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松本人志をこのまま葬ってよいものか

はあ、松本人志を、なんとか救えないものかねえ。

わたしがこんなところで何を言おうが、もうどうしようもない感じだけどねえ。

いろいろおぞましい話も出てきているけど、未成年者を長年襲いつづけたジャニー喜多川と同列には語れんでしょう。


なんとかならないものか、と、わたしが強く思ったのは、こんな記事を見たからですね。


松本人志「活動休止」のウラで、“クリーン”なとんねるずに再脚光

長期間、表舞台から姿を消すとなれば、いくら松本といえど“過去の人”になりかねない。そうした中、ここに来て再び注目されているのが同世代のお笑いコンビ「とんねるず」だ。
「2人ともとおに還暦を越えていますが、タレントとしての力の衰えは全く感じません。それにトップ芸人の座に上り詰めてからは、女性スキャンダルはほとんど聞きません。今はコンプライアンスに大変厳しいこともあり、私生活は比較的クリーンな彼らが再びテレビのメインストリームに返り咲く可能性も囁かれています」(スポーツ紙芸能デスク)
(1月15日 ASAGEI BIZ)


おい、ちょっと待ってくれよ、と思う。

松本人志が消されて、「クリーンなとんねるず」が戻ってくる、って、どんだけ時代錯誤なんだ、と。


松本人志の図抜けた新しさ


そもそも、とんねるずとダウンタウンは「同世代」と記事で書いてるけど、「同世代」じゃないです。

きのう、高橋春男のことを書いていて、彼が1989年に出版した「大日本中流小市民」の表紙に「とんねるず」がしっかり描き込まれていることを確認していた。

高橋春男『大日本中流小市民』(1989)


この1989年の時点では、とんねるずだけが目立っていた。ほかには「やす・きよ」なんかが描き込まれている。まだダウンタウンが浮上していないんです。

Wikipediaなどによると、「とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン」が「お笑い第3世代」として一括されてるけど、同時代の感覚としては、全然一緒じゃないです。

とんねるずの石橋貴明は62歳(1961年生まれ)、松本人志は60歳(1963年生まれ)と、年齢こそ近いけれども、世の中に出たタイミングはかなりちがう。(ダウンタウンは大阪での「アイドリング」が長かった)

世の中的には、とんねるずは1980年代の事象、ダウンタウンは1990年代の事象。

とんねるずは昭和からつづく事象、ダウンタウンは平成からの新事象。

とんねるずはバブルの勢いで伸びた。ダウンタウンはバブルが破裂した後の世相に刺さった。

はっきりちがう。ウッチャンナンチャンは、その中間です。

年表にあらわせば、以下のとおり。(以前、「日本映画学校」の記事を書いたときつくった年表の改変)


1980年 「THE MANZAI」「笑ってる場合ですよ」「お笑いスター誕生」などが始まる。漫才ブーム。吉本興業に東京事務所できる
      とんねるず結成

1981年 内海桂子好江が横浜放送映画専門学院の俳優科で講師を始める

1982年 とんねるず「お笑いスター誕生」でグランプリ
      内海の授業を受けたピックルス(楠美津香)が卒業後デビュー
      吉本興業がNSC(吉本総合芸能学院)創立
      NSC1期生の2人が「ダウンタウン」結成

1983年 好江のクラスに内村光良、南原清隆、桂子のクラスに出川哲朗が入る。好江は、内村と南原に、お笑いへの転向を勧める    

1985年 とんねるず「雨の西麻布」でFNS歌謡祭特別賞など新人賞総なめ
      内村、南原、出川、横浜放送映画専門学院卒業
      横浜放送映画専門学院は、3年制の専門学校「日本映画学校」に改組

1986年 日本映画学校が新百合ヶ丘駅北口に開校
      内海好江が審査員をしていた「お笑いスター誕生」で内村と南原の「おあずけブラザーズ」(のちウッチャンナンチャン)優勝

1988年 「とんねるずのみなさんのおかげです」始まる
      ウッチャンナンチャンがゴールデンアロー賞芸能「新人賞」
      ダウンタウンが東京進出

1989年 昭和→平成に改元
      「ウッチャンナンチャン」始まる
      「ダウンタウンのガキの使いやあれへんで」始まる

1990年 バブル崩壊


とんねるずがはっきり先行しているのがわかるでしょう。

とんねるずのピークは1985~89年ごろ、ダウンタウンのピークは1995~99年ごろ(2人が芸能人長者番付のトップになった)。大きくとれば、だいたい10年の開きがある。

