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ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 #20

第19話 見捨てられた異世界の片隅で


「ここは紛れもなく約束の地。私から貴方がたリアルリバーの魔族へ贈る楽園です」

 ぎょっとなったアリスティアの、そして魔物達の顔が一斉にその声の持ち主に向けられた。

「お婆ちゃん……」

 さっきまでアリスティアの告白に狼狽しオロオロしていたはずのメデューサ婆が立ったまま瞑目し、身体をゆらゆら揺らしている。
 だが、その声は明らかに老婆の声ではなかった。
 男性のようでもあり女性のようでもある不思議な声色で、どこか広大な場所から呼びかけているように反響している。

「しばしの間、この方の身体をお借りしてお話しします」

 何者かが遠い場所からメデューサ婆に憑依し、依代として語りかけているのだ。
 魔物達は飛び退るようにして距離を取った。少年は竦んだアリスティアを庇い、数匹のゴブリンが王姫の左右で棍棒を構える。

「大丈夫です。私はあなた方に危害を加えるつもりなどありません。この人も話が終われば無事にお返しします」
「あなたは誰?」

 アリスティアが鋭く問う。

「王姫アリスティア、私はこの世界の創造者です。神、マスター、創作者……様々な人達が様々な呼び名で呼んでいます」
異世界リアルリバーを創った存在が本当にいたなんて……」

 アリスティアは信じられないような目で、揺らめき立つ老婆を見つめた。

「ではお話ししましょう。そこにいる異邦人の少年の来た世界がこことは別にあることを貴方がたも既にご存じでしょう。世界はひとつではないのです。この『リアルリバー』は神々が鑑賞する為に創られた世界のひとつ。このような世界は無数にあるのです」
「……」

 魔物達はどよめいた。
 それは、かつてアリスティアを拷問にかけた監察者インスペクターや異世界を滅ぼそうとした魔少女の本物河沙遊璃が口にした、この世界の概念そのものだったのである。
『このリアルリバーも、溢れかえったチート勇者達の需要を満たすために慌てて創られた異世界のひとつに過ぎなかったはずだ』
『貴方達はきっと知らないでしょうけど、この異世界を創った神様は他にもきっとたくさん似たような世界を創っているはずよ』

 彼等が告げたのは虚言ではなく、紛れもない真実だったのだ。
 魔物達は息を呑んで創造者の次の言葉を待った。

「私は……いえ、私達は望まれるまま無数の世界を創り続けてきました。神々はそこで繰り広げられる様々な物語を鑑賞し、楽しんできたのです」

 静寂の中、告白の言葉は続く。

「多くは過剰なチート能力の英雄譚として。無理に平民を装いながら結局己の力を誇示してしまう勇者、異世界で培った知識や文化を役立てる施政者や実業家、ただ好色を貪る者、人のエゴに愛想をつかし魔へ転向した者、定められた運命を覆す貴族の令嬢……万を超える者達の奇譚が神々に望まれ、万を超える世界が創られ、万を超える神々に持て囃され……そして更に風変わりな英雄が、もっと刺激のある奇譚が求められ……」

 そこで声の主は「神々は傲慢になってゆきました」と、ため息をついた。

「大急ぎで創られる安普請の世界を舞台にして理不尽な仕打ちからの痛快な逆転劇、底辺からの下剋上が賛美され、悪に下す鉄槌はますます過激に、容赦ないものになってゆきました。失われれば蘇らないからこそ尊ぶべきはずの生命が「どうせ転生で生き返るから」と蔑ろにされ、価値の低いものへとなってしまったのです。そればかりか、悪として生を受けた者でも悔い改めて正しい生き方が出来るのに『そんなものは必要ない』と。『神々がひととき楽しむ為の役割さえ演じればよい』と」
「では私達魔族がこうして迫害されたのも……」

 アリスティアの問いかけに、声の主は思わず顔を俯かせた。

「そうです。悪として創られた貴方がたはそうでない生き方を選び、その結果この世界は神々から捨てられてしまいました。『つまらぬ』と。神々は改心や道徳の物語ではなく、痛快に報復される末路を貴方がたに求めていたのです」

