葦ペン水彩画家/梶山立志KajiyamaTateshi

1951年埼玉県出身。水彩画家・長沢節の元で水彩画を学び、その後渡仏しヨーロッパ各地を…

葦ペン水彩画家/梶山立志KajiyamaTateshi

1951年埼玉県出身。水彩画家・長沢節の元で水彩画を学び、その後渡仏しヨーロッパ各地を描く。 website▶︎https://kajiyamaartoffice.jimdofree.com

最近の記事

三つ目の駅舎

東京駅駅舎を竣工当時のものに戻すという平成の大工事が行われました。 あの中央の三角屋根には仮のものもあったようです。ともあれ、今でしか見ることの出来ない工事進行中の駅舎を描いておかなければと出向きました。 2010年に工事は終了し竣工当時の駅舎が完成いたしました。そうなると工事中の駅舎の絵が貴重に思えてきました。 それだけではありません。欲張りな私はあの三角屋根の駅舎も描いていたのです。 そして今回再建された駅舎も書けば、三つの東京駅駅舎を絵にしたことになります。

    • 天神様と勝海舟

      湯島天神下に銭形平次の住まいがあったというのは、歴史小説ファンにとっては承知の通りです。天神様境内には石碑まで建てられてますから、天神下のどの辺りだったのだろうと思い巡らせる人もいるでしょう。 そんな歴史小説に浸りながらスケッチ画取材するのも味わいの一つです。 画面にどこからともなく現れたのが幕末の英雄勝海舟です。境内には梅の花がいい具合に開いていました。 切通し側の石段をゆっくりと登りきったところ、寄り添うようにいる断髪の夫人はあの篤姫こと天璋院様でしょう。勝先生に何や

      • スカイツリー

        駒形橋を左手前に見るスカイツリーは大空を分断する征服者のようです。足元には工事現場のクレーンや高速道路の街灯、そして高層ビル群などを据えてそびえています。 しかし、小さな画帳の中では征服者スカイツリーも一本のマッチ棒のようにしか見えません。そのマッチ棒がどのように征服するか、描く側の手腕にかかってきます。一度や二度の攻勢では済まないこともわかっています。 そこらあたりが、スケッチのおもしろさと難しさですね。

        • 三丁目の蕎麦屋

          店の前のケヤキが季節ごとに色を変えて、そば屋のある景色を楽しませてくれます。 私は早めにそばをかっ込んで向かいにあるコーヒー店で少しばかりくつろいでから、また筋向かいにある画材店に向かいました。 これがお決まりのコースと言ってしまえばそれまでですが、そこを一度絵にしてみました。

          スケッチは目と足と耳で

          かつて港町には遊郭というものがありまして、港の繁栄の一翼を担っていました。開港間もない頃の横浜はどこにあったのかといえば、関内は横浜スタジアムの地がそのようでした。その面影を残すのはスタジアムそばの公園にある記念碑くらいです。 スケッチに出かけると時々地元の年配者と話す機会があります。その時はスケッチを中断して、年配者の話を聞くことにしています。大抵は長話となります。 その話の中にこそネットや書籍にはないものが往々にしてあります。現場ならではの検証作業といったところです。

          日本橋絵空事

          お江戸日本橋、今でも東京の中心地と思っています。 15代将軍徳川慶喜公について書かれた日本橋のプレートとブロンズの麒麟像が天高くそびえていると表現したいのですが、橋の上はコンクリートの高速道路で覆い隠されています。 1964年の東京オリンピックに間にあわせる為、そのような形になったと聞かされました。したがって1964年以降に生まれた人々は天高くそびえる麒麟像を見ることが出来なかったのです。近年この橋の上の高速道路が取り除く計画があるようですが、本当かしら。 ところが絵と

          あゝ上野駅

          戦後の闇市から始まった上野アメ横。 「あゝ上野駅」の歌謡曲で知られる上野駅。 外国人が集団でテレホンカードを販売していた上野公園下。すぐそばでは似顔絵描きがイーゼルを立てていた。 世代によって様々な上野の捉え方があるでしょう。 その「あゝ上野駅」の記念碑を上野広小路口広場で見かけました。確かそこには公衆電話発祥の地の記念碑があったはず。もしかして近くに移動したのかと思い、辺りを探してみたのですが見つかりませんでした。 広小路口の小さな出来事でしたが、そんな風にして歴

          霞が関の緊張感

          派手な看板もなければ、縄暖簾の居酒屋もありません。歩道の所々に見えるのは各省庁の警備員の姿です。これを絵にするのは至難の技です。各所には防犯カメラが備えられ迂闊に近づけません。 方法は一つだけ。手際よく素早いスケッチをすることです。 それでも相手側から見れば、不審者にしか見えないでしょう。そうこうしている間に一枚描き上げたのですが、お堀端の警官が相変わらずこちらに視線を送っているのがはっきりとわかりました。 ここらが潮時かと察して仕事終了。今回の短いスケッチは緊張感が画

