まだ足りない まだまだ足りない なにもかもが悔しいし なににも負けたくない 俺はもっと輝けるはずなのに まだまだなにも成していなくて 俺はこんなところでは終われない 世界に俺の存在を刻みつけるまでは死ねない
何が楽しくて生きてるんですか? これから楽しいことが続くって断言できない 幸せとは限らない 緩やかに死んでいくだけ その場の熱に浮かされて楽しい思いをしたって本当はつまらない退屈で平凡な日々 家庭を持って子供を作って子供に人生を託して それで子供が成長したことに楽しみを感じて偽物の幸せを享受して 自分の人生ではなく他人の人生に期待して 自分の人生は、自分の幸せはどこにあるんですか? それを俺は見つけたいけれど ないかもしれないって考えると とても怖い 生きることに意味なんてな
私は前々から「男なら泣くな」のように男に見られるのを嫌っていた 他人に男としてどうたらこうたらみたいなことを言われるたびにモヤモヤしていた 男の器をしているだけで中身は女なのか? そんなことを考えたこともあったが、恋愛対象は女性 なら自分はなににモヤモヤして、なにに些細な苛立ちを覚えているのだろうか? 最近少し分かったような気がする カテゴライズ 私はカテゴライズされるのが嫌いなのだ 私は亀ヶ谷以外の何者でもない 逆に私は完璧に亀ヶ谷拓海なのに、余計な情報を付
幼稚園や小学校低学年の頃女子に対して抱く好きって感情はあれはまだ子供だったし、、、みたいな感じで片付けられるし、正直今思う好きとはちょっと違うような気もする 私の通ってた学校は2年から3年に上がるとき、4年から5年に上がるときの2回しかクラス替えがなかった 3年の頃は児童館によく行ってた私たちのグループと女子たちのグループが一緒になって遊ぶことが多かった 遊ぶ時は活発にドッジボールとか鬼ごっこ、缶蹴りのボール版みたいな遊びをしてた 4年になった時にはその女子グループのリ
私は童貞ではない。 最初は童貞だったけれど、童貞じゃなくなった時から後に引けず童貞のふりをしてしまった。 恋愛をして、ちゃんと好きになった人と初めて性行為をするものだと思っていたけれど、実際は違った。 遊びに行った女の子とそういう雰囲気になって断れなかった。断らなかった。 恋愛だのなんだの綺麗事を並べてたのに雰囲気に飲まれて浅はかな行為をしてしまった私はきっとヤリモクで女の子を食ってるような人と変わらないのだろう。 すごい情けない。 でも後悔するのは少し違うのかなとも思う。
人の価値っていうものは他者からの評価によって付与されるものだと思ってる 誰もが一緒にいたいと思う人は価値がある人間で、誰からも避けられる人間は価値のない人間なのだろう 自分の思っている人間像と他者が思う人間像に差異があるなんてことはよくあることだろう 例えば、自分では自分のことを優しい人間だと思っていても他者から冷酷な人間だと思われている そんなことはままあることだ ではこの人間は優しい人間なのか冷酷な人間なのか、 私はこの人間は冷酷な人間だと思う 人間とはことばと同じな
最近楽しいことがいっぱいで気付かないようにしてた辛いことが急に溢れてきた、久しぶりに時間あるときnote書いてみようかな
私は亀ヶ谷だ 私は誰かと外で会う時、学校に行く時、少しコンビニに買い物に行く時、完璧な状態じゃないと外に出られない 風呂に入り、歯を磨き、髪を乾かし、あまり上手ではないと思うが気持ち程度にドライヤーで髪をセットする そしてスプレーで少し固める 爪は削り磨き、服を着替え家を出る そんなだから人との待ち合わせには間に合わないが、そんな私になれたのか友人も後から合流して!みたいなスタンスを取るようになった 私はそっちの方が気が楽だし、私は時間を守ることよりも完璧で失礼のない状態で行
体育祭、文化祭、クラスマッチ 学校行事がひと段落し、受験生としてやらねばならないと思う回数が増えてきた Twitterも10月ごろにやめ、誰かに見せるために文を書くことも無くなった 最近では日記を書くようにしている 自分が生きた証を何かに残したいのだ 近況で言えば、最近は高校3年間で一番楽しいと言っても過言ではない 変な友人ができ、泊まりで鍋をしたり、川の隅に生えてるサボテンを焼いて食べたりした サボテンが食べることのできるものだと思っていなかったが、棘をとり、皮を剥ぎ焼いて
