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この先ずっと美しく健康でいたいならダイエットを止めなさい!~第二の選択肢の提案~

“ダイエット”

このワードを耳にした時、あなたは何をイメージするだろうか?

おそらく3ヶ月間に渡る厳しい食事制限と激しい運動を何とかやり切って、体重を劇的に減らすことを思い浮かべるのではないだろうか?

間違いなく世の風潮は、ダイエットをこう定義するだろう。

ダイエットジムのTVコマーシャルやホームページの写真やブログ、インスタグラムの投稿に、そういった経験をした人のビフォーとアフターの写真が、これ見よがしに輝かしく並べられていれば、誰だってそう洗脳されるのも仕方ない。

では、このダイエットの定義を一旦受け入れたしよう。

その上で、私はこう主張したい。

この先ずっと美しく健康的でいたいなら、そして人生最後の日まで幸せでいたいと望むなら、“ダイエット”は止めなさい!と。

ではその根拠を解説していく。

ダイエットによる洗脳


あなたがいつの間にかパンツに乗っかった贅肉や、モモと一体化したお尻や、体重計に表示される数字から現実逃避し続けていた日々に、別れを告げると決意したとしよう。

さあダイエットの開始だ!

そこであなたは、手始めに何から手を着けるか考える。

運動と食事改善が必須なのは、何となくわかる。

でも、できれば効率的かつ効果的に痩せたい。

すると次の瞬間には、ネットで[ダイエット やり方]などと検索することだろう。

検索結果には、SEO対策という検索結果を上位に表示させるアルゴリズムに最も対応している、企業やメディアのブログが表示される。

そして、このやり方で運動と食事をすれば、これさえある期間食べ続ければ、あるいはこの商品を飲めば3ヶ月間でマイナス10キロを達成できます!

というお決まりのうたい文句とともに、お問い合わせページか会員登録画面に誘導される。

肝心の運動や食事のやり方は、だいたい書いてあることは一貫して同じで、大方の予想通りのことが書いてある。

消費カロリーと摂取カロリーの収支をマイナスへ!

糖質は控えめに!あるいは食べちゃダメ!

有酸素運動は30分以上!

筋トレをして基礎代謝をアップ!

日常生活動作でながらエクササイズしよう!

ストレスは溜めないように!

最近では、おにぎりを食べよう!やきゅうりを食べよう!が流行りなのだろうか。

とまあこんな感じだ。

ちなみにここで私が伝えたいのは、そこに書かれている情報が間違っているとか、誇張されたウソであるとか、皮肉めいた批判ではないと強調したい。

というよりむしろ、書いてあることのほとんどは素晴らしい内容であるし、非常に読みやすくもあり、多分同じように実践すれば痩せられるだろう。

ここで私が警告を発したいのは、そこではない。

そこに書かれている内容によって、無意識レベルに洗脳されているダイエットの定義が問題なのだ。

ではいったい何が問題だというのだろうか?

ダイエットの定義の問題点①|期間

問題の一つ目は、ダイエットにおける期間の定義である。

[ダイエット=短期間で]

この図式はかなり強固なような気がする。

なぜなら私のところにくるクライアントも、ほとんどがそう訴えてくるからだ。

だが短期間で劇的に痩せることを目指すと、それなりの代償を払う可能性が高い。

そう、リバウンドだ。

果たしてこれは本当なのだろうか?

まず研究ベースでみると、過度な糖質制限で一時的に痩せても、その後に体重は徐々に戻ってしまうという科学的根拠は存在する。

また生物学的なメカニズムと進化論を詳しく知っている人なら、その理由を理論的に説明することもできる。

こんな感じで。

1000年前、私たちの一般的な祖先は朝目覚めると、毎日同じ心配をしていた。

『今日も食べる物には困らないだろうか?

豊作の去年は良かったが、今年は家族みんなが痩せ細ってきている。

これ以上痩せるのはまずいぞ。』

このことは、2千年前も2万前も20万年前も

それほど変わらなかった。

そしてそんな状況でも、あまり体重を減らさないように代謝を節約できたり、脂肪を蓄積できる能力を持った人が後世にその遺伝子を受け継ぎ、摂取カロリーが減った分だけ痩せてしまう人の遺伝子は、そこでおしまいになる。

私たちはそんな、体重が減り始めることにきちんと抵抗でき、脂肪を蓄えておくのに長けていたおかげで生きのびることができた人たちを、祖先に持っているのだ。

だから劇的に体重が減り始めると、もっと脂肪を蓄えなければ!と何十万年に渡る進化の記憶に従って、身体はリバウンドスイッチをオンにする。

したがって、ダイエットをしようと決意した瞬間に2,3ヶ月後の成功をイメージさせる世の風潮は、長期的にみると失敗に終わる場合が多いのだ。

ダイエットの定義の問題点②|運動と食事

続いて、ダイエットの定義の二つ目の問題点を指摘していこう。

こちらはダイエットとは切っても切れない

運動と食事についてだ。

運動習慣と食習慣の改善が、ダイエットに必須なことは誰もが納得だろう。(たまに運動は必要ないという専門家もいるが、この先の内容を読めばその考えは論外だと気付くことになる)