 声の主は静かに語り続けるが、その声色はどこか苦々し気だった。

「無数にある世界の運命は様々です。創造者が飽きて放置され時の止まったエタった世界、一度は神の恩寵書籍化を受けながら支持を失い見捨てられた打ち切られた世界、中には他者が創造された世界や物語と全く同じものを作る盗作するという禁忌を犯し滅ぼされた世界もあります。
 それらも顧みられぬまま、後から後から生み出される無数の世界の中へ埋もれ、忘れ去られてゆきました。
 私はもう世界の創造を止めます。神々が求めるからといって生命が蔑ろにされるような世界に何の価値があるというのでしょう。
 だから、せめてその前に捨てられたこの世界に住む貴方達に救済をさせていただこうと思います。
 この楽園を皆さんに差し上げます。私からの、心からのお詫びです……」

 老婆に憑依した創造主はそこで背を正し、静かに頭を下げた。

「この世界は外部からの干渉を絶ち、閉ざします。異世界からチート勇者が二度と転生してくることがないように」
「おお……」
「もう何も怯えることはありません。ここが皆さんの楽園です」

 歓喜の声をあげた魔物達は肩を震わせ、抱き合って泣き出した。
 苦難に満ちた彼等の脱出行エクソダス、流浪の旅は……ここに終わったのだ!
 声の主は少年へと視線を転じる。

「クズウ・テツオ。貴方は元の世界へ戻ることになります」

 アリスティアはハッとして傍らの少年を振り返った。

「貴方もあの戦車も、この世界へ英雄譚を望んで転生してきた勇者達とは違います。召喚でも転生でもなく、偶然の事故で現われた。本来この世界に来るべき存在ではなかったのです。この世界が外部から閉ざされれば二度と元の世界へ還れなくなりますから。いいですね?」

 少年は黙ったまま頷く。アリスティアは、彼にリアルリバーへ留まって欲しいという自分の願いがついに叶わなかったことを知った。
 声の主は少年へ詫びるように言い添える。

「貴方がこの魔族を救って下さったことに、心から礼を申し上げます。見捨てられたこの世界の片隅で、貴方とあの戦車が果たしたことを神々のほとんどが知らないままでしょうけれど……でも誇りに思って下さい」

 ゆらゆら揺れる老婆の口から詩を呟くように呪文が唱えられると、緑色に光り輝く魔法円が現われた。

「光が消えるまでに魔族の皆さんにお別れを告げて、魔法円にお乗りなさい。元の世界へ還れます」

 そう告げると、声の主は立ち尽くしている魔物達を見回し、胸に手を当て静かに頭を垂れた。

「もしかしたら気まぐれな読者が、この異世界を覗き見ることがあるかも知れません。しかしもう誰もここへ立ち入ることも、手を触れることもありません。リアルリバーの魔族よ、どうか心安らかに……」

 待って! と、手を伸ばし呼びかけたアリスティアは、顔を上げたメデューサ婆が瞬きしてキョトンとなったのを見て、力なくその腕を下ろした。

「姫様、今のは……? はて、婆は一体……」
「――行ってしまった……」

 肩を落とし、アリスティアはつぶやいた。
 のろのろと顔を上げると、緑に光る呪文を回転させている魔法円が残されているだけだった。その光は少しづつ輝きを失い、回転も遅くなってゆく。彼は消えるまでの間にこの魔法円に乗らなければいけない。
 少年との別離の時がとうとう訪れたのだ。彼女にはもう引き留めることは出来なかった。
 だが、黙って魔法円へ歩き出そうとした少年の手を引いたのはオークの子供だった。

「いっちゃ駄目!」

 目に涙をいっぱい浮べて彼が叫ぶと、他の子供らも「行かないでよ!」「ずっとここに居てよ!」と泣きながら彼の手足に縋った。

「僕達とここで暮らそうよ。行っちゃやだぁぁ」
「テツオを困らせちゃ駄目よ。彼の世界にもきっと私達のように彼を必要としている人がいるのよ」

 アリスティアが懸命に子供達を宥める。
 だが、その声は震えていた。頬には涙が伝っている。本当は彼女が一番彼を引き留めたいのだ。
 他の魔物達も少年を引きとどめたい気持ちを懸命に堪え、泣き縋る子供らを優しく引き剥がした。

