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#どうする家康【岸本真澄 名場面コラム】

瀬名が、自分と信康をあやめる企てを事前に知ることができたのは、家臣のひとり山田八蔵が打ち明けたからだった。

家康が信長に味方してから、いくさに駆り出され続ける家来たちは疲れ切っていた。この状況を岡崎の町奉行だった大岡弥四郎は「無間地獄」と言った。同じ思いだった八蔵も企てに乗るはずだった。

だが、武田軍に追われ岡崎城に逃げ帰ってきた時、瀬名が自分に気づいて近づいてきた。
「傷口が膿むぞ」。そう言って、けがをしていた右腕に薬を塗ってくれた。
恐れ多くて「お手が汚れまする」と止めようとしたが、瀬名はこう続けた。
「そなたらの血や汗ならば本望じゃ。ご苦労であったのう」

この言葉を聞いた時、八蔵は自分がいかに愚かなことをしようとしていたかを思い知った。
瀬名は自分をただの駒とは思っていない。むしろ済まないと思っている。
心を痛めながら、皆を戦場に送り出しているのだ。

八蔵は、これから起きることを瀬名に伝えようとしたが、声をかけられると切り出せなかった。
どうしてよいかわからず、すすり泣いていると、その声に引き寄せられるように瀬名が現れた。
瀬名だけでなく重臣たちにも詫び、計画を話し、最悪の事態は食い止めることができた。

領地や仕える者が増えれば、一人ひとりと言葉を交わすことが難しくなる。
だからこそ上に立つ者は、話を聞いてあげられなくても、皆を家族のように思いやらねばならない。
瀬名は日頃からそう信じてきたから、今回は命を落とさずに済んだ。

だが、信長が家康より優位にある状況は、瀬名の立場を危うくしてゆく。
悲劇へ向かう流れは、止められないところまで来ていた。

#どうする家康
#岡崎クーデター

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