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ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 #15

第14話 闇と光の対峙


 鉄柵の間から見上げた青い空に一朶の白い雲が流れていた。
 風に吹かれるまま流れてゆく様子は、ティーガーに牽引されたトロッコののどかな歩みを想起させた。
 今日までの穏やかな旅が一転、突如として絶望を突きつけられ……泣き腫らしたアリスティアの頬には置き去りにされた少年を思って流した涙の跡がまだ残っている。

(テツオ……)

 出来るなら今すぐここから西へ駆け出し彼を介抱してあげたかった。助けられないのなら、せめて最期を看取ってあげたかった。
 囚われた身ではそれすら叶わない。
 そういえば、ティーガーはあの後どうなったのだろう。主を失ったまま前進を続け、何処かへ去ってしまった。
 巨大な邪神騎の肩に腰かけた少女は、うなだれた王姫を嘲笑うでもなく、同情するでもなく、黙ったまま東を静かに見つめている。
 王姫の隣の檻では、魔物達が何とか鉄柵を破ろうと試みたものの徒労に終わり、こちらもぼんやりとうずくまっていた。
 聞こえるのは巨大な邪神騎が膝行いざる気味の悪い音と、鉄の檻が引き摺られてゆく音ばかり。
 と、少女は立ち上がり、檻の中へ呼びかけた。

「私を、さぞかし恨んでいるでしょうね……」

 応えはなく、魔物達からは憎しみに満ちた視線が返って来ただけだった。アリスティアは誇り高い魔族の威厳を損なったとでもいうように顔を向けようともしない。

「でもこうなるしかなかったの。貴方達は悪を演じる役目でこの世界に創られた。運命から逃れることは出来ないの……」

 魔物達へ向かって、少女は静かに諭そうとする。

「貴方達は知らないでしょうけど、この異世界を創った神様は他にもたくさん似たような世界を創っているの」

 こともなげに少女はこの世界のことわりを語り始める。彼女の言うことは本当なのか? と、魔物達は顔を見合わせた。

「それはね、『チート勇者になりたい人』がいっぱいいるから。『チート勇者の英雄譚を見たい人』がいっぱいいるから。魔物を瞬殺して持て囃されたり、仲間や王国に裏切られて今度はそいつらをぎゃふんと言わせたり……そんな『ざまぁ』に都合のいい異世界が無数に必要だから。神様もさぞかし大忙しのてんてこまいでしょうね」

 少女はクスクス笑ったが、その笑いはどこか虚ろに病んでいた。

「この異世界もそんな風に創られたひとつ。大急ぎで仕立てた、色んなところがいいかげんな安普請の異世界。でもここはもう見捨てられる。何故って?」

 詩でも朗読するように少女は続ける。

「魔物が悪を捨て、人は社会を作って平和になったから。すっかり浮いた存在のチート勇者はハーレムごっこにうつつを抜かし、魔物討伐はただの弱い者イジメ。痛快なチート英雄譚なんかどこにもないもの。つまらない|異世界を見る読者なんてもういない。不要になった世界はいずれ消されてゆく。ねえ、どうせ消えてしまうなら……」

 丁寧な言葉遣いに冷酷さを滲ませて少女はささやく。

「もう一度、悪に染まっていただきたいの」
「……」
「平和な世の中にチート勇者はもういらないって捨てた人間達を襲って後悔させて欲しいの。“要らないなんて言ってごめんなさい、もう一度助けて下さい”って。でも助けなんか二度と来やしない! そうやって身勝手な己を呪い、後悔に泣き叫んで……」

 悪夢のような光景を思い浮かべ、少女はうっとりとして語る。魔物達は怖気を震った。

「地獄を作ってちょうだい。私が仕上げをするわ。そうやって死ぬの、チート勇者も、人間達も、貴方達も、私も、みんなみんな……」

 檻の中で揺られていたアリスティアの瞳に鋭い光が瞬いたが少女は気がつかない。顔を上気させ、半ば狂ったように笑いながら悪夢の未来図を滔々と語り続ける。

「せいぜい楽しく滅ぼしてあげる。私の憎しみで燃やした炎の中に、みんなみんな無様に踊り狂って死ねばいい! それでね!……それでね!……」

(助けちゃいけない生命なんてあるもんか! 昔がどうだっただろうが今は何も悪いことをしていないんだろ?)

