生命

ふと思ったのだ。

この世は、たった一人の人間たちで構成されているのだと。

一人一人は孤独な人間。でも、それらが集まって人間“たち”になって世界を作る。
「あぁ俺は孤独だ、寂しいやつだ」と思っている自分が

「世界」

という輪の中に封じ込められている皮肉。

人って、いつだって自分を可愛がる生き物だから、よく自分を卑下する。でも、そんな卑下してる自分でさえ世界を担う一員であるのだ。

要するに自分は世界を構成するちっぽけな要素でしかない。でも、その要素が欠ければ世界の均衡は崩れるかもしれない。

果たしてそんな重要な要素を僕は担っているのか。

よく言われる。「お前の代わりなんていくらでも居るんだ」と。本当にその通りで、例え僕がこの世から消えたとしても、それと同時に新たな生命が何十何百と生み出されているのは確かな事実だ。

人はすごい勢いで生命を創っている。その創り出された生命一つ一つに何かしらの願いを込めて。

生まれたその瞬間から死というゴールに向かって進み続けなければならない。分かっているのは1番最期に

「死」

が待っているということだけで、その死に辿り着くまでの道のりの険しさなど知る由もない。
結局は、

今を生きねばならない。

今を紡ぎ、織り成すことで、未来を創る。

そんな途方もないことを僕達は生涯繰り返さねばならない。そんな中にも「欲」があって「愛」があって。欲があるから、生き続け、その先で死を目の当たりにする。愛があるから、新たな生命が生まれ落ちる。

こんな虚しくも素晴らしい循環を誰が考えたのだろう。誰が僕ら人間を作ったのか。神なんて居るはずも無いが、かつての人々が「神」に全てを委ね、信じ続けた理由も分かる。縋るべきものが無いと人間は生きて行けない。何かに縋って生きて行くのだ。もしかしたら、それが偶像かもしれない。はたまた最愛の貴方かもしれない。自分というアイデンティティーかもしれない。

縋るべきものを見つけた時人はきっと生きるための希望を見い出せるのかな。

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