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ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 #16

第15話 願い、そして奇跡


 丁寧にお辞儀レヴェランスをしてみせた少女はドレスを翻し、邪神騎に歩み寄った。

「リュード。始めましょう、この世界を滅ぼす為の序章を。仲間も、理解する人も、やっぱりいなかったけどもういいの。私達ふたりだけで……」

 砕けた肩を見上げ、彼女はささやいた。

「痛かったでしょう? すぐにその報いを受けさせるわ。さぁ、私を受肉させて」

 少女は詩でもつぶやくように小さな声で呪文を唱えた。
 するとその身体が崩れ、蝋のように溶け始めた。あたかもその美しかった容姿が仮初めのものでしかなかったとでもいうように。
 檻に囚われたアリスティア、魔物達は少女が魔魔ではなく闇の眷属であることを目の当たりにして息を呑んだ。
 少女はとうとう不気味に蠢く肉塊と化し、邪神騎は鋭い爪の生えた手でそれを愛おしいもののように包み込む。
 八八ミリ砲の直撃で砕けた肩に優しく撫で付けると肉塊は意思を持った存在のように肩に貼り付き、融合を始めた。千切れ落ちそうだった肩は新しい肉片を与えられ、復元してゆく。
 最後に……肩に浮き出た血管から不気味な突起が脈を打ち、それが頭部に達すると真っ赤な単眼がぎらりと光った。融合して一体化した少女の意識が邪神騎の頭脳に宿ったのだ。緩慢にのたうっていた邪神騎が一転、蛇のような下半身をくねらせ敏捷に動き始める。
 対峙するティーガーは、邪神騎を警戒しながら距離を詰めるべくゆっくりと前進を始めた。少年は這いずるようにして何とか車内へ乗り込み、ハッチが閉じられた。

(よかった。少なくともティーガーの中にいれば……)

 アリスティアはほっと胸を撫で下ろしたが、少女のおぞましい変貌と合体を目にした後だけに不安を拭い切れなかった。
 チート勇者と違い、今度の敵は余りにも異質だった。恐ろしい力を秘めているようで……そして、それは杞憂ではなかった。

「お待たせしました勇者様。それでは拙い技ですが、絢爛舞踏を始めさせていただきます……」

 意識と化した少女が「浮遊……」とつぶやくと、邪神騎の周囲に転がっていた巨岩が魔力によって次々と地面から引き抜かれ、空中に浮きあがった。

「投擲……」

 弾かれたように岩石が飛んで行く。ティーガーは急制動を掛け回避しようとした。
 少女が「震盪刃しんとうは……」とつぶやくと、邪神騎がその半身をのけ反らせるように大きく振りかぶり、大鎌を横に薙ぎ払った。
 弦を弾くような音と共に衝撃波が岩石を砕く。それらは散弾となってティーガーを襲った。砕けてドラム缶大になった岩石が幾つもティーガーの装甲に叩きつけられ、さしもの王虎も重い車体を揺らしてよろめいた。

(ふふ、思った通り……)

 魔法攻撃を一切受け付けないティーガーも物理的な影響までは無効に出来ないと少女は踏んでいたのだ。
 ティーガーも反撃の砲火を浴びせようと砲身を向けるが、邪神騎はアリスティアのいる檻の後ろへ素早く下がってしまった。
 そうすると人質を突き出されたようなもので八八ミリ砲は沈黙するしかない。
 砲撃出来ないティーガーは焦れたように全速で走り出した。砲塔を右へ旋回しながら邪神騎の左へと回り込み、王姫の檻を射線から外して邪神騎を捕捉しようと試みる。
 だが邪神騎も檻を軸に左へ動き、攻撃するチャンスを与えない。両者の動きには大きな差があった。重装甲で鈍重なティーガーは不整地では全速でも二〇キロほどのスピードしか出ないのだ。機敏さでは到底及ばない。
 こうして、邪神騎はアリスティアや魔物達の囚われた檻を盾にした位置からティーガーへ次々と岩石を叩きつけてゆく。
 卑劣にして狡猾な戦い方だった。
 射線上から檻が外れたタイミングを見つけてはティーガーの八八ミリ砲も火を吹くが、移動しながら僅かな隙を狙った砲撃ではさすがに正確な照準など望めるはずもない。砲弾は邪神騎から離れた空間を虚しく通き抜けてゆくだけだった。

「ああ……」

 檻の中から戦況を見守るアリスティアと魔物達は、苦戦するティーガーを目の前にして泣き出さんばかりだった。
 自分達を人質にされているばかりに、鋼鉄の王虎は一方的に嬲られるような戦いを強いられているのである。分厚いティーガーの装甲も幾度も叩きつけられる打撃に傷つき、次第に歪み始めた。
 それでも魔物達を救い出す為、鋼鉄の王虎は一歩も後ろへ引かない。
 蘇生したばかりの弱り切った身体であの少年がティーガーの中でどれほどの苦痛に耐えているのか思うと、胸が張り裂けそうだった。

