岸本真澄

岸本真澄

最近の記事

【光る君へ】芸の肥やし

3回目の放送まで観て、芸の肥やしという言葉が頭に浮かんだ。 実用日本語表現辞典によれば、「芸を身につけるにあたって有益なさま、芸の深味を増したり新しい境地を見出したりする余地が大いにあるさま、などを意味する言い回し」。 まひろは、幼いころから知的好奇心にあふれていた。 そして、文章を書くのが好きだった。 思ったことを文字で表すだけでなく、手紙の代筆をして自分以外の人の立場を想像したり、知識だけでは計れないさまざまな人間模様を目の当たりにした。 自身も、上級貴族のいっときの感

    • どうする家康最終回【神の君へ】

      寿命が尽きようとしていた家康を迎えに来たのは、信長の命を受け、理不尽な思いを抱いたまま自害した妻と息子だった。妻に導かれた先で待っていたのは、信頼していた家臣たち。からかわれながらも、自分は幸せ者だと思った。 敗れれば、一族郎党が皆殺しとなり、かろうじて生き延びた者たちの遺恨が、新たな争いを生む。妻と息子を失ってからは、そんな憎しみの連鎖を断ち切ろうと前に進み続けた。 だが、彼が戦い続ける真意を知らない者たちは、恐れたり、陰口を言ったり、狸に見立てて皮肉ったりした。いくさ

      • 「どうする家康」名場面コラム【憧れの君】

        母のことが大好きだった。 母が思いを寄せていた人は、自分にとっても「憧れの君」になった。 その人が本能寺の変のあと、命を狙われ逃げ続けていると聞いた。 「ご無事でありますように」 神に願い続けた。 祈りが通じたのか、無事であることを妹たちが知らせてくれた。 心の底から安堵し、妹たちも喜んでくれたが、照れもあり、「私はただ母上がお喜びになるだろうと思っただけ」と言って、自分の気持ちを隠そうとした。 だが、母や自分と妹たちが絶体絶命の危機に追い込まれた時、憧れの君は来てくれ

        • #どうする家康【第44回の金言】

          大河ドラマには、ビジネスや経営にも通じる金言が出てくることがある。 11月19日放送の『どうする家康』もそうだった。 家康「わしら上に立つ者の役目は、いかに理不尽なことがあろうと、結果において責めを負うこと。うまくいった時には家臣をたたえよ。しくじった時は己が全ての責任を負え。それこそがわしらの役目」 正信「才ある将が一代で国を栄えさせ、その一代で滅ぶ」 康政「才ある将一人に頼るような家中は長続きしない」 正信「人並みの者が受け継いでいけるお家こそ長続きいたします」

        【光る君へ】芸の肥やし

          #どうする家康【天下分け目】

          大軍に囲まれ、銃撃で致命的な傷を負ったというのに、鳥居元忠は笑みを浮かべていた。 「数えきれない仲間が先に逝った。ようやくわしの番が来たんじゃ。うれしいのう」 石田三成の逆襲に備え、家康から伏見城で留守を守るよう命じられた時、腹をくくった。 「わしは挙兵したいやつはすればいいと思っております。殿を困らせるやつは、このわしがみんなねじ伏せてやります」 家臣の中では優秀さが目立つ存在ではなかった。 「わしは腕が立つわけでも、知恵が働くわけでもない。だが、殿への忠義の心は誰にも

          #どうする家康【天下分け目】

          #どうする家康【太閤、くたばる】

          幼かった時から飢えていた。 母は悪かったと自分を責めた。 「腹いっぱい食いてえ。いつもそう言っていた。でも、何も与えてやれなかった」 現実を嘆いていても空腹は満たされない。百姓のままなら、たぶんずっと。そう思うようになったころ、織田信長と出会う。役に立ってくれるなら身分は問わないという。 懸命に仕えた。生まれた時から武士だった者たちは、馬鹿にしつつも、這い上がろうとする彼のとてつもない熱量を脅威と感じていた。 のちに彼に追い詰められた柴田勝家は、北ノ庄城で自害する前、こう

          #どうする家康【太閤、くたばる】

          #どうする家康【見事に演じ分けた北川景子】

          今年は若手の俳優が多い上に軽そうで、史実とも随分と違っていると思い、途中で観るのをやめてしまった、昭和からの大河ドラマファンの皆さん、ぜひ今からでも #どうする家康 に戻ってきてください! クライマックスを迎え、回を追うごとに重厚感が増しています。 「そう、これが大河!」とひざを打ちたくなるシーンも増えました。 そして、これまでなかった市と茶々を一人二役で演じている北川景子さんは、演じ分けが難しいはずなのに、それをプラスにとらえています。 母の苦労や無念を知っているからこそ

          #どうする家康【見事に演じ分けた北川景子】

          #どうする家康【於愛日記】

          鳥居元忠を慕う気持ちは誠のものか。そう尋ね、千代が返したきた言葉が自分と重なった。 「わかりませぬ。きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」 かつて、子どもたちにも恵まれたささやかな幸せが、夫の戦死によって崩れてしまった。 家康に仕えることになってから、癒えない心の傷を悟られないよう、笑顔をつくるようにしてきた。 気づかぬうちに素の自分が顔に出ていないか心配で、家事をしているさなかでも、水鏡を見て口の両わきが上がっているかを確かめた。 そんな作り笑いが似

