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大岡昇平「花影」と三島由紀夫「憂国」 「死を準備して生きる者」の文学

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不倫を描くモデル小説


大岡昇平の「花影(かえい)」(1961)は、当時大きな話題となった作品だ。毎日出版文化賞、新潮社文学賞を受賞し、池内淳子主演で映画化もされた。

大岡昇平は「野火」や「俘虜記」などの戦争文学で知られるが、「花影」は、「武蔵野夫人」の延長の姦通小説、風俗小説に位置づけられる。大岡の作品群のなかで、いま積極的に評価されているとは言えないジャンルである。

それ以上に、文学研究者には、この作品はモデル小説としてスキャンダルを起こしたことで知られる。

小説は、妻子ある男と愛人との関係を、フランス心理小説流の乾いた文体で描いている。愛人は最後、自殺する。小説のなかの男とは大岡自身であり、愛人は、大岡との関係に苦しみ自殺した坂本睦子であることは、周囲には明らかだった。小説は、坂本睦子が昭和33(1958)年に44歳で死んだ直後から書き始められ、死の3年後に刊行された。

同時代に高見順が「花影」を批判したのをはじめ、坂本睦子の友人だった白州正子も、後にこれを非難した。実在の人物である坂本の姿が歪められている、というのが批判の中心だが、その底には、不倫の末に坂本を死に至らしめた大岡(と、その経緯を厚かましくも小説にする大岡)への倫理的非難もあっただろう。

しかし、この小説には意外な理解者がいた。三島由紀夫である。


戦後文学と坂本睦子


三島由紀夫との関連に触れる前に、なぜ私がこの「花影」を読んだかを説明しよう。

私自身、大岡昇平といえば、戦争文学と、「事件」のような作品しか読んでいなかった。

いま話題になることもない「花影」を読むきっかけは、河上徹太郎である。

河上は、私の住む柿生(川崎市麻生区)ゆかりの文学者だ。戦時中、鶴川(東京都町田市)の白洲次郎邸に疎開していた河上は、戦後、その近くの柿生・片平に移り、死ぬまで住んだ。この地の自然をテーマにした「都築ヶ岡から」などの随筆集がある。

私は、郷土史研究の一環として河上の足跡を辿っていた。


その河上徹太郎の愛人だったのが、「花影」のモデルとなった坂本睦子だ。

河上は、昭和13(1938)年ごろから、現座のバーのホステスをしていた坂本睦子を愛人とした。 

そして、戦後の昭和25(1950)年ごろ、大岡昇平は、河上から奪うようにして坂本を愛人にした。

河上も大岡も、坂本睦子を最初に知ったのは昭和6(1931)年ごろだった。そのころ、小林秀雄が坂本睦子に求婚している。河上も、生涯の親友であった小林秀雄から坂本睦子を奪った形だ。

小林、河上、大岡のほか、直木三十五、菊池寛、中原中也、坂口安吾らの愛人だった昭和文壇の「妖女」、坂本睦子は、それ自体が興味深い対象だが、ここでの主題ではない。


ともあれ、坂本睦子が最も長く付き合ったのが、河上徹太郎だった。河上を知るためには避けて通れないと思い、私は坂本をモデルとした「花影」を手に取ったわけである。

三島由紀夫と「花影」


「花影」が現実の坂本を描けていない、という批評をあらかじめ知って読んだので、それほど期待値は高くなかった。

しかし、「花影」は傑作だった。いまさら私なんかが言うのも間が抜けているが、60年前の小説とは思えない、きびきびした文体と、銀座の風俗を浮き彫りにする描写力、怜悧な心理分析、無駄のない巧みな構成に、たちまち引き込まれてしまった。

ちなみに、大岡の死後、平成時代になって、久世光彦が同じ坂本睦子をモデルに「女神(じょしん)」(2003)を書いている。

私はそれも読んだ。おそらく「花影」への批評を気にしたのだろう、新たに坂本周辺を取材して、より客観的に坂本睦子を描こうとしている。

だから、坂本とその周辺をより知るには有益だが、作品としては、「花影」が数段上だと言わざるを得ない。久世の作品はより情緒的だが、基本的な坂本像は同じであり、「花影」に比べて冗漫と感じる。

それはともかく、「花影」を読みながら、私が思い出していたのは、三島由紀夫だった。

同じフランス心理小説の影響を受けたから、似ているのは当然だな、と思ったが、読後、作品の後に収録された作者「あとがき」の中で、三島が登場したので一驚した。私は「花影」を1982年の岩波全集版で読んだのだが、その「あとがき」は、1972年の「花影」限定版発売のさいに書かれたものである。

 ヒロインが早くから自殺の決意を固め、準備していたことは、最後の章まで明かされません。(中略)『中央公論』に連載中は、あまり評判がよくなかったのですが、最後の章に突然それを出したことに、三島(由紀夫)さんは作者の技巧と認めてくれました。
 私としては、ぶきっちょなため、なんとなくそうなってしまったのですが、三島さんはそれを高度な技巧として、ひどく賞めてくれたのでした。それは彼自身高度の技巧家であった三島さんの小説家のメチエを示していると同時に、その頃から三島さんが自殺の決意を固めていることを語るものだ、と私は感じます。自殺の支度をしながら、それを誰にもいわずに普通に生きている。そういう人物を描いたこの作品がなんとなく気に入ったのだろうと思います。


