かじた

日頃思うことを紐解いていきます。

かじた

日頃思うことを紐解いていきます。

最近の記事

心の中を

noteでエッセイを書き始めたきっかけは他でもない。自分ではどうしようも無い思いや、やるせなさを何かに昇華したかったからだ。でも、やはりそれだけじゃ満足は出来ず、沢山の人にこの思いを届けたいと思う。この頃の僕は活字から離れた生活をしていて、綴る文章は大層面白くなく、 誰も読まないだろ! と自分でもツッコミを入れたくなるようなものであった。でも、僕の尊敬する星野源のエッセイを読むことにより、彼のエッセンスを抽出し、文章に昇華する力を得たように思える。そんな出来事を経ての執筆

    • ふとした瞬間思い浮かべた

      ふとした瞬間に思い馳せることがある。 何かを奪われたかのような、先を越されたかのような、そんな感覚に苛まれた時それに対する自分の感情をまざまざと痛感させられる。意識していないと思っていた事でさえ、瞬間的にその思いが突き刺さり、いつか抜ける頃には大きな穴が空く。まるでその風穴が思いが通り抜けるための門であるかのように。 そうやって僕らは体に沢山の穴を開け、塞ぎ、分厚くなっていく。その数だけ抜けた思いがいつの日か一点に集まって虚像と化する。それを僕らは不安と呼んだり、自信と呼ぶ

      • 生きる原動力

        もうすぐ望んだ未来がやってくるかもしれない。9月の23日、水曜日。僕が望むはただ一つ。サークル活動ができる大学生活だ。 9月16日から一部対面授業が再開され、僕はひとつ新たな世界を見ることになった。知らない道路、知らない駅、知らない建物、知らない人間。全てが僕の瞳に新鮮さを映し出す。 ただ、僕が望むのはサークル活動のある大学生活だ。軽音部に入部届けは既に出していた。ひとつのLINEグループに新入生が集約され、コミュニケーションの場を与えられた。上手くこの場を活用しようと、好

        • 次第点

          本当に幸せなことって 寂しくないことだと思います。急にどうしたんだと思うかもしれないけれど本当にそう思うのです。常日頃から日常と戦って、勝ったり負けたり。一日の最後にはその勝敗が明確についているわけです。でも、勝ち負けにこだわるのではなく、僕は日常に対して「次第点」を付けられればその日は最高の一日だと思っています。その次第点の重要性を僕の過去の出来事を交えて赤裸々に語ろうと思います。後から見ると恥ずかしくなるかもしれないけれど今はその過去の思いを可視化しておきたいと思いました

        心の中を

          人間関係の自転車操業。

          心の軋む音など耳を貸さず、他を引き換えに自分を認めた。 自分を守るための情けない鳴き声で全てが掻き消された。 そうして塗り固めた君には何ができる? 自分を尊重。周りを尊重。でもいずれその周りさえも売却。 人間関係の自転車操業。 チェーン外れたら油をさして他を売却。パンクすればタイヤを替えて消耗品。 一瞬の判断で捨てられゆく人付き合い。 嘘で塗り固めた虚像の壁なんて一蹴りボロボロ崩れるさ。 そんな脆い君に何が守れる? 何を創造できると言うのかな。また虚像の壁を作るのか。

          人間関係の自転車操業。

          高鳴る思い。

          このままでは行けない。何かを変えねば。今日はそんな思いをここに記しておきたいと思う。 未だに某ウイルスのせいで新しい未来がやってくる気配のない日常。このまま流されるように日々を消化して行くのはあまりに生産性のないことだと思った。かと言って、上辺だけの付き合いの人達と遊び回りたい訳では無い。現にそういった若者達がウイルスを運び、社会を混乱させている面もある。 そうではなくて、何か自分の未来に繋がることをしたいと思った。本当に本当にやりたいことを実行せねばならないと思った。 僕

          高鳴る思い。

          心の窓から。

          未来の話をしよう。 今日はそんな気分だ。別に何か心の中のバランスが揺らいだ訳では無い。今も心の中には寂しさが居て、不甲斐なくて。けれど何故か前向きな、そして先を見据えるような作り話をしたいと思った。過去の自分の面白かった出来事を脚色しまくりで綴るのも良いなと思ったが、今は遠すぎず、近すぎずの未来を組み立ててみたいと思ったんだ。 遠すぎず、近すぎない未来?何かな。そう考えるとまもなく頭によぎるのが、 大学の対面授業の開始であった。前期はオンラインでの授業。最初のうちは「あ

          心の窓から。

          知る由もない世界

          何故なのかな。こんなにも寂しくて、孤独で、生きる意味など見い出せるはずも無くて。 そんな日々を捨て去りたい、やり直したい。そう切に思うだけで、死にたいとは思えない。まだまだ余力が残っているはずで、死ぬ勇気などどこにも無い。 ヘタレだからどっちつかずでダラダラと生きている。本当に辛くてどうしようも無くなった時、人は死んでしまうのかもしれない。自らの手で命に手をかけてしまうかもしれない。でも、死んだ先の世界でもその寂しさが消えなかったらどうしようと思う。生きていても死んでいても

