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天災はいつも隣に

あの3月11日から、はや12年。僕もすっかり社会人である。

今年は前日になって気がついた。「3.11」という数字の並びがやはり特別で、そうか今年もこの日がやってきたかと、そう思った。

たぶん、これからずっとそうやって、あの日から何年、何十年と数え続けるのだろうけど、それほどあの大震災は僕らの生活も価値観も、全て変えていった。

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偶然にも、2023年3月10日、僕はNHKオンデマンドで『英雄たちの選択』という番組で「大森房吉」という人物を知った。なんでも、彼は地震学の父だそうな。そもそも地震学というものが日本から大きく発展していったということすら知らなかった僕が、その人物を知るわけもなかった。だが、「地震」という超常現象を相手に研究し続けた彼の功績たるや、賞賛してもしきれない。

当時、地震学という分野はまったくの未開拓な部分だったらしい。西洋に追いつけ追い越せというあの時代に、政府も地震学の発展を後押しした。そこに白羽の矢が立てられたのが大森房吉らしい。

彼は地震計をオリジナルで開発した。地震にはP波(初期微動)とS波(主要動)とがあるのだが、これまでの地震計はそのP波を正確に測ることができなかった。だが、大森房吉はP波をも計測することができる地震計を開発し、おかげで正確に震源地を特定することができた。

今の地震学の基礎となっている部分のほとんどが、彼の業績によるものである。地震というものを誰からも教わったわけでもなく、彼は自ら足を運んで調べ、考え、予想し、地震という現象を解明しようと努力した。0から1どころか、それ以上にクリエイティブに学問を構築していった。学問の究極はクリエイティビティであることを実感するとともに、今日の地震学が彼のおかげであることに感謝せずにはいられない。

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地震学という分野は、僕ら日本人にとっては割と身近に感じる学問ではないだろうか。その言葉の響きから、「地震を将来は予測できるかもしれない」という期待を抱きかねない。だが、地震という自然現象は、僕らが思う以上に大きい相手であり、予想できるような甘いものではない。

そう、天災は天災であり続けるのである。

この日本という地域で生きるということは、地震とともに生きるということである。だから、地震は起きるもので、起きたときどうするべきか、その日のために何ができるかということを、考えるべきである。いわゆる防災ということであるが、あの3月11日から12年経った今、僕らの防災への意識はどのように変化しただろうか。

事実、あの3月11日に助かったはずの命がたくさんあった。だが、それは防災への意識の低下のせいか何のせいか、救うことができなかった。確かにあの震災は僕ら人間の予想外だったかもしれないが、自然というのは常に人間を超えてくる。人間も自然の一部であり、母なる大地が人間の下に来ることはない。そんな謙虚さを持って学べば、僕らは地震とともに生きていけるのではないかと、僕は考える。


次は南海トラフかもしれない。東京直下型の地震が来るかもしれない。


それは、地震予知でも何でもなく、地震とともに生きる僕らにとっては当たり前のことだ。

だからその時に備えて、僕らが今できることを考えよう。

そして実行しよう。

避難経路を確認するでもいい。防災グッツを揃えるでもいい。未来の子どもたちにこの防災意識をつなげていくにはどうしたらいいかを考えるでもいい。

常に自然は隣にあることを心に、今日を生きられなかった人たちの分も精一杯に生きようではないか。

2023.03.12
書きかけの手帖

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