「テツオ、行っちまうのかい?」

 おばさんオークが我慢できないと言った様子で少年のマントを掴み、背中に縋りついた。

「あんたや王虎に何度も助けられてこんなに世話になっちまったのに何一つお礼も出来ないなんて。許しておくれ……」
「何言ってるんだい」

 少年は笑いながらおばさんオークの背中を撫でる。彼の瞳にも涙がいっぱい溢れていた。

「僕こそ色々お世話になったよ。今まで色々とありがとう」
「元の世界へ戻っても、どうか私らのことを忘れないでおくれ」
「もちろんさ。みんなのこと、絶対忘れないから。家族みたいにこんなに優しくしてもらえた……」
「家族だよ。あんたは私達、魔族の大切な家族さね。出来ることならずっとここに……」

 そこまで言うと、おばさんはとうとう堪え切れずに号泣してしまった。メデューサ婆が彼女の背中に手を置くと二人は抱き合って泣き出した。

「テツオ様。今まで本当に何とお礼を言ったらよいか……」
「お婆ちゃん……」

 優しく頭に手を置くと、彼女の頭髪を模した蛇達が悲しそうに甘噛みして別れを惜しんだ。その手にドルイド爺が手を重ね、目が合った少年と涙ながらにうなずき合う。グリズリーは深い体毛を擦り付け、ケルベロスは伸び上がって前足を掛けた。少年がかがむと三つの首が三つの舌で彼の頬を舐めてくれた。
 少年に寄り集まった他の魔物達も涙ながらに別れを惜しむ。

「テツオ、ありがとう……」
「こんなものしかないがよかったら持って行ってくれ……」

 急な別れで餞別などあるはずがない。散策の中で摘んだ花や木の実が魔物達から少年へ押し付けられた。少年も胸がいっぱいで「ありがとう……」と、かすれ声で礼を言いながら受け取った。
 そんな魔物達の後ろにアリスティアは佇んでいた。
 恋する少女として泣くより王姫として毅然として彼を送り出して……そう決意していたはずなのに、零れ落ちる涙を抑えることがどうしても出来ない。
 肩を震わせ、それでも精一杯微笑んで見守っている王姫に少年は気がついた。彼の視線を辿った魔物達も……
 魔物達は潮が引くように下がり、アリスティアの背後にいたゴブリンやドワーフ達が、ためらう彼女の背中をそっと押す。少年もアリスティアに近寄り、二人は向かい合った。
 泣きながら懸命に微笑んでいる王姫の姿を見た魔物達はハッとなった。彼等は王姫のこれほど切ない、悲しい笑顔を見たことがなかった。
 彼等はようやく知った。自分達が仲間とも家族とも思っていたこの異邦人の少年に王姫がもっと深く、かけがえのない想いを抱いていたことを。
 二人は互いに無言のままだったが、残された時間は余りにも少なかった。最初は眩かった魔法円の輝きも今はかなり衰え、消え始めている。
 アリスティアは、かすれた声で別れを告げた。

「テツオ、元気でね……」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。
 そして、俯くとしぼり出すように小さな声でもう一度告げた。

「愛してるわ……」
「僕も」

 思いがけない言葉だった。
 驚いて顔を上げると少年は照れたように、そして寂しそうに笑った。

「初めて会った時からずっと好きだった。綺麗で誇り高くて。でも、かわいくて優しくて。君が好きだと言ってくれた時、とても嬉しかった」
「テツオ……」
「でも君はこの異世界の王姫だから。みんなにとって君がどんな大切か、知ってるから……」

 そう言うと少年はアリスティアの前髪を掻き上げ、白い額にそっと唇を触れた。彼にはそれが精いっぱいの意思表示だった。
 そのままパッと身を翻して魔法円に乗った彼は、森の向こうへ一瞥を投げた。その方角には彼の半身として共に走り、戦った鋼鉄の王虎が眠っている。

(お前とも本当にお別れだ。さようなら、ティーガー……)