          都電と老人

          たったひとつ残った東京の路面電車が都電荒川線です。新宿区早稲田から荒川区三ノ輪まで走る一両編成の電車です。その停留所の数は30。この30の停留所すべてにいるのが老人乗降者。それに停留所そのものがどこかの家の庭のようなところですから、人情路線そのものです。 今回も勝手にスケッチしながら思うのですが、これが湘南のどこかの路面電車のように観光客で溢れるようになったらどうしましょう。不安でなりません。 この12.2km53分の人情路線老人がいる風景が一番絵になりますから。

          上野駅

          今まで勘違いしていました。上野駅の正面口と思っていたところは広小路口だったのです。では正面口はどこかと探したところ、広小路口と浅草口の間ということを知りました。その浅草口さえよくわかりませんでしたが、なんと正面口は陸橋通路と高速道路に囲まれた中々探しにくいところでした。 上野駅には入口があって入谷側には入谷口、美術館に行く公園口があり、その南側には山下口、西郷口、そしてアメ横へ通じる不忍口。それに、駅屋上にはパンダ橋口などという入口が出来ていました。 上野駅を描くだけでも

          ランチは現地で

          スケッチ取材の時はその地でランチをとるようにしています。それもスケッチの一環であり、その地に対する礼儀だと決めているからです。 とある駅裏のタイ料理店には驚かされました。 入口階段のところに「グリーンカレーランチセット」とありましたので、迷わず入店。そのメニューを注文したところ、いつまでたってもライスが届かないので尋ねてみました。するとライスは別料金とのこと。それも会計時に知らされたのです。腑に落ちないまま店を後にしました。 メニューをよく確かめるべきだったのか、いや、

          ペリー上陸

          ここがペリーが上陸した地点だそうです。(横浜開港記念館広場) 当時ここは半島の岬で木々に覆われた水神の祠があったそうです。ペリーが上陸した地で絵が描けたのですから、私にとっては例えようがないほど幸せでした。 もちろん当時の風景など見ることは出来なかったのですから、時空を超えて歴史的共同作業が出来たような気になりました。 ペリーさんはこの先にある大桟橋もマリンタワーも、赤レンガもなかった頃の横浜を目にしていたのでしょうね。少し羨ましい気もしますが、今の横浜をペリーさんは目

          インドカレー

          ある日、私は何を血迷ったか「専門店には専門客として入店しなければならない」と、インドカレー専門店へ向かいました。 イエローのドアを抜け席に着くと、そこに置かれたフォークやナイフを奥へ遠ざけました。しばらくして、金属製の器に盛られたインディカ米とマトンカレーがテーブルに運ばれました。 私は、待ってましたとばかりインディカ前にカレーをかけ右手指先でかき混ぜ、その手を口に運ぶのでした。 これこそが本場インドカレーを食するマナーだと自画自賛していたのですが、俄か専門家はそこ

          上野の大砲

          上野の西郷像は有名ですが、すぐそばにある彰義隊の墓はあまり注目されません。幕末の上野戦争で互いに戦ったもの同士ですよ。私なんか彰義隊を贔屓目に見たいですけどね。 上野の戦争で薩長軍が彰義隊の陣に大砲を撃ち込み、一瞬のうちに勝負がついたと伝え聞かされました。その時の大砲の一つが、上野広小路辺りからだったと知り、早速出向きました。 「ちょっとお伺いしますが、昔薩長軍が大砲を据えた場所ってのは、どのあたりだったんですかね」 交番勤務のお巡りさんに尋ねると 「いやぁ、旦那さん

          巣鴨地蔵通りの大福

          巣鴨地蔵通りといってもれっきとした中山道です。 古くは十返舎一九や小林一茶、歴史的大行事、皇女和宮様御一行もお通りになったくらいですからすごいステイタス街道です。 いま自分が絵を描いているところは、かつて十返舎一九が腰をかけ茶をすすりながら団子を頬張った場所かもしれません。新撰組の土方歳三がわらじの紐を結び直したところかもしれません。 話は古くなればなるほど、新鮮さとロマンが満ち溢れてくるものです。そこからですよ、物語や絵が生きるのは。 ちなみにこの地蔵通りにある有名

          一枚描いてみては

          空は渋い桃色、陽射しは透明感のある薄黄色、木々に葉はまだないが、小枝はどことなく春色。この段階ですでに絵は完成したと同じです。あとは葦ペンを使って線描きを加えればいいだけです。 多少のデッサンの狂いや歪んでみえる建物などは、そのままでよしとしましょう。春近しの情景を描ける幸福さに感謝感謝です。 写生に酔いしれば酔いしれる程、もう一、二枚と描きたい気持ちに駆られます。そうなってくればこっちのもの。 今度は手前の地べたが光を含んだ濃い黄色に見えてきます。黒いジャケットの通行