一番になりたがる話

ども、すごくブルーな気持ちのかじたです。

某ウイルスにより おうち時間を余儀なくされている今、もとより人との関わりが少ない僕はとても寂しいです。
そう本当に寂しい。出来るだけ良い格好をしていたいから、簡単に「寂しい」とか言わないようにしているつもりだが、この状況はとても寂しい。

友達がいない訳では無いだろう。毎晩通話しながらゲームをする仲の同級生がいる。でも、それは電波で繋がった関係。僕は直に、空気で、肌で、ひとつ同じ空間を共有したいのだ。まぁそれがいわゆる

「密です」

状態なのだが(笑)

この何のために生きているのか分からない現状は大学生になると共に、環境の変化と共に、打破されると思っていた。しかし、現実は違う。しかもこれが一概に某ウイルスだけのせいに出来ないことに憤りを感じる。

元からの自分の人付き合いの下手さが顕著に現れているのであろう。こうも過去の自分に囚われるのか、と情けなくなる。現に今だって友達、もしくは恋人と共に居る奴らも存在する。それは勿論今のご時世ではご法度なのだが、果たして僕にその様な関係の人間はいるのか、という話である。

居ないのだ。恋人なんて居るはずもなく、自分が親友だ!もしくは親友になれるかも!と思った相手にはまた別の親友が居る。所詮人間関係なんてそんなものなのだろうし、上辺だけの付き合いでも案外長く続いたりもするのであろう。

しかし、僕は誰かの一番になりたがる。私にとって貴方が一番で、貴方にとっても私が一番。

世間一般的に言えば、

「重い奴」

なのだ。ただの承認欲求の塊。でも、根底の基礎を作っている自分を変えることは難しい。僕にとって、一番は絶対らしい。

でも、私の一番は貴方で、貴方の一番は私。つまり、相思相愛になれる確率など、たかが知れている。そりゃお母さんとお父さんが相思相愛にならなければ僕はこの世に存在していないし、相思相愛がこの世に全く無いと言っている訳では無い。ただ、確率が低いのだ。

だから、恋人関係ならまだしも友人関係で

「一番」

に固執するのは理にかなっていない。

「もっとも仲の良いうちのひとり」

になれたら最高だ!それくらいの気持ちで居れたら楽である。

もっとも、“居れたら”の話だが。

いつか、最高の友人と出会い、最愛の恋人を見つけ、このnoteを笑いながら読み返せる時が来るといいな。

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