知る由もない世界

何故なのかな。こんなにも寂しくて、孤独で、生きる意味など見い出せるはずも無くて。
そんな日々を捨て去りたい、やり直したい。そう切に思うだけで、死にたいとは思えない。まだまだ余力が残っているはずで、死ぬ勇気などどこにも無い。

ヘタレだからどっちつかずでダラダラと生きている。本当に辛くてどうしようも無くなった時、人は死んでしまうのかもしれない。自らの手で命に手をかけてしまうかもしれない。でも、死んだ先の世界でもその寂しさが消えなかったらどうしようと思う。生きていても死んでいても寂しいのは同じかもしれないじゃないか。
死んだ先の世界は今生きている人間誰しも知る由がない。それを知るためには死ぬしかない。けれど、もしそこにも寂しさが散らばっていたとしたら、
貴方はどうする?引き返す?生き返る?

出来ないよ。

人間一度死んだら終わりだもの。一度きりの人生。リタイアすればそこで終了。復活戦などありゃしない。ぶっつけ本番で命を燃やし続ける。

先が見えなくても、生きていればきっと過去の体験から何かを得られる。死んでしまえば引き返すことは出来ない。その死の世界で何かを得たとしても、その世界ではそれを活かすことは出来ないと思う。

命を繋ぐ。日常を紡ぐ。

極めろなんて言わない。言えない。生きるか死ぬかスレスレのところでもいい。死ななければそれでいい。なんとか生きよう。生きていれば必ず小さな喜びを見つけ出すことができるさ。
それを沢山集めて

大きな喜びを作ろう。

その喜びをしっかり味わって
パワーに変えて、
いつかそのちっぽけなセカイから
飛び出す力に変えよう。

助走はいらない。歩幅は小さくていい。精一杯踏み込んで、力いっぱい跳ぶんだ。着地に失敗しても大丈夫。貴方が今までに配った優しさを今度はあの人がかけてくれるさ。巡り巡って優しさは帰ってくる。人と人を伝う。温かさを乗せて優しさは小さな喜びに昇華される。

それをまた集めよう。そして、今度はもう少しだけ高く跳ぼう。

優しさを作り続ければ、いつかきっと寂しさは、孤独感は、消え去るはずだよ。

我慢の時だ

なんて言いたくない。言わない。死なない様に、死なない様に、命を繋いで欲しい。

日常を紡ごう。

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