見出し画像

「メキシコ」の立場 ウクライナ戦争と満州事変と台湾有事

ウクライナは「メキシコ」か?


ノーム・チョムスキーは、今回のウクライナ侵攻でのロシアの立場を擁護して、「ロシアとウクライナ」の関係を、「アメリカとメキシコ」の関係になぞらえています。

ロシアがウクライナにしたことを、場合によっては、アメリカだってメキシコにしただろう、というふうに。

侵攻の目的は「ウクライナの中立化・非武装化だ」と言ったロシアのラブロフ外相に、チョムスキーは、こう言って「理解」を示します。

彼(ラブロフ)の言葉が意味しているのは、基本的には、ウクライナをメキシコのようなものにしようということだ。
基本的に、ラブロフの提案は、「ウクライナをメキシコにしよう」と解釈するのが穏当だ。これは、(米国が妨害しなければ)追求され得たかもしれないオプションだ。


私は、このチョムスキーのロシア擁護を、井上達夫氏の『ウクライナ戦争と向き合う』で知りました(上の引用は同書のp90-91より)。

つまり、チョムスキーは、

「もしメキシコが、アメリカの敵国、例えば中国と軍事的同盟を結ぼうとすれば、アメリカはこれを阻止しようとしただろう。ウクライナも、ロシアの敵国(西側諸国)と軍事同盟を結ぼうとしたから、ロシアはそれを阻止しようとしているだけだ」

と言いたいわけですね。


満州事変で使われたロジック


この「アメリカとメキシコ」の関係を引き合いに出すロジック、どっかで聞いたなあ、と思いました。

数週間して、思い出しました。そう、日本の満州事変を、アメリカ人が擁護したときに使われたロジックなのです。


満州事変(1931年)から4年後の1935年、アメリカを訪れた近衛文麿の体験を、平泉澄が『日本の悲劇と理想』(p141)に書いています。


近衛公は(中略)シカゴでドウズ氏に会ったところ、同氏は他にも六人も米国人がいる前で、はばかる所なく日本を賞賛し、日本の政策には全然同感であって、日本のような国がなければ、東洋の平和は保てない、日本と満州の関係は、アメリカとメキシコのそれに似ている、メキシコで満州のようなことが起こったならば、アメリカは黙っていないであろう、日本はまだ手ぬるい、とまで論じた事などは、矢部氏の「近衛文麿」(上279ー280頁)にも見えています。


「日本と満州の関係は、アメリカとメキシコのそれに似ている、メキシコで満州のようなことが起こったならば、アメリカは黙っていない」

当時のアメリカの中の日本擁護派は、今回のチョムスキーが「メキシコ」を使ってロシアを擁護したのと同様に、「メキシコ」を使って日本を擁護しました。

つまり、チョムスキーの目には、今回のロシアの立場が、1930年代の日本の立場と同様に映っているわけですね。


満州事変とウクライナ戦争


そもそもなぜ当時、日本が満州を保有していたかといえば、日露戦争でロシアに勝ったからです(ポーツマス条約)。

そして、なぜ日本が日露戦争を戦ったかといえば、ロシアが中国を「ロシア化」しようとしている、と日本などの目からは見えたからです(ロシアの南下政策)。「メキシコで満州のようなことが起こったならば」というのは、そのことを意味します。

(日本を含めたアジアは、北から来るロシア、南から来るイギリスに狙われてる、というのが当時の日本の基本認識でした)

中国の「ロシア化」を防ぐために日本が満州を取り、やがて日中戦争に入っていくプロセスは、ロシアがクリミアを併合し、それからウクライナ侵攻につながっていくプロセスと、似ていると思います。

当時の中国から見たら、日本であろうとロシアであろうと、侵略されたことにおいては同じですが、満州(中国)をロシアに渡すくらいなら日本に渡した方がいい、という日本寄りの世論は、アメリカにもありました。