 心の中でそうつぶやくと、口々に別れを惜しむ魔物達と思いがけない告白にぼう然と佇むアリスティアへ消え去る刹那、微笑みかけた。

「さよなら、アリスティア……みんな、いつまでも元気でね……」
「テツオ!」

 思わず駆け寄ったアリスティアの手は虚空を掴んだだけだった。
 彼の姿が消えると、魔族から彼へ贈ったマントや餞別に持たせていた木の実や花だけが宙に浮かび、そのまま地上へ落ちた。異世界で彼が身に着けたものは何一つ元の世界へ持ち帰ることが許されなかったのだ。

「テツオ……テツオ……愛してるわ……」

 跪くと、アリスティアは泣きながら何度も呼びかけた。
 だが、その声に応えてくれる人はもういない。両親を失った日のような喪失感が心に広がってゆく。
 と、泣きじゃくる彼女の背中に老いた腕がそっと触れた。

「行きなされ」
「おばあちゃん……?」

 泣き濡れた顔を上げる。うなずきかけたメデューサ婆は顔の皺に涙を縦横に這わせていたが、溶けるような笑顔をしていた。

「テツオ様を愛しておいでなのでしょう? 追いかけなされ」
「そんな……行けないわ。だって私はこの異世界の最後の……」

 思いがけない言葉に戸惑うアリスティアを老婆は静かに諭す。

「希望の灯を掲げ、皆を護り導く……姫様は王族の責務を最後まで立派に果たされました。もう充分です。私らはここでいつまでも楽しく生きてゆけます。姫様がこれからも皆の幸せを願うならご自身の幸せを……のう、皆」

 そう言うと、背後に控えていた魔物達を振り返る。集まっていた二十余匹の魔物達は泣いていたが、皆それぞれにうなずいた。

「姫様が幸せが我らの幸せです。今までずっと辛い目に遭って苦しんだり悲しんだりしてきたのです。これから幸せになって下さい」

 魔物達は口々にアリスティアに薦めた。

「好きな人と一緒に……これ以上の幸せはないでしょう? 私らの為にも行って下さい、姫様」
「泣かないで下さい。これからはいっぱい笑って下さい」
「姫様、僕さびしくても泣かないから。テツオと一緒で幸せなら僕も嬉しいもの」

 彼等に大切な王姫がいなくなるのを寂しいと思わぬ者は誰もいない。
 だが、それ以上に彼らは王姫が幸せになることを願っていた。王姫と少年が互いに惹かれ合い、愛し合っているのなら何のためらいもなかった。

「私らのことはもう何の心配もいりません。ここでいつまでも幸せに暮らしてゆけるんですから」
「みんな……」

 アリスティアは胸がいっぱいで、もう何も言えなかった。

「アリスティア様、魔法陣がもうほとんど消えかかってます! さあ急いで」

 王姫が迷って間に合わなくなる前にと、魔物達はアリスティアを押し出すようにして魔法陣に乗せた。

「姫様、お元気で!」
「お幸せに!」

 アリスティアは彼等のはなむけの言葉に、ようやくうなずいた。手招きして魔物達を呼び寄せ残された僅かな刹那、彼等を身体いっぱいに抱きしめた。

「ありがとう。私、どんなに離れてもみんなのこと忘れないわ。みんなの幸せを祈っています。いつまでも……」
「アリスティア様……」
「みんな、いつまでも仲良くね……さよな……ら……」

 涙と笑顔で手を振る王姫の姿は透き通り、やがて掻き消すように無くなった。

「……」

 黄金色に輝く陽光が、残された者達の寂寥を慰めるように優しく降り注ぐ。二人が去った後も魔物達は立ち尽くしていた。
 鋼鉄の王虎を駆る勇者は異世界から去っていった。
 そして小さな希望を紡ぎ続けた王姫もまた、愛する人を追い、旅立っていったのだった。
 言葉を発する者は誰もいない。
 彼等の心はいまだにおののき、いまだに喜びと寂しさに涙している。
 魔法陣は消えたが、陽光の煌めきは涙の中で滲んで二人の幻を映し出した。

 やがて、去っていった二人の幸せを祈る為に一匹の魔物が跪き、一匹、また一匹と他の魔物達も静かにそれにならっていった。



次回 最終話「めぐり逢い」



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