きゅん!のあとの地獄と気付き[流月]

好きな人がおりまして。
とってもとっても大好きで、大切で大事で。
いろいろありつつも幸せに一緒に過ごせたら良いなと思いながら考えて、悩んで、頭を抱えて、傷付いて、涙を流して、話し合って……って、あれっもしかして良い関係ではないのでは?
なーんて。

紆余曲折、過去の恋人と最近になってまた頻繁に会うようになって、その彼に言われて衝撃、且つ、反省したこと。
「付き合ってる事実はあるのに俺が浮気相手みたいな気持ちだった」
がびーん。がしゃーん。ごめんなさい、それは本当に私が悪い。

と、言うのも私、長い長い片思いをずっとしていて。殆ど5年。その間に付き合った人は居たのだけど、心だけは好きな人に囚われたまま。
何がそんなに好きなのか聞かれると執着の域でしか無いような気もしていたのだけど(璃月にもそんなようなニュアンスのこと言われた)、どうして叶わない恋って美しく、綺麗な想いで、心に咲き続けてしまうんだろう。

私の好きな人に対する感情の場合、激しく、嫉妬に怒り狂い、みたいな恋愛感情、よりかは綺麗なキラキラした透明な水晶を手に持って色々な角度で陽に当てて繁々と見つめて、観察している、に近いような感情。
「好きバレしてるもんねきっとね!」
の思いで、
「なら玉砕覚悟で好きって言っちゃおっかな!」
はあったのだけど、針が振り切って止め処無いほどの好き!!が溢れることが無かった。

理由は幾つかあって、
・好きな人の生活能力の無さ(食事しない、など)
・極度の人嫌い
・今までしてきた恋愛の方法が通じない
・警戒心バカ高い
・怖い
とかね、まあまあ他にもたくさん。
計算と負け戦はしたく無い私にとっては何も得られない、気まずくなるだけの空間は想像するだけでとても苦痛だった。
それに、好きだけど、叶うわけないと初めから踏んでいたしなんなら叶えるつもりも毛頭無く。

でもその感情だけは心の真ん中にドン!と居るので、そりゃあ過去の恋人に「付き合ってるのに浮気相手みたいな気持ちだった」って言われるのも本当に、本当に、申し訳ないけど、納得。

そんな過去の恋人は贔屓目に見なくてもとっても雰囲気のある素敵な人で、モテるし自分の魅力の使い方も分かっているしでかなり遊んでいた人。
そんな彼に最近言われた、嬉しい、且つ、胸がキュウ、となった話。
「流月と付き合うってなって初めて手繋いだ時、超緊張してたんだよ」
キスでもそれ以上でも無く、なんならハグでも無く、手を繋ぐ…だと……。あんたのような遊び慣れ男が……。と、照れ隠しで反応したものの、帰り道とても嬉しくて、小っ恥ずかしくて、それでいてとても申し訳なくて。
過去のその恋人に対しては、「激しい好き」とか「好きな人への思いと同じように大切に思う」とかは無かったんだけど、他では持ち得なかった親愛の情を感じていたし、それまでに付き合って来た人たちに対する適当な向き合い方はしなかった、と何となく、だけど確信的に、感じている。

私を大切にしてくれるとても良い人で、友だちも多い、ボークソテーとポテトサラダが得意料理な、威圧的でも怖くも無い、素敵な人だった。
そんな人にそう甘やかされることはある種、私のステータスだったのだと、思う。
私なりに大切にしていたけれど、確かに私の気持ちは好きな人にずっとあったし、それを理解してくれる過去の恋人のことをずっと蔑ろに、逃げ場に、安心材料にしていた。

今になって、本当にごめんなさい。
人の気持ちを弄んだから、今きっとそのツケを全部貰っているのだと、だから代償を今は払う期間なのだと、そんな風に思いながら過去の恋人に別れの連絡を入れて、今。

きっと人生は不思議なもので、もしかしたらまた、その過去の恋人と繋がる機会があるかもしれないし、はたまた全く別の角度から私が幸せになるために、幸せにしたい人に出会うかもしれない。
璃月と璃月の彼のように、似合わないことをしたり、それで照れたり、幸せ過ぎて泣いてしまったり、それでも一緒にいることに喜びを得られる人に出会うかもしれない。

私はまだ傷つき足りていないと思っていたけれど、自分が幸せになる方法を選んでもいいみたい。

仏教の世界で、「気付かないうちにポケットに溜まっている埃」を説く教えがある。
溜めているつもりは無いのに、溜まってしまう悪因や、自分では気付かない悪行を表す教えだけれど、
私は誰かを自分で傷つけている事実に耐えられず、考えるだけで頭がおかしくなりそうだから、と見ないふりばかりをして来たけど、きっと振り返って懺悔しながらもう進んでもいいのかな、なんて。

自分では気付けない、見えない、私が傷付けてしまった全ての人たちに対する後悔と反省と、反して私を気付かないうちに傷付けた人たち全員を許して、ちゃんと生きてみようかな、と思う。

「生きることを怖がっていてはダメ」と心療内科の先生に言われた。私が一番怖がり、嫌がる言葉だと知っていて私にその言葉を投げた。
「今のタイミングだ」と思ってくれたのだろうか、お金を払ってはいるものの、私を見て、思ってくれる人はここにもいる。

前に進む方法を、自分にとっての最善を、探す日々。
苦しいけど、でも幸せだと思う。

少し、前向きになれている現時点での私の日記。
会えるの楽しみにしてるね、またね!

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