平泉澄は前出の本で、サンフランシスコ・エキザミナー紙の1932年の論説を引用しています(p136)。

日本が今日満州において行っていることは、米国がテキサスをメキシコより取った時に我々のしたことと同じことをしているに過ぎない(Japan is only doing in Manchuria what the U.S. did when it took Texas away from Mexico)。


米国がテキサスをメキシコから取った米墨戦争において、アメリカには、戦わなければテキサスをイギリスに取られるかもしれないという危機感がありました。

つまり、「イギリスに取られるなら、メキシコからテキサスを取った方がいい」と判断したアメリカだから、「ロシアに取られるなら、中国から満州を取った方がいい」という日本の判断を支持したわけです。

(もちろん、こうした日本寄りのアメリカ世論は、日米開戦に向けて、次第に消えていきます)


強国と小国


ここには、以下のような観念の連想があるようです。


ロシアーウクライナ

 <イコール>

アメリカーメキシコ

 <イコール >

日本ー1930年代の中国(支那)


いずれも、前者は強国、後者は小国(弱い国)、ですが、後者は「実力」がないから、信用できない。後者がバカなことをしたら、前者が是正して当然だ、と思われるような関係です。


チョムスキーの二重の侮辱


井上達夫氏のチョムスキー批判の主眼は、次の論理にあります。

チョムスキーは、ニカラグアなど中南米へのアメリカの不当な介入を、これまで散々批判してきた。

にもかかわらず(そしてその批判は正当であるにもかかわらず)、今回の発言では、アメリカのメキシコへの介入を正当であるかのように前提している。それは矛盾であるし、これまでの発言の正当性をも台無しにしている。

「ニカラグア」も「メキシコ」も、主権国家なのだから、どちらもアメリカの介入が当然視されるべきではない。

それを当然視するのは、ニカラグア、メキシコ、ひいてはウクライナに対する侮辱である、と井上氏は言いたい。

チョムスキーの(中略)議論に対しては、ウクライナ国民だけでなく、メキシコ国民も怒りや不快感を覚えるだろう。(井上p93)


しかし、ここでも私には、以前にnoteで述べたのと同じ、井上氏の議論への疑問があります。

私に言わせれば、「ニカラグア」「ウクライナ」と「メキシコ」は、等価ではないわけです。

井上氏は、メキシコ国民が怒りや不快感を覚えるはずだというが、本当にそうだろうか。

確かに不快かもしない。しかし、おそらく、その怒りは、ニカラグア国民が覚えるほどではないだろう。

ニカラグアなら、アメリカに刃向かうかもしれない。

しかし、チョムスキーがここで「メキシコ」を引き合いに出したのは、

「自由意志(主権)はあるけれど、決して刃向かってこない相手」

として、ではないでしょうか。

そのニュアンスを、井上氏は見逃しているのではないか、と。

つまり、主権を無視しているだけの侮辱ではなく、「主権はあるが使わない」と見くびられている点で、もう一段深い侮辱だと思うのです。


ずっとナメられている「メキシコ」


メキシコが、アメリカから、そのような意味で「二等国」視されているのは、満州事変の時にも「メキシコ」が使われたことから、わかると思うんですね。

100年前から、「メキシコ」は、アメリカ人にとってそんな存在だと思うんです。

米墨戦争でコテンパンにやっつけている。確かに時々反米的な動きはあるけれど、どうせ刃向かってはこない、そんな根性はない、と思われている。

トランプの「壁」問題でもそうだったでしょう。お前んとこの不法移民が来て迷惑だから、メキシコとの国境に壁を作る、ついてはそのカネをメキシコが出せ、とか言ってたんだから。

