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左翼からの転向者たち ホロヴィッツ、西部邁、藤岡信勝、渡辺恒雄・・・

1990年代の後半から2000年代初めにかけて、洋書ばかり読んでいる時期があった。

アマゾンなるものがアメリカで出来て、洋書が安く買えることに興奮していた。まだ円が高く、丸善の3分の1くらいで買えたのである。

そのころに読んで、大きな影響を受けたのがデイヴィッド・ホルヴィッツ(David Horowitz)の「ラディカル・サン Radical Son」(1996)だ。

ホロヴィッツは1939年生まれ。1960年代の新左翼の代表的論客、しかも相当な過激派で、ヴェトナム反戦運動を主導し、晩年のサルトルや毛沢東派、パンサー党と行動を共にした。

しかし、1970年代に転向し、80年代にレーガン支持派として論壇に再登場する。いわゆるネオコン(新保守)の1人である。

「ラディカル・サン(過激な息子)」は、ユダヤ系アメリカ共産党員の家庭に育ったホロヴィッツが、保守に転向するまでを綴った思想的自伝だ。


当時、冷戦は終わったのに、いつまでも「左翼の季節」を清算できず、混迷する日本の論壇やマスコミに、私はうんざりしていた。

私が「ラディカル・サン」にハマったのは、左翼リベラルへの疑問や、それを抱えて90年代以降を生きる葛藤への解決を、示唆しているように思えたからだ。

本書はアメリカでもベストセラーになった。当時、私は出版界にいたので、本書を翻訳出版したいと思った。だが果たせず、結局、どこからも出なかったのは残念だった。


ホロヴィッツの経歴を聞いて、日本人が思い出すのは、西部邁ではないだろうか。

確かにホロヴィッツと西部は同年生まれであり、左翼から保守に劇的に転向した点は同じである。西部は「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」という思想的自伝も出している。

ただ、西部の左翼活動歴は60年代前半で終わる。日本式にいえば、西部は全学連、ホロヴィッツは全共闘世代の新左翼だ。

その差はかなり大きい。私のような世代(1960年代生まれ)が影響を受けたのは全共闘世代であり、西部のような全学連世代は、すでに遠い昔のイメージだ。

ホロヴィッツは、団塊より年齢は少し上だが、思想的には全共闘だった。日本でいえば、鳥越俊太郎、栗本慎一郎あたりか。鳥越が、左翼ボケのまま老いぼれず、80年代に華麗に保守に転向していたら、同じ感じだろうか。


全共闘の密かな転向者は、日本にも大勢いただろうが、彼ほど派手に転向し、自伝まで書いて影響力を持った人は、いなかったのではないか。

90年代、日本の論壇に影響力を持ったネオコンとしては、渡辺恒雄を挙げるべきだろうが、彼はさらに上の世代で、思想的にもそれほど深くない。

藤原信勝などが、世代的、転向のタイミング的には、近いかもしれない。ただ、彼の影響力は限定的だったし、私の知る限り、さして面白い本を書いていない。


ホロヴィッツの本を翻訳出版していたら、日本の論壇に対しても、ある程度のインパクトはあったはずである。

そして、日本の論壇の「左翼ボケ」「平和ボケ」も、多少治療できたかもしれない。

しかし、その時も思ったが、保守主義は、国ごとに着地点が違うから、難しい。彼の保守主義も、日本人に共感されにくいかもしれないと思った。

「ラディカル・サン」で描かれる、ホロヴィッツの新左翼時代の思想は、日本で流布されたものとほとんど同じである。反戦、反権力、反差別ーーいわゆる左翼リベラルの思想だ。

だから、彼がそれに失望し、間違っていると気づき、自らそれに反論するロジック、論拠も、だいたい日本で通用する。

しかし、保守主義ーー何を「保守」するかというのは、国ごとに違う。

ホロヴィッツのそれは、白人自由主義の保守であり、銃規制に反対し、移民、黒人解放運動、イスラムなどに厳しい(彼はゲイには寛容だが)。

それらは、保守主義者を含め、日本人にはピンと来ないだろうし、少なくとも身近ではない。

ホロヴィッツは、80代で今も元気だが、熱烈なトランプ支持者である。国内でも極右あつかいだろう。そうなると、私もあまり共感できなくなる。


ホロヴィッツのような、思想的に雄弁な転向者が日本に現れたとしても、日本の何を「保守」するべきかで苦悩するのではないか。

それは、西部邁をはじめ、左翼からの転向保守主義者が、みな突き当たる壁のように思える。

反共、反リベラルという意味での保守なら、上述のように、思想的には簡単だ。ある意味、世界共通だからである。

しかし、日本は何を保守するか、となるとーー日本の場合は、天皇制だろうか。

三島由紀夫のような文化保守は、文化の最高部分(日本文芸の美意識)を押さえている点では、私自身は納得できる。しかし、ホロヴィッツからみれば、イスラムと変わらないだろう。

明治政府が作り上げた天皇制を肯定し、大東亜戦争を肯定するのか。

しかし、それはまさに戦後の天皇制が否定している天皇制であり、三島と同じように、絶対矛盾の中に自滅することになるだろう。

何より、今の西欧化した日本人の中で、説得力を持たないだろう。

西部は欧米の保守主義を紹介したが、欧米の保守主義を肯定すればするほど、日本で保守すべきものがなくなる。どちらの保守につくかで、親米と反米が相矛盾する、そういう境地になる。

三島と同じように、西部もやはり自滅したように私には思われ、トランプとともに、とにかくも元気なホロヴィッツとは、対照的に思われる。


この問題は大きすぎるので、改めて考えてみたい。

ホロヴィッツを思い出したのは、ウクライナ戦争を見ていると、90年代、冷戦の終わった頃を思い出すからである。

レーガンを支持し、冷戦が終了した直後、30年前のホロヴィッツが何をしていたかというと、ポーランドに行って、共産主義からの解放を現地の人と祝っていた。

ウクライナ戦争、そしてアメリカ大統領のポーランド訪問を見て、それを思い出したのである。






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