しかしこの[運動習慣&食習慣の改善=ダイエットの為]という図式ははっきり言って間違っている。

運動習慣と食習慣の改善は、たかが目先のダイエット成功の為に必要なのではない。

人生最後の日まで健康で美しく、そして幸せでいるために必要なのだ。

その根拠は山ほどある。

運動習慣がない痩せた人と、運動習慣がある太った人では、運動習慣がない痩せた人の方が痩せているにも関わらず病気のリスクは高いという科学的根拠があるのをご存じだろうか。

また、うつ病、骨粗しょう症、アルツハイマー病など様々な慢性疾患の予防に、運動が効果的なことは証明されてる。

さらに、脳内の栄養物質であるBDNFの分泌を促し、脳の機能を改善することも知られているし、細胞内のミトコンドリアというエネルギー製造機関の量と質の向上に貢献し、老化やがんの予防にもなることがわかっている。

その他、筋力の維持、血流・心臓の機能改善、睡眠の質の向上、ストレスケア、自己肯定感の増幅など、運動をすることのメリットは挙げ始めればキリがない。

食事だって、口に入れるモノの良し悪しで自分の身体の良し悪しが決まると考えることに違和感がある人はいないだろうし、科学的にも証明できるはずだ。

だから、運動習慣や食習慣の改善をダイエットの為に一時的に行う義務に位置付けてはいけない。

適切な運動と食事への取り組みは、ダイエットを決意してこの記事を読み始めた人も、興味本位で読み始めた同業者の人も、何も考えず暇つぶしに読み始めた人も、今この瞬間にこの記事を読んでない残りの世界中全ての人も、一生かけて行うべき必須事項なのである。

ダイエットに代わる第二の選択

さてここまでは、短期間の結果にコミットし、短期間限定で運動と食事制限をする行いがダイエットという単語を定義しており、こういった世の風潮に対して警告しなければいけない私なりの根拠を解説してきた。

痩せたい!美しくなりたい!と、決意することは素晴らしい。

だがそう決意した瞬間には、何の疑いも持たず無意識的に上記した定義のダイエットをイメージしてしまう。

もちろん3ヶ月後のウエディングに、痩せた姿でばっちり写真が撮れればそれでOKという人はなんの問題もない。

でも将来の美と健康を見据えて痩せたい人はどうする?

“ダイエット”は始めない方がいいのではないだろうか?

|シナリオ①|

「3ヶ月間、運動と食事改善を自分なりに頑張ってみたが全然成果が見られない。

ダイエットは、3ヶ月間という短期間でやるものだから、私は失敗したんだと落胆する。

明日からは、こんな無駄なことはもうやめようと決意する。

運動と食事改善の価値は、一生に渡って消え失せる。」

|シナリオ②|

「痩せるためにと、3ヶ月限定で義務的に始めた運動と食事制限で目標の体重まで減量成功。

しかし、その間のストレスと体のメカニズムで1年後には元通りにリバウンド。

あんなきつい思いで頑張った、運動も食事制限も意味ないと割り切り、残りの人生で運動と食事制限をする意欲を失う。」

|シナリオ③|

「美しく健康的な人生をまっとうするために、運動と食事改善を始める。

3ヶ月経ったが、体重は1,2キロしか減っていない。

よし!いいペースだ!

これなら、リバウンドスイッチがオンにならずに済む適切なスピードである。

また、少しづつ量と質を上げている運動も何だか習慣になってきた。

新しくボルダリングでも始めてみよう。

そうすれば将来の美と健康に資すること間違いなしだから。」

この3つのシナリオは少し極端かもしれない。

しかしあなたが、痩せたい!美しくなりたい!健康でいたい!と決意した時に、選択肢がダイエットしかないのはもったいない。

人生というスパンで考えれば、たった3ヶ月で成功か失敗かの判断を下すのは愚の骨頂だろう。

そしてその結果、運動と食事の価値が過小評価されてしまうのはもっともったいない。

多くの人は、シナリオ③のような選択肢を選べる余地があるのではないだろうか?

だから、この先ずっと美しく健康的でいたいならダイエットはやめた方がいい。

そう私は思っている。

エピローグ|幸せとは?

少し前までは、なるべく多量の情報を素早く手に入れられる人が力を持っていた。

だが現在は真逆だ。

これだけネットやSNSが普及した世界では、情報を手に入れるのは誰にでもできる。

だから超情報化社会の現代では、なるべく無駄な情報を無視できる人が力を持つと言えるだろう。

そしてそれに付随して、自分について詳しく知る必要性も増している。

自分はどういう人間で、何を望み、何を欲しているのか?

画一化されるその他大勢と比較して、自分のユニークさとは何なのか?

その自問を繰り返した先に、ようやく人生の意味を見出せるのだ。

尚、この記事内では“幸せ”というワードを頻回に使用してきたが、幸せについての定義はどうだろう?

私たちは、ダイエットの成功と失敗は評価できるが、幸せかどうかを客観的に評価する術をまだ発見できていない。

それなのに私たちは、幸せになる為に考え、行動し、努力する。

一時の間、幸せを感じても、その感情は束の間に消えていく。

過去の幸せな経験を思い出すだけで、この先ずっと満足できる人などどこにもいないだろう。

だからまた幸せを追い求めて、終わらないサイクルを死ぬまで繰り返すのだ。

ゴールはない。

したがって私は、人生の道中を楽しんでいこうと思う。

結果はもちろん、プロセスにも深淵な意味を見出したい。

⇩この記事を書いた神尾健太という人物⇩


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