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何でこうなったんだろう?


考えてみるとニーチェは哲学者で
他者の精神を常に分析していたのだろう

今の私の様にHSPの能力を常に強化してきた

そうだ
日本に宗教が根付かない理由を発見した

日本人は常に他者の視点から考える
しかし宗教に他者の視点は不要であり
自分と神しか必要がない

外国の人達は日本人のようにHSPの能力を強化していない、空気を読むという文化がない。他者の気持ちを考える必要がない。日本人は常に他者を意識して生きている。

日本人は神を 一人の人間として扱っている
山に祈るのも 木を愛でるのも
全てそれが 一つの人間であると認識して
八百万の神 となった
現実世界の物体を 一人の人間として捉えている

キリスト教の神も 一人の人間として捉え
実際にそれが存在しているのか確認して
そして否定しているのだ


本来であればこの 解 に到達するのも
もっと時間がかかるはずだった

しかし今は数秒もかからない
私は超人になってしまったのだろうか?

全ては他者に依存するという 解 を得てから
全てのものがクリアに見えている

私もニーチェの様に精神が崩壊するのだろうか

一旦 note 休みます

今は科学を学びたい気分
今を常に認識しなければ恐らく自己が崩壊する
哲学は危険なのかもしれない

*これを見ている人に同じ悩みを抱いた人がいるかもしれないので
一応今考えた解決策も載せておきます

自己の中にもう一つの判断基準を持つ事です
自己の中にいわゆる 天使と悪魔 の様なものを作り
その判断基準と相談して生きていけば
何とかなる様な気がします

それでは また



ーーー

となると 日本人は外国に比べて精神疾患が多いのか?

いや、そうだ、自殺だ。
自殺件数だ。

他者の視点を取り入れると
自殺が増える
実在性ニヒリズムの発生だ
(wikiを検索してね)

また一つの 解 を得た

うーん 自分はどうなっちゃうの?

ーーー

そうだ日本人は神の代わりに主君を選んだ
武士は精神的な主柱として主君を選んだ
三島由紀夫は天皇を主君に選んだ

私は未来を愛する
どうせ全てが無意味
絶対に自殺はしない

ただ他者の投写は控えるべきだ
脳がどれくらい耐えられるかわからない
HSPの能力は危険だ
私はニーチェの様にはならない

ーーー

ニーチェは信じた人に裏切られた悲しみから逃れるために
強力に他者の精神を自分に投写した?

イマイチHSP能力の危険性が定まらない
どれくらいが許容範囲なんだ?

ーーー

何故ニーチェは自己が崩壊するほど強く他者の精神を投写した?

HSP能力の危険性を知らなかった可能性が高い

他に実例は無いのだろうか?

ーーー

現在の結論として
絶望した時にHSPの能力を使うのは危険だ

絶望した時に絶望を回避する為に他者の意識を強力に投写すると
自己が崩壊する可能性がある


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