生きる原動力

もうすぐ望んだ未来がやってくるかもしれない。9月の23日、水曜日。僕が望むはただ一つ。サークル活動ができる大学生活だ。

9月16日から一部対面授業が再開され、僕はひとつ新たな世界を見ることになった。知らない道路、知らない駅、知らない建物、知らない人間。全てが僕の瞳に新鮮さを映し出す。
ただ、僕が望むのはサークル活動のある大学生活だ。軽音部に入部届けは既に出していた。ひとつのLINEグループに新入生が集約され、コミュニケーションの場を与えられた。上手くこの場を活用しようと、好きな音楽の話題などを振ったがやはりSNS。伝わっていない気がしてならない。

世はコロナ禍。自宅での日常が続く。そんな中「zoom」などのツールが台頭し、世界はより一層

「オンライン」の谷底

へと潜り込んでいく。生の掛け合いなど御法度。同じ空気を吸うことすら難しい今、対面授業の一部再開。そして、待ち侘びた

軽音部の活動解禁

の知らせが届いた。その知らせを受けたのがオンラインツールの「LINE」というのが何とも皮肉なものである。

今までどうやって藻掻いても掴みきれなかった未来がすぐそこまでやって来た。はたまた未来というのは皮肉で、自分から迎えに行っても遠ざかって行き、ふと諦めて受け身の体勢を取った瞬間ひょこっと姿を現し、目の前に何食わぬ顔で立っている。

だが、これは藻掻きに藻掻いたものにしか現れないのだ。

「このままではダメだ」
「待ってられない、
未来を掴みに行かなきゃ」

そう思い、悩みに悩み、衝動的な勢いそのままに行動して失敗した者にしか、未来はやって来ない。
未来を信じ、例え叶わぬことが分かっていたとしても、一か八かで魂を燃やせる者に未来はそっと手を差し伸べる。

僕がこのような人間かと言われれば決してそうではないが、藻掻いてきた自負はある。
僕が望むのはバンド活動であるので、他人を巻き込まねばならなかった。人を動かすのはとてもパワーの要ることで易いことではない。けれど、僕はそのとき持てるパワーを振り絞って尽力したつもりだ。

確約された訳では無いが、望む未来がやって来そうなのだ。
しかし、始まりはこれからで、終わりなど予知する暇もない。新たに紡ぎ始めた未来はいつか僕の人生の一部となる。
まだまだ人へのアプローチのコツ、絶対に自分の中で揺るがない信念。このような生きるために必要なピースが僕には欠けている。本気で魂を燃やしたって、それが過去となり、自分が未来に立ったとき、後悔しないかと言われればそうでは無い。

持てるパワーを使い果たしても後悔は作られる。
そうやって、僕らは命を消費していくのだと思う。生きるのは大変だ。容易く「死にたい」と口にする人が居る。本当に悲しいことだと思う。そもそも僕は「辛い」と思うことはあっても死にたいと思ったことがない。けれど、「死にたい」と思っている今を生きているのは自分であって、自分を生かしているのは自分だ。とめどない人生のように思うが、いつか必ず終わりが来る。その終わりは遠いけれど、その間に作り上げられることは山ほどある。

本当に本当に死にたいと思っている人は自殺してしまうかもしれない。けれど、その弱さを肯定もせず、否定もせず、僕らは自分のために生きねばならない。生きているのは自分自身であって、彼や彼女の代わりに生きることはできない。自分があって、相手が居る。

死にたく思う人が居るなら、もう少し自分のために生きてみて欲しい。ワガママに本能的に生きてみて欲しい。何もかも失ったわけじゃない。あなたには心がある。それはまだ捨てきれずに居るだろう。その心が僕らを締めつけもすれば、原動力にもなる。

そういう点に関しては、僕は心の原動力をフルに活かそうと必死のパッチで生きることができていて、幸せなのかもしれない。

辛い、やり直したい。

そう思うことはあるけど、来たる未来が待ち遠しい。ワクワクしてしまう。この心の弾みを忘れずにこれからも生きていきたいと思うのだ。

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