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ケーベル先生のちょっとアレなところ

ラファエル・フォン・ケーベル(1848〜1923)と言えば、夏目漱石の「ケーベル先生」で有名だ。漱石の名随筆と言われ、国語の教科書にもよく載っていた。


ケーベルは明治政府のいわゆる「お雇い外国人」で、東京帝国大学で哲学や美学、文学を長く教えたドイツ人。ケーベル自身の随筆も、国語の教科書によく載ったらしい。

西田幾多郎、安倍能成、九鬼周造、和辻哲郎ら、明治のほとんどのアカデミックな思想家が教え子だし、東京藝術大学でピアノと音楽史を教え、日本で最初のオペラ公演もおこなった。

人格者の名教師として知られ、

「文科大学へ行って、此処で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人迄は、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう」

という漱石の一節がよく引用される。

以後、多くの教職者が、「ケーベル先生」をお手本にしただろう。

でも、ケーベルには変なところが多々あった、ということが『近代日本のキリスト者』という本に書いてあった。

以下のようなケーベルの側面は、Wikipediaにも出ていない。


ラフカディオ・ハーンいじめ


東大の同僚で、漱石の前任の英文学講師であったラフカディオ・ハーン(小泉八雲 ギリシャ出身)を、イジメていた。

「異様な日本人の生活を扱った『怪談』を書き、日本の女と結婚して日本に帰化した『異教徒』だ」

と差別した(ケーべルは熱心なキリスト教徒だった)。

ケーベルは、ハーンのいない時、講師室で、

「異教徒は救われない。救われない魂を救うには焼き殺すべきじゃないか」

と放言していた。

ある日、ハーンの悪口を同僚と言い合っているところをハーンに聞かれ、ハーンが顔色を変えたことがあった。

ロシア嫌い


ケーベルの母はロシア人で、ケーベルもロシアで生まれているのだが、ロシアが大嫌い。特にロシア正教が嫌いだった。

「このビザンチン的、奴隷的、涜神的、および魯鈍にして頑迷なる形式的迷信に堕せるロシアの僧侶・・宗教と文化とに敵対する邪悪なる主義の徒党・・」

とありとあらゆる罵声を浴びせている。

それはまあいいとしても、ロシアの何もかもが嫌いになって、トルストイやドストエフスキーも

「悪夢のように読者を苦しめる不快な作家」

と酷評した。

東大で漱石なんかに芸術を教えていた人が、トルストイやドストエフスキーの価値がわからないんじゃ、困るだろう。


変な哲学解釈


哲学者としてのケーベルは、ショーペンハウアーで博士論文を書いた。

今日から見ると、ショーペンハウアーを「キリスト教哲学者」とみなしたケーべルの評価は、明らかに変である。ショーペンハウアー同様、東洋思想に傾斜したリュッケルトにも、同様の「ひいきの引き倒し」をしている。

つまり、彼の学問の中身は、相当にクセが強かった。

(ケーベルの恩師はエドゥアルト・ハルトマンで、ご承知のとおり森鴎外が没理想論争で依拠した哲学者だ。鴎外はハルトマンを直接原書で読み、ケーべルからの影響ではないようだが、ハルトマンの美学が日本で権威を持った背景にはケーべルの権威もあったろう。そういう意味でも、ケーべルの学問的「偏向」が、日本の近代思想にどのように影響したか、検証されていいはずだ。)

結局、人間嫌い


ケーベルは東大との契約が切れても本国に帰らず(第一次世界大戦で帰れなかった)、75歳で日本で死ぬのだが、生涯独身だった。

ショーペンハウアーやリュッケルトが好きだったのも、同じ独身者だったからかもしれない。

孤独を愛する性格だった。社交嫌い、パーティ嫌いで、特に日本人教師とは交流しなかった。

その一方、漱石の随筆にあるとおり、カラスを飼ったりトカゲを可愛がったりする変人だ。

日本人に人種的偏見を持っていなかったのは確かだと思うが、もしかすると、日本人だろうがなんだろうが、等しく人間が嫌いだっただけかもしれない。


参照:高橋章編『近代日本のキリスト者たち』(パピルスあい)

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