとなく、そろそろ働いたら?感を促されていると感じたから。 出勤初日を終え思うこと。 それは、半年間のお仕事お休み期間の代償は、わかっていたもののとても大きい。 まず、体力のなさ。
初めて人を激しく好きになったのは、高校2年生の春。 長いこと友人関係を続けていた人と、不意なことで帰り道に手を繋いでしまったから。その手の柔らかさと温かさと離し難い心地よさに、雷が落ちたように急展開で好きになってしまった。 その人とはなあなあの流れで付き合ったけれど、何も無く。付き合ってから7ヶ月を過ぎた頃、適当な理由で振られた。泣いた。とても。それは目も当てられないほどにとても。 私は彼を思うといつも泣いていた。 振り向いてくれない言動の冷たさやその割に他の女友だちには見せ
うん、久しぶり。 おおよそ20日ぶりの投稿になるのかな。 この期間の間のビックニュースといえば、年をひとつ重ねたこと。 遂に26歳になりましたとさ。 小学生の時よく書いていたプロフィール帳みたいなやつでさ 「結婚するなら何才がいい?」という質問があったじゃない? で、私なぜか25という割り切れる数字が好きでね。 いっつも、25才!って書いていたのに、もうその年、過ぎちゃったわよ。 恋愛もなんも知らない、結婚なんて年が来ればするものだ、 なーんて思っていたのだろうな、当時
先日、璃月としこたまお酒を飲んだ。 結果から言うとアホみたいに酔っ払った訳だけど、私と璃月は2人で飲むと碌なことが無い。 幾つか例を挙げようかと思ったものの、多過ぎる。本当に、多過ぎるのだ。 理由を考えてみると明確なものが幾つかあって、 お互いにお酒が好きなこと そこそこお酒に強いこと お互いを信頼し切ってしまっていること などでは無いだろうか。 最後の「お互いを信頼し切ってしまっていること」はもう重症で、 嫌な話(汚い話?)、道端で駄々をこねて迷惑をかけても、服のまま棒の
一口にカップルと言っても、 いろんな形があるなぁと思うこの頃。 電車で手を繋ぎながら微笑み合うカップルもいれば、 2人それぞれスマホを見るカップルもいる。 仕事以外の時間は四六時中一緒にいたい、というカップルもいれば、会うのは月に一度か二度でいいというカップルもいる。 大好き!ずっと一緒!と言い合うカップルもいれば、 親友みたい!楽しい!と一緒にいるカップルもいる。 どうしても身体の相性が合わないけれど、好きだから一緒にいるカップルもいれば、 やはりそこは譲れないと別
26歳になる年の私たち。 「女としての期限」とか「適齢期」とか、まあまあ聞く言葉になって来ているけれど、 「その言葉って「女」に付随するものなの?」 と、言うのもついこの間、電車に乗っていたら隣に座った大学生らしき風貌の男性2人がしていた会話、 「井川遥でも無い限り40代とか無理〜〜」「井川遥なら確かにな」。 え、あなたたちは井川遥さんを40代の女に求めてるの?と言うかそもそもなんで「女」は選ばれる側なの? 行き遅れとかそう言った類の言葉、恋人がいないことに対する偏見や「
前々から避けてきた話題がある。 それは「寂しい」という感情について。 人間は孤独だ、とよく言う人がいる。 生まれる時が1人なように、死ぬ時も1人。 だから誰もが孤独を感じ、寂しさを感じる。 最近本屋さんで見かけた、話題の本。 仕事があって、家族がいて、恋人がいて、 社会的に全てが整っているのに、寂しさを感じる若者が増えている。 それは、なぜか? のようなことがその本の帯には書かれていた。 なぜ、「寂しい」という感情が生まれるのか。 声を大に言いたい、私は今「寂しい」