          知る由もない世界

          ココロの中の優しさに。

          今日は少し文章の切り口を少し変えて綴ろうかなぁと。ここ最近の僕のnoteは自分のメンタルコンディションの悪さもあってか、とてもネガティブなものであったと思う。 そんな中でもひとつ新しい光が刺したような感覚を得ることが出来た。それを受けての執筆だ。 今までは、自分は孤独だ、優しさに触れたい、そういった心境を言葉に映し出して何かに昇華しようとしていた。これで自己解決して前に進めたら良いのだけれどそうもいかず、やはり日常を生きる上での心の向きを変えなければ現状は打破出来ないなぁと

          ココロの中の優しさに。

          足りないココロ。

          何が人生だ。そう思うことがよくある。ただ何も得ず、何も与えず、のうのうと過ごす日々。こんな自分クソ喰らえと卑下し続ける毎日。誰も自分を気にかけてくれやしない。ただ独りただ独り... 別に自分に友達がいない訳では無いのだろう。現にゲームをする仲間は居る。ただゲームでしか繋がれない脆い繋がり。電波でしか繋がれない虚しい関係。全てをオンラインに託して生きていかねばならないのか。 正直に全ての気持ちを吐き出して良いのならば、ものすごく寂しい。孤独感に苛まれることなんて多々ある。で

          足りないココロ。

          揺らぐもの

          よく最近思うことがある。人恋しく思うときによく「自分でも臭いなぁ」と感じることを思いつく。 今の社会的現状を考えると、人との密な関わりなどは最早御法度とされていて、基本的に「ひとり」が普通である。それに社会が今のようにウイルスに侵されていない、いわゆる今まで通りの「日常」であったとしても僕はデフォルトでひとりだ。だけれど、ひとりというのは、どんなにひとりの時間が長くても慣れないものである。だから、そんな「ひとり」の自分を恨めしく思うし、この今の自分を変えたい、脱したいと思う

          揺らぐもの

          生命

          ふと思ったのだ。 この世は、たった一人の人間たちで構成されているのだと。 一人一人は孤独な人間。でも、それらが集まって人間“たち”になって世界を作る。 「あぁ俺は孤独だ、寂しいやつだ」と思っている自分が 「世界」という輪の中に封じ込められている皮肉。 人って、いつだって自分を可愛がる生き物だから、よく自分を卑下する。でも、そんな卑下してる自分でさえ世界を担う一員であるのだ。 要するに自分は世界を構成するちっぽけな要素でしかない。でも、その要素が欠ければ世界の均衡は崩

          偶然と必然。

          最近は活字などに触れることも無く、ダラダラと過ごす日々を送っている。 ただでさえウイルスウイルス言っているご時世なのだ。外部からの刺激というのは少ない。しかし、そんな中でも変わらない日常というのも確実に存在していて、今だって僕は糞をしながらトイレでこの文章を綴っている訳なのだ。日々、飯を食い、糞をし、朝を迎える。一辺倒な日常に見えて、僕の心情は紆余曲折する。 ある日、少し前に好きだった人のことを思い出した。彼女との別れから2ヶ月後の話である。女々しい話だが彼女を忘れることな

          偶然と必然。

          会話の中に。

          ふと思う時がある。 話し相手はこの会話に興味があるのか?と。この会話はただの自己満足で自分語りに過ぎないのではないか?と。 それが顕著に現れるのがLINEである。 気の置けない仲の知人とならそんな事を考えずとも会話を続ける事ができる。 「貴方なら会話を辞めたくなったら、すぐにスタンプとかを送って、会話を終わらせてくれるでしょ?」 と思える。この信頼から生まれるサバサバ感が如何に自分にとって心地の良いものかを痛感させられる。 しかし、僕にそのような知人が多くないのも事実で、

          会話の中に。

          一番になりたがる話

          ども、すごくブルーな気持ちのかじたです。 某ウイルスにより おうち時間を余儀なくされている今、もとより人との関わりが少ない僕はとても寂しいです。 そう本当に寂しい。出来るだけ良い格好をしていたいから、簡単に「寂しい」とか言わないようにしているつもりだが、この状況はとても寂しい。 友達がいない訳では無いだろう。毎晩通話しながらゲームをする仲の同級生がいる。でも、それは電波で繋がった関係。僕は直に、空気で、肌で、ひとつ同じ空間を共有したいのだ。まぁそれがいわゆる 「密です」

          一番になりたがる話

          カラダを交わそう

          あれは中学一年生の頃だろうか。 性の営みを知ったのは。 オトンとオカンが性器を交わし、僕が誕生したことを知った。 よくよく考えると思い当たり節がひとつあった。 僕が5歳の時、夜中目を覚まし、リビングに向かった。リビングはまだ電気がついていた。「ゴソゴソしてるな」そう思いながら戸を開ける。すると、全裸のお母さんとお父さんが重なり合っていた。 ふと、お母さんは言った。 「マッ...マッサージ!!マッサージしてるんやで!!」いや、何も聞いてないです母上。いや、しかも夜中に全裸で

          カラダを交わそう