偶然と必然。

最近は活字などに触れることも無く、ダラダラと過ごす日々を送っている。
ただでさえウイルスウイルス言っているご時世なのだ。外部からの刺激というのは少ない。しかし、そんな中でも変わらない日常というのも確実に存在していて、今だって僕は糞をしながらトイレでこの文章を綴っている訳なのだ。日々、飯を食い、糞をし、朝を迎える。一辺倒な日常に見えて、僕の心情は紆余曲折する。

ある日、少し前に好きだった人のことを思い出した。彼女との別れから2ヶ月後の話である。女々しい話だが彼女を忘れることなど2ヶ月の間に出来るはずもなく。ただ、彼女が好きで好きで堪らないかと言われればそうではない。あんなにも素晴らしい女性と出会うことが今後あるのだろうか。そう思うだけだ。

出会いというのは時に残酷で、引き合わされたことにより片方が、もしくは引き合わされた両方が苦痛を味わうことがあると思う。

「あぁ出会わなけりゃなぁ」

そんな風に思うことは無いだろうか。きっと人間というのは偶然の連続で成り立っているのであろう。偶然の成功、偶然の失敗、そして偶然の出会い。偶然の産物が人生だ。予想だにしないイレギュラーな出来事が次の未来を作る。しかし、未来を、言い換えれば人生を全うしたとき、その偶然が必然であったと理解出来そうなのだ。今は理解出来なくてもいつか必ず、この出会いを肯定出来ると信じている。

18年しか生きていない僕でさえ、こんなにも考え込んでしまう。いつかの僕はいつもこう自分に言い聞かせていた。

「繋げ」

と。あのとき、諦めず繋ぎ続けたから今の自分があるのだろう。もっとも今の自分に満足など出来ていない。けれど、繋ぎ続けられたのも自分一人の力ではないし、心の支えとなる「出会い」があったからこそなのだ。本当に出会いとは皮肉なものだ。こんなに今の自分を苦しめるくせに、過去の自分の心の支えになっていたりする。そして、その出会った人と別れたとき初めてそれを痛感する。

そろそろ前を向かねばならない。世界は未曾有の某ウイルスに反撃の狼煙をあげた。外出自粛も緩和されるかもしれない。また、人との出会いが待っているだろう。最高に楽しみだ。

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