あれだけトランプがメキシコをナメきった態度を取れたのも、そういう「メキシコ」認識があるからではないでしょうか。

それが、チョムスキーにも出てしまったのではないかと思うんです。

それは、井上氏が思っている以上の、倫理的侮辱なのです。

そして今回、チョムスキーは、倫理的に間違っている以前に、事実において間違ったわけです。

つまり、ウクライナは「メキシコ」ではなかった。ウクライナはそれを、ロシアに刃向かうことで証明したわけですね。


平和の代償


話は飛びますが、こういうことは、人間関係でよくあることではないでしょうか。

仲がいいこと、平和であるのはいいことです。しかし、平和は、強者と弱者の両方に、等しく恩恵を与えるわけではない。

平和はどうしても既得権を固定化・強化します。

平和の中では、どうしても「強者」が「弱者」を少しずつ搾取する。

仲がいい友達でも、ナメられていると、少しずつ、いいように使われたり、カネを取られたりする。

アメリカとメキシコの関係は、そんな風に見えます。

「平和」を優先する限り、この関係は続く。

そこで、「いい加減にしろ」と怒る人と、怒れない人がいる。

怒った後の「弱者」は、ボコボコにされるだけかもしれない。

しかし、怒ったことで、関係が改善されるかもしれない。

そして、もし喧嘩で勝ったら、関係が逆転するかもしれない。

一か八かだけど、怒らない限りは、平和が続く代わりに、搾取される関係も変わらない。


日本は「メキシコ」か


かつての日本とロシアとの関係もそうでした。

平和を破り、思いきってロシアと戦ったら、日本が勝った(日露戦争)。

それで、日本は世界中から尊敬される、少なくとも一目置かれる存在になった。

満州事変で、アメリカに日本の支持者がいたのも、日本が「実力」を見せつけたからだと思います。

しかし、それでつけ上がって、思いきって英米と戦ったら、ボコボコにされた(太平洋戦争)。

ボコボコにされたけれども、喧嘩した価値というのは、やはりあると思うんです。

日本はアメリカの支配下に置かれた。その意味で、日本も「メキシコ」を笑えない、「メキシコ」と同じ立場です。

だけれど、アメリカ人の目から見ても、「メキシコ」と同じではない、と思う。それほどナメられてはいない、と思うんですね。

それは、経済力のこともあるだろうけれど、やはり一度、メキシコより激しい仕方で、全力でアメリカと喧嘩してみせた、ということは大きいと思うんです。

(とはいえ、強者のアメリカは、少しずつ弱者の日本に不利な条件を押し付る、ということはあるでしょう)


「喧嘩」の必要ーー台湾有事


100年前に、「メキシコ」の位置におかれたのは、当時の中国(支那)でした。

アヘン戦争で負け、日清戦争で負け、どうにも頼りにならない、ダメな存在に見られていた。

日本としては、

「中国がもっとしっかり、ロシアを含めた西洋列強からアジアを守ってくれればいいけど、頼りにならないから、日本がその代わりをしている」

くらいの気持ちがありました。

例えば、明治期の東洋史の権威だった白鳥庫吉・東大教授は、アジアでは日本だけが文明国で、中国、朝鮮などその他の東洋国は「老い衰えて見る影もない」と論じました。これは脱亜論に立つ当時のインテリの共通認識でした。


それから100年たち、現在の中国は、当時の支那ではなく、「メキシコ」ではないことは、みんな知っています。

でも、中国をナメている感じは、日本にはずっとあるのではないでしょうか。

今や、ロシアよりも怖いのは中国であるのは明らかなのに、何となくロシアの方が怖いと思っているところはないでしょうか。

そうだとすれば、それはやはり、これまでの「喧嘩」の歴史から、そう思っていると思うんですね。

私が習近平なら、中国は何となくナメられている、と感じると思う。

そしてそれは、中国がまだ、世界と戦ってみせていないからだ、と思うと思う。

一度は大喧嘩をして実力を見せないと、ナメられっぱなしだな、と。

ウクライナ紛争からも、習近平はそんな教訓を得たかもしれない。

私が習近平なら、機会があれば喧嘩する、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?