夜に潰されそう[流月]

家族全員に3年間ほどひた隠しにしていた精神疾患全て、きっかけや診断名が降りた時期込みでとうとう話すことになった。
理由は「治したいから」。もう家族の手助け無しでは私にはこの病気は治せない。

話は変わるけれど、夜型の私の最近、もはや夜行性とも謳えないほどの夜行性生活をしておりまして、眠るの朝の7時とか。それまで作業したり事務作業したり。
反して朝早い父親。起きるのが4時とか。早過ぎない?出社するのちなみに7時とかね。
実は最初の件、父親にはフライングして先に一通り話していて、突然泣きじゃくりしゃくりあげる最近の私を父親だけはなんとなく感覚で理解してくれていた。

「申し訳ないと思って」4時に起きてきた父親は母親がプレゼントしたチャコールグレー色したギンガムチェックのパジャマを着たまま顔を抱えて泣く。
「世の中の心を病んでいる人の親を見て「なんてバカな親なんだろう、子供があんなに大変な思いをしているのに、どうして」と思っていたけれど、僕だって一緒だった。ごめん、流月、本当にごめん」
違う、お父さんのせいじゃない、そう言いたいのに言葉は喉につっかえ、代わりに嗚咽になって私の喉元を過ぎる。

私にとっての父親という存在は、とても偉大で、尊敬をしていて、頑固で融通が効かないけれど、公平な大きな世界で包んでくれるものだった。
その父親を、フライングして話してから顔を抱えて泣くまでの期間、悩ませてしまったのだと言う罪悪感と言い知れぬ痛み。
もう無理だと思った。私には到底理解の出来ない母親も、守るべき存在の兄弟も、尊敬して止まない父親も、痛みを分散するしか手立てが見つからなかった。

時は夕食のあとのお茶の時間。
一つひとつ、丁寧に冷静に話そうとするものの、躁うつも鬱もパニックも摂食障害も、きっかけを話すと当時の自分に戻ってしまうようで、心が引き戻されては泣いてを繰り返し話し終えた頃には軽く1時間を超えていた。
「それはどういう対処がいいの?」
「こういう時はどうしたらいいの?」
「感情の波的に周期はあるの?」
一通り質問をし終えてから、兄弟が口元に手を持っていき、「そうか、大変なんだな」と茶化すように笑った。私の兄弟は私を笑わせようとしちゃう人なの、璃月は分かってくれる気がする。そしたら笑った顔のまま、兄弟が泣き出した。「そうか、大変だったんだね、辛かったんだね、そうか」、そう言いながら兄弟は涙も嗚咽も止めない。

私がこの病気になったのは誰のせいなのか、考えてしまう時がある。
でもどの角度で考えても私の中の悪魔はこう言う。
「あなたのせいじゃん」。
図らずも遠からず。と言うか、ドンピシャ。
私のせいだ。どんな環境でも苦しくても頑張れる人の方が割合多いのに、私は自分自身で自分を苦しめる方法を選んでしまった。
そのせいで大切な家族を傷付けている。私よりも大きな体をした父親の肩は苦しみに震え、良く働く日に灼けた兄弟の頬の上を涙が通る。全部私のせいなのに、それすらも、私のせいなのに。

「死にたい」と思って生きてきた。
もっと細かいことを言うと「生きていたくない」。
死んだ後の世界なんてどうでもいいと思う時もある。
私が死んだあとにPCからどんなデータが出てきても、何回も書き直した遺書が出てきても、家族への恨みごとを書いた日記が出てきても、構わないと思う時もある。
私の死を嘆き、苦しみ、病む人が居たとしてもそれでも、今の自分を生きることから解放してあげたいと思う時もある。
でも、私の命よりも先に私の大切な人の命が終わったら。

死の淵に立った時に「生きていたい」と踠きたい。
「もっとやりたいことがあった」と思いたい。
生きることに執着したい。
父親の涙、兄弟の涙と立て続けに見たからか、今の私は現時点こんなことを強く、それは強く強く、思う。

あのね、先日少し話したけど話したいことがあるの!!笑
近々軽くトリキでも行こ!
私の暗過ぎる日記はね、心の中を書いているだけで、きっと実際は楽しいこともたくさんあるんだよ、ちょっと生きることに必死過ぎるだけで。
「限界だよ、休もう」って私が私自身の限界に気が付く前に声をかけてくれる璃月がいて、私を許してくれる友だちがいて、泣いてくれる家族がいて、
幸せでコメディな毎日がたくさんあるの。
文章を書いていると、どうしてもこんな風になってしまうけど、感謝も喜びも、本当に強がりではなくてあるんだよ。だから早く会って!笑

Tinderをインストールした話をきっと今度するね?!

では!

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