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YouTubeは高卒者の才能を解放した

ある日、気づいたわけです。

私がYouTubeでよく見ている、貞山放送の貞山鉄生さんとか、サランピTVのくろ局長とか、みんな高卒だなあ、と。

彼らの番組は、面白いというのもあるが、考え方に共感できるのだ。

人気YouTuberの代表みたいなHIKAKINからしてそうですね。

ちゃんと調査したわけではないが、人気YouTuberは高卒者が多いのではないか。

YouTubeが面白いのは、高卒者の才能を解放したからではないか、と。

立花孝志氏なんか典型でしょう。高卒でNHK職員になった。ネットやYouTubeがなければ、政党の党首にはなっていないはず。(そして、NHK受信料拒否という主張は、マスコミ内の「大卒連合」からは出てこなかった気がする)

いわゆるレガシーメディア、マスコミと言われる、テレビや新聞と比べると、歴然ですね。

新聞、テレビは基本、大卒者しかいません。立花孝志氏はNHKの庶務課に入ったわけだけど、編集や編成などの中核部門は大卒だし、出世するのも大卒。例外的に大学中退が少しいるけど、高卒ですぐ入ったというのはその中核グループに入れない。(そして、大卒の中でも、東大でなければ、とか、名門高校出身でなければ、といった差別があった)

マスコミの社員がそうだし、新聞に書いている人、テレビで解説している人、つまり「識者」はみんな大卒。

YouTubeにくらベて、新聞やテレビが面白くないのは、そのせいではないか。

これまでメディアから流されてきた意見は、要するに大卒者の意見、世界観なわけです。

きのう、Twitterで、「学生運動」の評価についてバチバチやっていたけど、ああいうのも典型的な大卒の世界観ですね。大学行かないと学生運動なんてのにも無縁だから。

マスコミに入ると、大卒ばかりだから、それが当たり前になる。みんな大卒だと思って、大卒基準の記事や番組を作る。自分たちが社会の主流だと思って疑わない。

だけど、それはわりあい狭い階層の、画一的な体験や意見にもとづいている。

マスコミの出演者での例外は、芸人やスポーツ選手ですね。彼らは大卒でなくてもマスコミに出られる。

しかし、芸人やスポーツ選手も、マスコミでキャスターや解説者になろうとすれば、大卒の肩書が要求されたりして差別される。

そのまんま東も、大学に入り直さなければ、「識者」としてマスコミに相手にされなかった。

はっきり言えば、新聞・テレビは、大卒者しか信用していなかった。

いちおう言っておけば、平成年間を通じて、大卒者は急激にふえた。

これは、大学の数が急激にふえたことと同時ですね。

我々(60歳代)の世代は、大卒はせいぜい3割くらいだった。

大学進学者が半数以上になったのは平成時代のことで、いまの20代〜40代では5割を超えている。

とはいえ、まだ約半分は高卒(と中卒)だ。

大学進学が過半数になったことで、大卒の価値がインフレを起こしているのは確かですね。

高卒者が少数になったことで、学歴コンプレックスをより持つようになったかというと、そうではない気がする。

むしろ、大卒のありがたみが薄れたことで、学歴コンプレックス全般が薄れた。大卒者のエリート意識も以前よりは薄れた。そういう印象を持つのだけど、どうだろう。

学歴が業績に直結するわけでないことはみんな分かっているし、高卒で独立して自立したい、起業して早く成功したい、そして早めに社会からリタイアしたい、といった価値観が強まっている。その一環として、SNSが隆盛している面もあると思う。

ともかく。

マスコミが大卒者の世界だったから、そこから排除されている人たちは、これまで実質的に、社会的発言権や表現機会が制限されていたわけですね。

それを解放したのがネットであり、YouTubeなどのSNSですね。

だから、それは単にテクノロジーの変化ではなく、社会変革というべきだ。かつて金持ちの男しか投票権を持たなかった選挙が、普通選挙化したくらいの意味がある。

そして、そのこと自体がまた社会を変えていく気がする。

まとめればーー大卒が独占していたメディアを、大卒以外が持った。YouTubeなどを面白くしているのはその要素だし、エリートメディアがよく言う「分断」も、それが原因かもしれない(そして、それはいいことかもしれない)。

学歴は依然センシティブな問題なのか、その点があまり指摘されないような気がするので、今回はそれを指摘しました。

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