高橋春男が「大日本中流小市民」を1995年に出していたら、表紙にダウンタウンが大きく描かれていたはずです。


松本人志がやばいから、とんねるずに戻るって、それは平成から昭和に戻るようなもので、歴史の逆行です。

そして、令和の時代になっても、本質的な部分で、松本を超えるお笑いは出てきていないのではないかと思う。そのくらい、その「新しさ」は図抜けていた。


それに、とんねるずの芸はパワハラ的で、時代に合わなくなったから棄却された、ということになっていたはずだ。

ラリー遠田は、とんねるずとダウンタウンを「ヤンキー的/オタク的」という用語で対比させ、とんえるずからダウンタウンに歴史が流れる必然性を説いていた。


とんねるずとダウンタウンを対比させるために私は「ヤンキー的/オタク的」という言葉を用いた。体育会系のノリでハッタリを駆使して芸能界をのし上がろうとするとんねるずの石橋貴明は「ヤンキー的」であり、笑いという知的ゲームで自らが最強であることを示そうとするダウンタウンの松本人志は「オタク的」である、というふうに定義した。

ここ数十年で世の中の流れはヤンキーからオタクに傾いている。「ヤンキーは格好いい、オタクはキモい」という時代から「ヤンキーはダサい、オタクは普通」という時代に移り変わったことで、ヤンキー的な価値観を貫くとんねるずは苦戦を強いられている。

(「とんねるずがここまで時代錯誤になったワケ 視聴者も「パワハラ芸」に辟易している」2018年8月26日 東洋経済オンライン ラリー遠田)


わたしは別にとんねるずに特別の敵意はないし、安田成美のファンだから悪く言いたくない。

だけど、わたしはとんねるずは面白いと思わなかったが、ダウンタウンは面白いと思った。

とんねるずがダウンタウンの代わりにならないことは明らかだ。


松本人志という巨大な「文化」


それに、松本人志の文化事象としての大きさは、とんねるずの比ではない。

ダウンタウンは、その後の日本の文化を変えた。言葉を変え、若者の生き方を変えた。

とんねるずも、ウッチャンナンチャンも、関東の笑いだが、たとえばいまの日本人が「めっちゃ」などの関西方言をふつうに使うのは、ダウンタウンの影響だ。

「日本でヒップホップがそこまで流行らなかったのは、ダウンタウンが出て、ヒップホップに走りそうなやつがみんなお笑いを目指したから」

と言ったのは誰だったろうか。それもおおむね正しいのではないか。


ダウンタウンの文化への影響力は、タモリや北野武とくらべても断然大きい。人の生き方を変えるほどの影響力をもったのはダウンタウン、松本人志だけである。

今回の騒動で、

「松本人志は、学がないから、タモリや北野のようになれなかった」

と言ってる人がいたが、それはまったく転倒した議論だと思う。

学がなくても松本のようになれる、というのが大きかった。だから、多くの人の生き方を変えたのだ。そのポイントを見逃している。松本の革命の大きさを見誤っている。


わたしは実際、北野武が映画製作などに走ったのは、お笑いで松本人志にかなわないと悟ったからではないか、とさえ思う。

ついでに言うなら、「松本とちがって、北野は女を守って講談社を襲撃するほどフェミニストだった」と言うのは、ウィル・スミスのビンタを礼賛するのと同じだろう。バカげている。


松本人志の不幸は、師匠がいないので、自分を叱る存在がおらず、それにくわえて、長期にわたり、松本を越える存在が出なかったことだろう。

松本におごりや増長、調子に乗っていたところがあっても、まあ仕方なかったと思う。

罪は罪、才能は才能だ。30年に1人のレベルの天才を、そうやすやすとつぶしていいものだろうか。

罪を償えるなら償って、なんとか復帰や名誉回復の道を残してあげたい。



<参考>
日本でHIPHOPが流行らないのはダウンタウン説ってのがあるらしい【賛否両論11】(みのミュージック 2021年1月7日)

*「松本人志の新しさはお笑いに『質』を持ち込んだこと」など、松本のアーティスト性を論じている。



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