窓から吹き込む風が肌に当たる感覚で気が散って、気になり始めたら風の音、風がテストに当たって髪がビラつくこと、髪が揺れてる感覚、近くの席の人の息を吸う音、部活動生の活気ある声、空の明るさが雲に隠れたりして変化する様子、誰かの指を鳴らす音、靴が地面を擦り、誰かが踵を鳴らし、目の前の人の首の動き、手を動かす時に微妙に肩が揺れてるなって気が散ってテストどころじゃなくなる
私はいじめられていた 中学生の頃だ 私は中学に上がる時、田舎に越してきた 理由は離婚だ 最初は物珍しくて寄ってくる人もいた でもそれは私に興味があるのではなく都会に興味があるのだとわかり私は存在しないのかと酷く虚しくなった それからしばらくして私は彼らの中で方言を話さない標準語で話す気取った奴になった 最初は軽いいじりやバカにするようなノリだったと思う しかしだんだんエスカレートしてきて、いじめに発展していった 一番酷かったのは部活だ 私は父と離れる時に何かあったら使えと渡さ
私には親友と言われて思い当たる人間が数人いる 親友は個人でもいるが、今回は親友グループの話をしようと思う それは中学の同級生グループで僕を含む4人でよく泊まったり釣り行ったりカブトムシを取りに行ったりするようなヤツらだ グループが出来たきっかけは些細なことだった 中学の頃友人の家に泊まりに行った時、4人までなら泊まれると言われ、その日暇だった4人である 私たちは学校帰り、ゲーセン、ダーツどれも思い残すことのないほど楽しんだ 学校帰り、4時に終わったはずなのに帰り道の田んぼの縁
私は文や絵で何かを表現するのが好きだ 正確には形にするまで頭の中から消えてくれないから私なりの形で供養しているのだ Twitterで出会った少し年上の友人はデジタルで絵を描いていた 私は今まで紙にしか絵を描いてなかったのでデジタルで描いてみることにとても興味を持った しかし絵を描くと言っても、絵の描き方も、正しい影の描き方も、芸術的な細かなことも何一つとして私にはわからない 私はただ、頭に浮かんでくる快だったり不快だったりする図を紙やスマートフォンに描き映すのだ ただただ不気
私には人の気持ちがわからない 私は理解できないわけでも感情のないサイコパスでもない ただ、人の気持ちがわからないだけなのだ 例えば、人が傷付いていても、辛そうにしていても言葉にして悲しいとか苦しいとか伝えられないと私にはわからない 私はそれのせいで多分だが人を無理に笑わせてしまっているのだと思う それでも私には笑っているから、楽しいと言っているのだからこの人は今幸せなのだろうと思ってしまう 私は人の表面しか見れないのだ 私は今までたくさんの友人を持ち、たくさんの友人を失ってき
私には忘れてはならない友人がいた気がしてしまう ふと、こういうことあったよな。と思って友人に聞いてみても"そんなことない"と言う 私はもっと昔のことだったのかと思い中学の頃の友人、小学校の頃の友人、色々遡って聞いてみる 皆口を揃えて"そんなことない"と言う 私も記憶は朧げで、具体的に何をしたか言えと言われても答えられないのだが、たしかにソレはいた気がするのだ 私にはそれが皆で口を揃えてなかったことにしよう、臭い物に蓋をしようと触れないように腫れ物のように扱っているのではないか
怒りで胸を張り、悲しみで前を向き、苦しさをバネに足を進める これは私の生き様だ 私はまだ何も成していない 私はただ17年間耐えてきただけで抗っていないのだ なぜ私は世界にビクついて足を震わせているのだろう なぜ、私の苦しみの1/10も耐えれなさそうな人間を前に怖気付くのだろう 何も恐れることはないのだ 私は今までたくさんの苦しみを耐えてきた これ以上の苦しみなど存在しないとさえ思う 私は運良く遺伝子には恵まれた方だと思う あれほどの苦痛を受けたことと比べても