頭に「女」が付くタイプの賞味期限[流月]

26歳になる年の私たち。
「女としての期限」とか「適齢期」とか、まあまあ聞く言葉になって来ているけれど、
「その言葉って「女」に付随するものなの?」

と、言うのもついこの間、電車に乗っていたら隣に座った大学生らしき風貌の男性2人がしていた会話、
「井川遥でも無い限り40代とか無理〜〜」「井川遥なら確かにな」。
え、あなたたちは井川遥さんを40代の女に求めてるの?と言うかそもそもなんで「女」は選ばれる側なの?

行き遅れとかそう言った類の言葉、恋人がいないことに対する偏見や「可哀想」の目線。男の人よりも女の人に対しての方が向かい風強いのは何故?
つかあの人なら「ヤれる」、あいつとは「ヤれない」、誰もお前となんてヤらねえよ、こっちから願い下げだわ、と言いたくなる。

最近、璃月と久々におめかしお出かけして色々話したりしたけど、
「女にだって性欲はあるししたいと思う時もあるけど、それよりも寂しいとか愛情を感じたいとかそう言うのの方が強くない?」って言う話。
「気持ち良ければ良いに越したことはない」けれど、「愛情を肌で感じたい」。
それだけのために「自分だけ」を愛してくれる人を探して、そのために可愛くなる努力なんかしちゃったりして、それを「井川遥(さん)でもない限り無理」の一言で片付けられた日には「なんでよ!」と声を荒げたくなっちゃったりする。よね??

先日、久しぶりに学生時代の男友だちと飲んだ。
「流月ちゃんは愛情表現乏しいし連絡頻度遅いし性欲もあんまり無さそうじゃん。男からしたら不安になるばっかりだけど、じゃあ流月ちゃんと付き合うメリットって何?」
「メリット」って。そんな言い方。と思いつつ、んーーーーとこめかみに手を当てて考えるフリをする。
「私と一緒にいられることかな?」って結構な至近距離で目を見つめて首を傾げる。
ほっぺたを触ってくる男友だち。ちょろい、と心の中で毒づく。
私は男の人を「自分をそう言う対象にする」ようにしか接することが出来ない。
私は目の前の男友だちとヤりたい訳でも無いし、なんなら「やだ!」って拒否するような感情だけど、私も「女」としての自分に価値を置いてしまっている。

極論、女友だちと一緒にいると楽なのはそこで、「自分をそう言う対象にさせなくていい」し、勿論、私自身を魅力的だと思ってはもらいたいけれどシンプルな「人間性」を評価してくれるような気がするから。それは私自身の精神の問題だけれど変に取り繕わなくていい、「選ばれなくて良い」と言う安心感。

前回の璃月の投稿、「寂しい」と言う感情は誰しもが持っているもので、それを埋めるためのものが友人でも恋人でもなんでも良いと私は思うんだ。
私のTinder生活、なんと3日間くらいで終わりを告げたけれど、どうしてインストールしようとしたかって「寂しい」から。
「求められない」不安、「選ばれたい」傲慢さ、例えそれがその場凌ぎの愛の言葉でも「必要とされてる」って錯覚させてよ、と思う。

結局、この間の璃月とのお出かけでアンインストールしたけど、私は道を踏み外してもそうでなかったとしてもそれでも良いとも思ってる。気長に、自分の正解を見つけていきたい。

お出かけ、楽しかったね。あとその後の連絡もありがとう。返信出来ていないけど、肝に命ずるし、きっとやばくなったら璃月に最初に連絡すると思う。人が聞いたらゲスいような話もフラットに私を気遣った目線で聞いてくれてありがとう。

「可愛い」とか「綺麗」とか「すべすべ」とかとか「スタイルがいい」とか、何でも言われたら嬉しいけど本体への評価が欲しいと思うのは高望みのし過ぎなのかな。お化粧が上手くいった日には「可愛い」「綺麗」って言われたいし言われないと「可愛いって言って」って言うけど、「可愛くいる」ことも努力だけど、それでも時々自分の中身と内容の無さに愕然とする。

「適齢期を逃したら何もなくなる」
「女としての期限を終えたら誰も見向きもしなくなる」
「賞味期限ていつまで?」

中身の伴う美しい人になるために、日々の努力しか無いのかなあ。
美しい人間でありたいけれど、どうやって変換していくんだろう。
綺麗に皺をつくってきた素敵な女性に聞いてみたい。
そんな風に思う今日この頃。

ただの日記!と言うかボヤキ!
またお出かけしようね、てかプール行きたいね!またね!

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