とってもうれしくてあったかくて優しくて涙が止まらないようなお手紙をもらったので、お返事。 璃月の私に宛ててくれた文章を読んで、止め処なく流れ落ちる涙と一緒に私は「辛かったなあ」と思ってた。 とっても、とっても、本当に、辛かった。 普通に生きていれば言わなくて済むような発言や思想、行動や深い闇。 いつの間にかそれが私の"普通"になってしまって、慣れてしまっていたから、 辛かったこと、今現時点でも本当は辛いこと、まだまだ痛くて仕方がないこと、思い出した。 私、本当はとっても辛か
前回の流月の投稿を読んで、朝から泣いた。 大号泣した。というか、今も涙は止まっていない。 別に悲しいわけでも、辛いわけでもない。 そんな単純なものではなくて、いろんな感情が溢れてしまった。 もちろん今まで流月の気持ちを全て聞いてきたとは言わない。 流月は、1人抱えていることのことの方が多かった。 そう思っている。 でも、いろんな話をするようになった17歳から もうすぐ26歳になる今に至るまで 私は、誰よりも流月と時間を過ごしてきたと思っている。 いや、大学時代東京を離
家族全員に3年間ほどひた隠しにしていた精神疾患全て、きっかけや診断名が降りた時期込みでとうとう話すことになった。 理由は「治したいから」。もう家族の手助け無しでは私にはこの病気は治せない。 話は変わるけれど、夜型の私の最近、もはや夜行性とも謳えないほどの夜行性生活をしておりまして、眠るの朝の7時とか。それまで作業したり事務作業したり。 反して朝早い父親。起きるのが4時とか。早過ぎない?出社するのちなみに7時とかね。 実は最初の件、父親にはフライングして先に一通り話していて、
彼と付き合って半年になる日を迎えた。 1年記念を迎えるまでの、毎月の記念日は 「いつもありがとう、これからもよろしくね」 その一言で終えるつもりだったが、 先日の彼からのサプライズによりそうはいかなくなった(心から嬉しかったのは事実ね)。 ということで、私も計画を練り練り。 コツコツとアルバムを作り、手作りピザを振る舞い、シャンパンとケーキを用意して、お昼からお家パーティーを開催した。 アルバムの最後のページに貼った手紙は、実は4回書き直したもの。 半年間を振り返ったア
好きな人がおりまして。 とってもとっても大好きで、大切で大事で。 いろいろありつつも幸せに一緒に過ごせたら良いなと思いながら考えて、悩んで、頭を抱えて、傷付いて、涙を流して、話し合って……って、あれっもしかして良い関係ではないのでは? なーんて。 紆余曲折、過去の恋人と最近になってまた頻繁に会うようになって、その彼に言われて衝撃、且つ、反省したこと。 「付き合ってる事実はあるのに俺が浮気相手みたいな気持ちだった」 がびーん。がしゃーん。ごめんなさい、それは本当に私が悪い。
半年記念日に合わせて、彼が海の見えるレストランに連れて行ってくれた。 彼なりのサプライズだった。 付き合ってから、前々に予定を立ててお出かけしたことは数回。 最初から徒歩10分のところに住んでいたし、そもそも毎日どちらかの家で寝泊まりしていたことから、計画を立てる必要がなかった。 大抵の休みの日は、 朝のテレビ番組で特集している美味しそうなものに感化されて、それを目的にお出かけするか、 お家でダラダラ映画を見るか、近場を散歩がてら開拓するか。 手の込んだ料理を作り、お家でな
朝ごはんに用意していた豆腐を見事に全てフローリングにぶちまけ、 同日、夜食にきゅうりの塩揉みを用意していた過程で蓋の空いた塩の瓶を丸ごと逆さに落とした。 割と長い時間その場で立ち尽くしたのちどちらも号泣して(豆腐に至っては包丁片手に号泣)、「どうしてえええええええ」と泣きながら片付けたのだけれど……だいぶホラーな映像。こわ。 楽しいことを今日こそ書こう!と思いながらも、書けない毎日。当然だ。私は毎日じわじわ自分と心中しているんだから!! さて、そんなこんな(?)で書くこと