          #どうする家康【於愛日記】

          #どうする家康 【数正出奔】

          秀吉の欲が果てることはない。 石川数正は、大阪へ行くたびに確信を深めていった。 安土を超える巨大な城を築き、この世のすべての富を集めたがごとくの町をつくり、天皇に次ぐ権力も手に入れた。 「みっともないなまりをわざと使い、ぶざまな猿を演じ、人の懐に飛び込んで人心を操る。欲しいものを手に入れるためには手段を選ばぬ。あれは化け物じゃ」 秀吉の姿をこう表現した時、家康は「秀吉が怪物ならば退治せねばならん」と怒った。 そう来ると思っていたが、それでは家康が、めざす方向を間違えてしま

          #どうする家康 【数正出奔】

          『どうする家康』 第30回から 〜 市の思い

          強かった兄にあこがれていた。 自分も男のように乱世を駆けめぐりたかった。 幼き日、男をまねて、高い崖から水の中に飛び込んでみた。 だが、泳ぐこともままならず溺れかけた時、自分の手を握り、助け上げてくれた少年がいた。 水を吐き出し、目を覚ますと、少年は自分をまっすぐに見つめて言ってくれた。 「これからもお助けします。必ず助けます」 その言葉を聞いて、張りつめていたものがほぐれていった。心がときめき、女に生まれて良かったと思った。 月日がたち、りりしくたくましくなった少年が再

          『どうする家康』 第30回から 〜 市の思い

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          真っ白だった着物が、自身から吹き出た血の色で染まっても、信長は友を待っていた。 幼いころから「誰も信じるな」と教え込んできた父が、死期に近づいてから、こう付け加えた。「どうしても耐え難ければ、心を許すのは一人だけにしておけ。こいつになら殺されても悔いはないと思う友を一人だけ」 唯一、友だと思い続けていた男がいた。 彼は、自分が遠い昔に失くしたものを、今も持ち続けていた。 身内や家臣を寄せつけず、父の教えに従って、誰よりも強く賢くあらねばと思ってきた自分に対し、友のほうはか

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          『日曜の夜ぐらいは…』が伝えたかったこと

          第1回の最初のシーンで、ドラマの世界に引き込まれた。 まだ暗い早朝、主人公サチが目を覚まし、部屋の灯りをつける。眠い目をこすりながら朝食の準備をして、足を動かせない母親を抱き、車椅子に乗せる。身支度をして、家を出て、自転車で職場に向かう。 起きる時間や段取り、家庭環境や交通手段は人それぞれだが、誰にでもある朝のルーティン。 自分の身の上とも重なるのではないかと思い、展開を追ってゆくうちに、目がうるみ、心が温まってゆく。 大阪ABCテレビ制作『日曜の夜ぐらいは…』全10話が終

          『日曜の夜ぐらいは…』が伝えたかったこと

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          「殿をお連れせよ」 夫を城に戻すよう家臣たちに命じた瀬名の声は、近寄りがたいほど堂々としていた。 慈愛の心で結びついた大きな国をつくるという途方もないはかりごとに、家族だけでなく、多くの人たちを巻き込んでしまった。 夢物語ではなく、できると思っていた。戦い続けても深い悲しみと憎しみが増してゆくだけと思っていたのは自分だけではないはず。実際、疲れ切っていた者は次々に賛同してくれた。 だが、食うか食われるかという日々の現実を優先せざるを得ない者からは、冷ややかな視線が向けら

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          瀬名が、自分と信康をあやめる企てを事前に知ることができたのは、家臣のひとり山田八蔵が打ち明けたからだった。 家康が信長に味方してから、いくさに駆り出され続ける家来たちは疲れ切っていた。この状況を岡崎の町奉行だった大岡弥四郎は「無間地獄」と言った。同じ思いだった八蔵も企てに乗るはずだった。 だが、武田軍に追われ岡崎城に逃げ帰ってきた時、瀬名が自分に気づいて近づいてきた。 「傷口が膿むぞ」。そう言って、けがをしていた右腕に薬を塗ってくれた。 恐れ多くて「お手が汚れまする」と止

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          自分を許し続けてくれた家康が殺されかねない危機にあった。 「命を使い切るなら今」 夏目広次に迷いはなかった。 「殿、具足をお脱ぎくだされ」 いつになく強い調子で願い出た広次の言葉を聞き、居合わせた家臣たちはその覚悟を理解した。 家康が身につけていた武具を皆ではがしにかかる。 広次が自分の身代わりになろうとしていることに気づいた家康は、必死で止めようとした。 だが広次には、せめてこれくらいはしなければという確たる思いがあった。 まだ幼かったころの家康が、自分が身近にいなが

          #どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

          宮尾登美子原作ドラマ『藏』

          宮尾登美子原作のドラマといえば『篤姫』が有名だが、それよりずっと以前、1997年の正月三が日に放送され、視聴者の涙を誘った秀作がある。 『藏』。反響の大きさから、これまで何度か再放送された。 大正から昭和初期にかけて、新潟で酒造りを営んでいた大地主の長女が主人公。幼少期に、だんだんと目が見えなくなる病にかかっていることがわかるが、母親は治してあげたいと祈りながらも亡くなり、その妹が育ての親になる。 長女は、いつかは完全な盲目になってしまう恐怖を抱えながらも、母の妹であるお

          宮尾登美子原作ドラマ『藏』