人と接することと人見知り、一人の彫刻家との出会い
こんばんは。「カクシアジ。」です。
気づけば夜風を冷たいと感じなくなったのは、つい最近のこと。
もうすぐ春が訪れるような気がしますね。
色鮮やかな四季の中で、僕の一番好きな桃色の季節です。
天気のいい日が続くと気分が上がり、
1日の始まりをなんとなく楽しく感じるのは、僕だけでしょうか。
きっと共感してくれる人がいてくれるはずです。
お昼には香ばしい焼きたてのバターパンを、
食後にはコーヒーの香りと味を楽しむ。
親子連れの家族と、子犬を連れて散歩している人の活気溢れる公園で。
道ゆく風に誘われて、新たな出会いがありそうな気がしてくるのです。
でも鳩には気をつけてくださいね、都会の鳩は随分人懐っこいようです。
至福のひと時を鳩の群れ襲われては大変です。
でも無視するのはかわいそうなので、少しだけ構ってあげてください。
彼らもきっと、必死に生きているので。
人と出会うこと
皆さんはこれまでに、どれくらいの人との出会いがあったでしょうか。
新たな生活の節目には、何かと人との出会いが付き物。
新たな出会いのなかで、第一印象は大きくその人との関係性を
左右するものです。
僕の過去を振り返ってみると、「親の仕事の都合で、、」
という決まり文句で、何度も転校を繰り返すような幼少期でした。
時には海の見える街に、時には田んぼに囲まれた田舎町に、
時には冬の雪が猛威を振るうような場所で生活したりと、
転々と色々な地で過ごしてきました。
その都度もちろん新たな人と出会いがあり、
友人関係を築き上げてきたので、人と出会うことといえば比較的多く、
随分と慣れていたような気がします。
僕の幼少期の性格は活発な方で、自分で言うのもおかしいですが、
クラスの中では目立ったお調子者でした。
そんな性格のおかげで友達作りに苦労することは全く無く、
今では、日本中のあらゆる場所に住む友人たちがいることが
僕の中のかけがえのない大切な財産になっています。
しかし、高校進学と共に現在の場所に定住することになって以来、
以前よりも人と出会う機会が減ったように感じたのは、
人と接することが少し苦手になったことに原因があるかもしれません。
いつの間にか気づかず、僕は人見知りになっていたのです。
転校を繰り返すに連れて、内向的になっていったのかもしれません。
大学生になった今では、友達がいない訳ではありませんが、
心から付き合っているような友人はあまり少ないかもしれません。
これが僕のこれまでの人付き合いというものでした。
笑顔のサンダルおじさん
人との出会いはいつ、どんな時にやってくるかは分からないものです。
それは時に偶然性を持ち、私たちの身にやってくる。
しかしながら振り返って見ると、
その出会いは必然性の中の出来事のような気がするのです。
現在僕は学生の傍、建築の設計事務所でアルバイトをしています。
先日の夕暮れ時、いつもより早めに仕事が終わったので、
よく行く近所の喫茶店で軽く作業をしようと立ち寄った時のことです。
そこで一人の魅力的な人との出会いがありました____。
店内は香ばしいコーヒーの香りで満たされており、
外の寒さを忘れさせるものでした。
カウンターでホットコーヒーを注文し、席に着く。
見慣れた景色に落ち着き、ホッと、コーヒーを一口。
そして作業に取り掛かるのでした。
コーヒーを三、四口程飲んだ頃、隣に一人の男性が座るのが分かりました。
半袖のラフな格好で、まだ外は寒いのにサンダル姿。
最初の印象は、近所に住むおそらく五〇代のコーヒー好きなおじさん。
コーヒーと大きな手提げカバンを持って席に着くなり、
おもむろに取り出したキャンバスノート。
コーヒーと消しゴムと数本の鉛筆を机に広げ、
なにやら絵を書いているようでした。
そしてそのおじさんが只者では無いと感じたのは、
実は僕のコーヒーが冷め、ほとんどなくなりかけていた時なのです。
作業が終わり、コーヒーを飲み干して席を立とうとした時、
ふと隣のおじさんに目がいったのはおそらく偶然ではなく、
その描いていた絵に僕の思考の全てが持って行かれたからです。
サンダルおじさんは肖像画のような絵をひたすらに描いていました。
それはものすごくリアルで繊細な、彫りの深い西洋人の顔でした。
一瞬にして身も心も意識がその絵に惹かれた僕は、
「声をかけて話しをしてみたい」
と考えるようになったのです。
真剣な表情で絵を描いているものですから、
なかなか声をかけることはできず、
残り一口の冷めきったコーヒーを、どう飲めば時間を稼ぐことができるか
そんなことばかりを考えていました。
声をかけるタイミングを見計らって、
その場に止まるための理由欲しさに、コーヒーを少しずつ口に含みました。
そして、彼が鉛筆を置いてコーヒーを一口飲み終えたタイミングで、
「絵、とてもお上手ですね」
と、ようやく言えた一言。
一瞬戸惑った様子のサンダルおじさんは、僕の声と顔を確認するなり、
「ありがとうございます。」
と笑顔で返事を返してくれたのでした。
「あまりにも素敵な絵でしたので、
つい声をかけたくなってしまいました。
この絵はどういった絵なんですか?」
初対面で失礼ながらも、何とか会話を繋げようと口から出た言葉。
「そうでしたか、今は教え子の描いている絵を添削しているところです。」
どうやら美術の絵を専門に、生徒に絵を教えている先生だったようです。
その後話は弾み、僕が建築を勉強していること、彼が普段は彫刻家であり、自身の作品制作の傍、学生に絵を教えているということを知り、お互いの素性が明らかになっていきました。
しばらくして、彼の所属しているアトリエの名刺をいただき、
梅雨の時期に行われる展覧会へのお誘いをしていただきました。
「私はいつもここで絵を描いていますから、また時間があれば
いつでも声をかけてください。建築の勉強も頑張ってくださいね。」
と、短い時間ながらもとても魅力的な人とのこの出会いは
僕の中で間違いなくとても実りある時間でした。
この出会いが、いつか何かの縁を伝って自分に巡り合ってくる。
その時、この出会いに意味があったことを感じることができれば、
必然性の額縁に飾れたこの素敵な時間を認識し、
自らの価値観に大きな変化を与えてくれたこの出会いを
僕の大きな財産として誇らしく持っていたいと思うのです。
人にはいつ、どんな時に出会いが訪れるかわかりません。
しかし、勇気を持ってその人を知ろうとすることは悪ではない。
いつか大きな巡り合いをもたらしてくれると、僕は信じています。
今、あなたの隣にいる人がどんな人なのか。
気になった時に勇気を出して声をかけてみることで、
きっと新たな発見があるのではないでしょうか。
あなたの人生がより実りあるものへと変化してくれることを願って。
日々の生活にちょっとした「カクシアジ。」を。
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