宗教とメディア 広告出してりゃ批判はされない
オウム真理教事件の発端を題材にした「1989年のアウトポスト」という小説を書くために、最初にオウムを告発した1989年当時の「サンデー毎日」を読んでいて驚いたことがある。
当時のサンデー毎日は、新興宗教全般に批判的かというとそうではなく、福永法源の法の華とか、桐山靖雄の阿含宗とかの広告が、平気に載っているのである。
麻原彰晃が「なんで俺たちだけ批判されるんだ」と怒ったのも、わかる気がしたのだ。(その時点でのオウムの「罪状」は、若者の「出家」をめぐって家族と紛争していたことくらいだった。脱会しようとした信者を1人殺害していことが後に判明するが、マスコミは知らなかった)
サンデー毎日を発行する毎日新聞社と創価学会とのズブズブの関係は当時から有名で、サンデー毎日でも池田大作氏が連載したりしていた。
「毎日新聞は創価学会に支配されている。信者をオウム真理教に奪われることを恐れた創価学会の司令でオウム真理教が攻撃されている」
と麻原は考えるようになり、そのように主張して毎日新聞社を攻撃する本を「オウム出版」から出している。
麻原は、政治・メディアを含めた世の中全てが敵に思えるようになった。毎日新聞と創価学会の関係が麻原の妄想に火をつけたのは間違いない。オウム真理教が、天皇とともに、池田大作氏の暗殺を計画していたことがのちに判明する。
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もし、オウム真理教が、福永法源の「法の華」のように、サンデー毎日に広告を出していたらどうだっただろうか、と考えることがある。
広告主であるなら、サンデー毎日はオウム真理教告発記事を書かず、死傷者約6000人のオウム真理教事件そのものが起こらなかったかもしれない。
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一般に、新興宗教は、既成メディアと友好的な関係を築けるかどうかが、その死命を決するように思われる。
いうまでもなく、その象徴的ケースは創価学会だ。
1970年の宮本顕治共産党書記長盗聴事件や、1977年の野坂参三共産党議長演説妨害事件など、創価学会は公明党の選挙活動に熱心なあまり社会的問題を起こし続けていた。
「巨額献金」も「池田大作氏の女性スキャンダル」も、当時は週刊文春、週刊新潮などの格好のネタとなっていた。
しかし、1980年ごろを境に、創価学会批判記事は消えていく。創価学会が過去を反省したということもあるが、経営危機に陥った毎日新聞(TBSの株主)の「スポンサー」だったことが大きい。
創価学会は、毎日新聞を中心に、いまでは多くのメディアの「スポンサー」となっている。
創価学会ウォッチャーとして有名だった毎日新聞の花形記者、内藤国夫は、池田大作氏批判記事を書いたことがきっかけで、1980年に毎日新聞を事実上クビになる。その経緯を内藤自ら『愛すればこそ 新聞記者をやめた日』(文藝春秋)という本に書いている。
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1990年代、オウム真理教とともに批判の的となった「幸福の科学」は、その後、あまり批判されなくなった。
書籍広告などをマスコミに盛んに出すようになったことが理由だと思われる。
最近、毎日新聞の出版物で、深見東州のコスモメイトの広告を見た。新聞本体に広告を出しているかは知らないが(読んでないので)、あまり人の目に触れないような地味な出版物には、その手の宗教団体の広告がよく載っているようだ。
賢い宗教団体は、どこかの時点で学ぶのである。メディアと敵対してはいけない。敵対すると潰される。不満な信者がメディアにタレ込んでスキャンダルにされるかもしれない。メディアには普段から「お布施」をしておかなければならない、と。
広告を出していても、批判記事がまったく載らないわけではない。メディアは「口止め料」を決して受け取らない(それは最終手段であり、もし受け取るとすれば、めちゃくちゃな額をふっかけてくる)。しかし、広告を出していれば、「阿吽の呼吸」が働く。そこが重要なのだ。
もちろん、その「お布施」は、信者から集めた莫大な献金から使われる。
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悪い例が、幸福の科学ほど賢くなかったオウム真理教であり、マスコミと仲良くすることができなかった。
既成メディアの「スポンサー」になればよかったのに。
旧統一教会も、その点では愚かだったと感じる。
政治家への「お布施」は万全でも、メディアに対しては足りていなかった。
そのトガメを現在受けている。
<追記 8月9日>
その後、毎日新聞と中日新聞などが、つい最近まで統一教会系イベントを好意的に記事にしていたことが発覚した。
他紙が書いていないとすれば、「記事広告」である可能性がある。
自紙で統一教会を好意的に扱っているのに、統一教会との関わりある政治家を攻撃するのは、矛盾ではないか。
ーーと思うが、こうした新聞はもういい加減すぎて、何も考えていないのだと思う。
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