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日本のリベラルを縛る「丸山真男の呪い」

私は丸山真男に影響を受けた世代ではないし、個人的にハマったこともない。

ただ、日本思想史に興味があると、どうしても丸山真男と接点ができてしまう。思想史研究者としてのシャープな見方には感銘を受けたことはある。

しかし、ここでは言論人・丸山真男の戦後思潮への影響を問題にしたい。

丸山真男が戦後のインテリ層に植えつけた「思想」は、まとめると以下のような考えだ。

1 知識人は共産主義に理解を示すべきだ

2 しかし知識人は共産党に入る必要はない

3 大衆は知識人の指導を受けなければならない。

これを「丸山真男主義」というなら、それが世代を超えて、現在の「リベラル」にも影響していることは確認すべきだと思う。

よく右翼や保守層が、日本の左翼リベラルを中国や北朝鮮の手先のように言うが、これほどの見当外れはない。左翼リベラルがどこであれ国家に忠誠心を持つなら立派なものと言うべきだが、彼らはそんなものと無縁だ。丸山主義とは無国籍の唯我独尊思想である。

あまり言われないが、左派メディア、特に朝日新聞、毎日新聞における「丸山真男主義」は、現在も非常に強い。丸山の教え子や信奉者がいまどきどこにいるかと言えば、朝日や毎日の上層部とOBにいる。丸山真男は絶対権威として批判することは許されない。あと10年もすればそれもいなくなるだろうが、それまで新聞社があるかどうか・・・。

ともかく朝日・毎日は、今もこの丸山主義の第3テーゼ「大衆は知識人の指導を受けなければならない」の実戦部隊を担っている。

よく岩波・朝日文化と言われるが、それはすなわち丸山真男主義である。

そして、丸山主義は、「野党共闘」のような考えにも影響している。共産党員ではないが、共産党の同伴者を、丸山主義者は「市民」と呼んだのである。

共産党と「同伴」することに立憲民主党が不思議なほど違和感や疑問を持たないのは、すでに丸山主義がそれを容認してきたからである。

丸山真男の父は、朝日新聞記者の丸山幹治だ。筆禍事件である白虹事件で長谷川如是閑とともに朝日をやめた人である。丸山の思想はジャーナリズムとの共犯関係を前提にしている。

竹内洋が指摘したように、丸山真男の原体験は、戦中(東大法学部助手時代)に「愚かな右翼」にいじめられたことだった。東大法学部は右翼の集中砲火を浴び、右翼学生に東大教授が許しを請わねばならなかった、その屈辱がトラウマとなった。

朝日新聞や丸山幹治も同様の体験をした。丸山主義は結局、戦中の朝日新聞などの「共産主義者と一緒にいじめられた自由主義者」の怨念を引きずるものと言っていい。

(毎日新聞は戦中は皇室第一主義で右翼だったのだが、戦後は朝日新聞の真似をすることに決めたようだ。)

右翼嫌いから、「反・反共主義」になる。共産党は、敵である右翼の敵、つまり敵の敵だから「味方」なのだ。

敵は右翼であり、右翼が敵だと燃える。安倍晋三は「右翼」認定されたので、「市民」が張り切って標的にする。

青木理みたいな人はそれを知っているから、安倍の背後に岸信介の姿をあぶり出して、戦中の右翼ー安保闘争ー安倍晋三、という連続線を描いて丸山主義者の怨念を焚きつけた。

以上述べたこと含め、丸山真男にはすでに多くの批判があり、私が初めて言うことはもうないのだが、以下の丸山主義の短所は、常に確認されるべきだと思う。


1 丸山主義は、あくまで知識人の覇権を目指すものだから、無教養な労働者含めた非知識人層・庶民に冷たく、彼らに主導権を取られることは決して容認しない。(衆愚主義。国民投票を嫌う)

2 丸山主義は、醒めた知識人の醒めた国家観しか持たないので、愛国心とか日本人のアイデンティティーなどに興味がなく、むしろ戦中の右翼を連想させるそれらを嫌悪する。(無国籍主義。安全保障への無関心)

3 丸山主義は、みずからリスクを取って戦うことはない。安全地帯から大衆を操ろうとするだけである。(日和見主義)


だから、立憲民主党などの丸山主義リベラルは、今日の貧しい労働者や、普通の愛国者たちから、「本当に味方なのか」と疑問を持たれて当然である。

丸山主義リベラルは、あなたの友達にはなるかもしれないが、あなたの立場まで降りてきてくれないし、リスクをおかしてまであなたと共に戦う気はない。「労働者の味方にはなりたいが、労働者にはなりたくない」の立場なのである。

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