 少年の言葉が脳裏に浮かんだとき、アリスティアの唇から魔族達でさえ今まで聞いたことのない、激しい怒りの声がほとばしった。

「勝手なことを言わないで!」

 まなじりを裂くようなアリスティアの怒りに少女は目を剥き、血走った眼球をきろりと動かして王姫を睨む。
 王姫は怒りを漲らせた眼差しで睨み返した。

「……そうね、勝手かも知れない」

 ため息をついた少女は肩を落としアリスティアの言葉に頷いたが、今度は媚びるようないやらしい声色でけしかける。

「なら、その怒りをこの異世界に叩きつけてよ。悪を演じる為に創られ、理不尽な目に遭って悔しかったでしょう。その憎しみを思い知らせてやりたくないの?」
「……そんな怒りに駆られたことは何度もあったわ。でもそれは間違っている」
「面白い理屈ね」

 一方は囚われた檻の中から。
 一方は邪悪な魔神の上から。
 異世界の王姫と闇の魔少女は、鉄格子を挟んで対峙した。互いに譲れぬものを賭け、視線がぶつかり合う。

「異世界のお姫様、貴女は遊び半分で虐げられても泣き寝入りするの? よくまあ、平気でいられますこと」
「憎しみからは憎しみしか生まれない。だから私達は人を支配することをやめた。自分の憎しみの為に誰かを不幸にしてもいいと言うなら、貴女はチート勇者よりも醜くて下劣よ」
「な……!」

 目に見えない手で思い切り頬を打たれたような衝撃だった。
 無力に打ちひしがれていた王姫が、これほどの誇り高さで拒絶するとは思っていなかったのだ。
 千切れそうなくらいドレスの端を握りしめる。それでも精一杯、虚勢を張って見せた。

「……いいわ。どうせ誰も理解してくれないもの。だけど、嫌でも貴方達には悪を演じてもらうわ」
「私達魔族は、貴女の身勝手な遊具になんてならない。脅しても無駄よ」

 凜として拒絶するアリスティアの瞳を少女は正面から見返すことが出来なかった。

「私達魔族は二度と悪には染まらない。もう誰も傷つけない。どんな生命だって軽々しく奪わない」

 あの少年が教えてくれたのだ。
 どんな生命にも生きる資格があるのだと。どんな生命だって大切にしなければならないのだと。

(助けちゃいけない生命なんてあるもんか!)
(この異世界の異形がお前らにどんな悪いことをした!)
(生きろ。生きてくれ。お願いだから……)

 少年の言葉が思い浮かぶ。彼女は思わず胸を押さえた。

(そう、そんな人だからこそ私は愛してしまったの……)

 少女は「ふん、まぁ勝手に自己完結してなさい。私にはどうでもいいわ……」と、肩をすくめた。
 だが内なる怒りを抑えきれず、唇は歪み、肩は震えている。

「所詮は綺麗ごとね。私のいた世界じゃ、そんな生き方をする人はみんないいように利用されて捨てられる。残酷で冷たい世界なのよ」
「貴女のいた、そんな世界から来たあの人が私に教えてくれたの。助けてはいけない生命なんかないって」

 アリスティアはつんと顎を上げ、魔少女の虚勢を切り捨てた。

「あの人は悪と呼ばれた私達に手を差し伸べてくれた。私達を悪ではないと、胸を張って生きてよいのだと言ってくれた。あなたにだって、きっと同じように手を差し伸べてくれたでしょうに」
「あの人?」