実は、私が「花影」を読みながら漠然と連想していた三島の作品は「憂国」だった。

戦後の銀座の夜の世界を描き、「風俗」という題名で最初構想された「花影」と、2・26事件を背景にした「憂国」の世界は、あまりに違う。しかし、私がなぜ「憂国」を連想したのか、この「あとがき」を読んで氷解したのである。


偶然と必然


「花影」が、「自殺の支度をしながら、それを誰にもいわずに普通に生きている」人物の話になったのは、実在のモデルを描いたらそうなったという成り行き、いわば偶然であり、必ずしもそういう人物を描こうとしたものではない。

しかし、その自殺を、やり損なわないよう、完璧にやり遂げようとする意思、それを、悲愴感というより、当然の習慣のようにおこなう主人公の行動に、私はなんとなく「憂国」を連想していたのだ。

考えてみると、「花影」の中の「坂本睦子」がそういう人物になったのは、成り行きとばかりは言えない。

作者の大岡のなかでは、坂本の自殺は自分のせいではなく、彼女はもともと自殺を志向していた、と考えたい気持ちはあったであろう。その方向に積極的に人物を造形していったとしたら、それは必然だ。

例えば大岡は「花影」で、次のような場面を描いている。作中の松崎は大岡の仮名、葉子は睦子の仮名である。


神明町の旅館で休んで、葉子を抱くと屍のような感じがしたので、松崎ははっとした。葉子は長く松崎を離さなかった。
「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。
「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまっているの」

大岡昇平「花影」


岩波全集版の巻末解説で、加賀乙彦が指摘しているとおり、この作品は冒頭の、

葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったかも知れない。

同上

という1行から、人生に飽き飽きして、世の中そのものに別れを告げたい「ムード」を巧みに表現している。

その仕掛けに敏感に反応したのが三島だった。

三島は「花影」を読み、自分のことを描いたように感じ、「自殺の支度をしながら生きる」、そういう生き方を小説として表現できることを発見したのかもしれない。

(大岡の主眼は、不倫が悲劇に終わるまでの男女の心理の機微を描くことで、「自殺の支度をしながら生きる者」を描くことではなかっただろう。しかし、大岡の技術的な「ぶきっちょ」から、結果的に、自殺の意図を隠して生きる人間の物語となった。大岡も、三島の評価によって、そのことに事後的に気づいたのではないか。そして、そうした作品になったことが、三島にある「効果」を与えた。)


自死を見定めて生きる者


いま振り返れば、三島の「花影」への共感には、同時期に「宴のあと」というモデル小説を書いていた親近感もあったと思う。文学史的には、両作がともにスキャンダルに(とくに後者が裁判沙汰に)なったため、以後モデル小説は書きにくくなる。

だが、大岡の「花影」が1958〜9年に連載されたあとに、三島が「憂国」(1961)を書き、さらに「奔馬」(1967−68)のような自決者の作品を書いたことには、より直接的な影響関係ーー「花影」が決定的な契機になった可能性ーーを想像していいはずである。

「憂国」は、言うまでもなく、三島の反時代的転換を最初に印象づけた作品で、三島の死までの行動を規定したような作品だ。その出発点近くに、この「花影」はあった。

三島の自決(1970)の後に書かれた、この大岡の「あとがき」では、そこまでのことは書いていない。ただ、以下のように言っているのみだ。


一九六五年にノーベル賞を貰っていたら、三島さんは自殺しなかったのではないか、といわれることがありますが、私はこの作品(花影)にからむ個人的な思い出によって、そうでないと思っています。


坂本睦子の自殺と、三島由紀夫の自殺を結びつけて考える人は、あまりいなかっただろう。

しかし、そう思って見ると、確かに似ている。その背景や動機がまるで違っていても、自殺そのものに躊躇がなく、どれだけ完全に自殺できるか、それだけを考えて生きていたことが、2人の自殺にうかがえるのである。

坂本睦子と、三島由紀夫は、人間として、同類だったのではないか。

坂本睦子は44歳で、三島由紀夫は45歳で自殺した。結果として三島は、坂本睦子の死を追う形になった。

私はもちろん、人に自殺はしてほしくない。私の年(60歳代)になれば、知人の何人かは自殺している。それぞれに事情はあるだろうが、自殺は残された者にも無念を残し、苦しめる。自殺したいという人があれば、何としても翻意してもらうよう努力するだろう。

だが、結局のところ、自殺者の心理は分からない。自殺者自身にも分からないかもしれない。少なくとも、そう思うしかない人間のカテゴリーがあるようだ。

三島由紀夫も、私の長年の関心の対象だった。小学生のころから彼の作品に親しみ、自決の衝撃はリアルタイムで経験した。「憂国」も、「奔馬」含む「豊穣の海」も、若い時から繰り返し読んだ。

今回「花影」を読んで、意外ないきさつから、これらの作品への別視点と、三島の生涯の秘密に触れた思いだ。

「自殺の支度をしながら、それを誰にもいわずに普通に生きている」人がいるということ。そんな人間社会の深淵を、思いがけず覗かせてくれるのも、優れた文学の力と言うべきだろう。



本稿で言及した書籍
大岡昇平『大岡昇平集 第5巻』(1982、岩波書店)
三島由紀夫『花ざかりの森・憂国』(1968、新潮文庫)
三島由紀夫『奔馬 豊穣の海(二)』(1977、新潮文庫)
久世光彦『女神』(2003、新潮社)


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