 アリスティアは檻の中から憐れむような眼差しで少女を見上げた。

「貴女は本当は哀れな、かわいそうな人なのね……」
「馬鹿にしないで!」

 狼狽を隠すように少女は叫んだ。その端正な顔が醜く歪む。

「……勘違いしないで、異世界の悪を演じるべきお姫様。貴女はね、誰かを憐れむ資格なんてないの!」

 アリスティアは応えなかった。生命を弄ぶ詭弁に応える言葉などない、と少女を睨め付ける。侮蔑を受けた少女は怒りに震え、その顔を真っ赤に染めた。
 親に見捨てられ、居場所すら失くした自分の最後の我儘。それすら拒み、一蹴するなんて……

「わかったわ」

 悲し気に下を向いた少女の顔は次の瞬間、憎しみを解き放った悪鬼のそれに豹変した。
 手にした大鎌を振り上げ、邪神騎の肩から大きく身を躍らせる。

「じゃあ、一足先に貴女へ私の望む地獄を見せてあげる!」

 隣の檻では魔物達が「アリスティア様!」と悲鳴をあげたが、振り返った王姫は青ざめた顔で微笑んでみせた。

(悔いはないわ。彼が教えてくれたものをこの胸に抱いて死ねるなら……)

 落下しながら少女のかざした大鎌の鋭い切先が王姫に向かって、今まさに振り下ろされようとした。それは鉄の檻ごと彼女を切断するに違いない。
 その時だった。

撃てフォイエル!」

 アリスティアの耳に、かすれた雄叫びが聞こえた。

「えっ?」

 彼女の頭上に宙を切る鋭い砲声がこだまし、数瞬前に少女が身を躍らせた邪神騎の肩が吹き飛んだ。
 肩を鎧っていた甲冑を砕かれた邪神騎は怪獣のような咆哮をあげる。

「ひあっ!」

 爆風に吹き飛ばされかけた少女は思わず悲鳴をあげたが、そのまま空中でくるりと回転して体勢を立て直すと、近くにあった大岩の上にふわりと降り立った。

「ティーガー! 鋼鉄の王虎よ!」

 アリスティアは思わず救世主の名を呼び、両手を差し伸べた。
 聞き覚えのあるその砲声は紛れもなく、魔物達の危機を今まで幾度も救ってきた鋼鉄の牙、ティーガーの八八ミリ戦車砲に他ならなかった!
 離れた場所にあった岩地に目を凝らすと、そこに鋼鉄の王虎がその雄姿を現した。
 絶望の闇に囚われていた魔物達から歓喜の雄叫びが上がる。

「ティーガー!」
「ティーガーが来てくれた! だがテツオは……」
「見ろ、あそこに!」

 荒野を驀進し汚れきったティーガーの砲身に真っ青な顔の少年がしがみついていた。
 気息奄々といった様子で血塗れのままだった。瀕死だった状態からかろうじて蘇生し、攫われた魔物達を救おうと全速で追って来たに違いない。

「ああ……」

 アリスティアは、涙で少年の姿が見えなくなりそうだった。
 生きているだけでも嬉しかった。
 しかし、彼は辛うじて繋ぎ止めたその生命を自分達の為に再び投げ出そうとしている。

(鋼鉄の王虎よ、どうかテツオの生命を護って……!)

 大岩の上に降り立った少女はティーガーと少年の姿を認めると「なるほど。お姫様があのとき何かこそこそしていたのは、そういうことだったのね」と、頷いた。
 しかし、気力だけで立っているような少年の様子に、すぐ己の有利を確信し、顎を上げて嘲笑った。

「ふふふ、死にぞこないが……遊んであげようじゃないの」

 そう言うと少女は「あら、私としたことがはしたない」と、口元に手を当てた。

「これって、楽勝のつもりが私が負ける流れになっちゃう場合の前台詞よね。失言だったわ」

 苦笑した少女は、アリスティアや魔物達の視線を浴びる中で、ティーガーと少年に向かって「かかる場合は……」と肩をすくめ、真っ赤なドレスで優雅に舞うと裾を摘まみ、丁寧に一礼した。

「鋼鉄の王虎を駆る勇者様、お誘いありがとうございます。おもてなしの御用意は何も出来ておりませんが、わたくし精一杯お相手を務めさせていただきますわ……」



次回 第15話「願い、そして奇跡」


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