「撃って! 私達に構わず撃って!」

 思わずアリスティアは叫んだ。
 だが、ティーガーの八八ミリ砲は邪神騎への射線上に檻がある時は頑なに沈黙を守り撃とうとしない。それをいいことに邪神騎の攻撃はますます一方的なものになってゆく。
 鎧われた装甲の中で痛めつけられ、それでもなお戦い続ける少年を同じように思い浮かべた邪神騎の中の少女は悪魔のような笑みを浮かべ、思わず舌なめずりした。

(足掻け……足掻け……それだけ楽しくなる)

 激しい打撃のショックで、ティーガーのエンジンが息を切らせたように止まってしまった。力なくスターターが唸り、喘ぐようにエンジンがかかる。

(このままではテツオが……!)

 血が滲みそうなくらい鉄格子を握りしめ、アリスティアはくるめく思いに慟哭した。
 愛する人が自分達の為に苦しめられながら、それでも阿修羅のように戦っている。なのに何の力にもなれないのだ。
 自分はこうして無力なまま泣くことしか出来ないのか、この燃え滾るような心を力に変えることが出来たなら!
 振り仰いだ空の彼方へ彼女は訴えずにいられなかった。

(お願い……一度だけ、一度だけでいい。私の願いを……奇跡をここに!)

 そう思ったとき、ふいに――アリスティアの様子が変わった。
 嘔吐きにも似た震撼が喉元へ込み上げる。
 次の瞬間、その叫びは彼女自身も知らない言葉となって迸り出た。

「Hore meine Worte, oh Schopfer dieser Weltordnung!」
(この世界の理を司るものよ、我が言葉を聞け!)

 それはアリスティアの中に流れる高貴な血が呼び覚ました未知の召喚魔法だった。
 魔族やチート勇者が神話の世界から魔獣や武器を召喚する際のいかなる詠唱とも異なる神秘の言語。炎立つような熱を帯び、その言葉はこの世界の創造者へ訴えかける。

「Sieh den Stolz der Tapferen, die die Schwachen beschutzen. Du musst ihm die Macht geben, das Bose zu vernichten!」
(弱者を守らんとする者の心を見よ。心あらば、邪悪を打ち砕く力を彼の者に与えよ!)

「Ich will keine machtige Kraft. Disziplinieren Sie diejenigen, die die Welt zerstoren und Frieden in dieser Welt suchen!」
(我は力のみの御業を求めず。ただ世界を滅ぼす者を戒め、この世界に平和をもたらす奇跡を欲す!)

「Ich hoffe, diese Welt wird mit Licht, Leben und Liebe erfullt sein」
(我らがこの世界に求むるは、光、生命、そして愛なり……)

 アリスティアが詠唱を叫び終えたとき、青空が一瞬にして夜のように暗転した。突如として日食が訪れたのだ。

 (これは一体……?)

 超常現象を目の当たりにして邪神騎を操る少女もさすがに驚愕した。顔色を失い、何が起きたのかと周囲を見回す。
 と、この世の終わりのような轟音が空気を震わせた。雷鳴と共に白熱した光が地表を覆い、大地が激しく震えた。
 何者かがこの異世界へ召喚されたのだ。
 衝撃でティーガーのエンジンは停止し、邪神騎もその巨体をどうと横ざまに倒した。

「Wir wollen mit Hoffnung in dieser Welt leben」
(生命に光の輝きを信じる世界にぞ、我等は帰依する……)

 アリスティアの唇が未知の詠唱を締めくくる。召喚者となった彼女は、そこでようやく意識を取り戻した。

(私の中から未知の言葉が……今の魔法は一体?)

 王姫は己の起こした奇跡が何だったのか理解出来ないまま、砲身を下げて沈黙しているティーガーを見つめて少年の身を案じた。

**  **  **  **  **  **

 ――助けるんだ、何としても……

 時間は、超常現象が起きる前の激戦に遡る。
 激しい戦いの中で鋼鉄の王虎は幾度も被弾した。
 衝撃に突き飛ばされ、狭い戦闘室の壁に叩きつけられながらも、少年は再び立ち上がる。

「ティーガー、全速後退。榴弾装填……」

 八八ミリ砲の砲尾の後ろに鉄色の靄が現われる。それが固まって完全な砲弾の形になると閉鎖機が自動で開いて砲弾を飲み込み、装填が完了した。
 それを繰り返し幾度も邪神騎を狙うが、相手の動きに翻弄され、どうしても命中させることが出来ない。
 一方、相手の攻撃をこちらも回避しようとするものの、鈍重な戦車の機動では避けようがない。結局、叩きつけられる硬い岩石を強靭な装甲で耐えるしかなかった。そうやって何度も倒れ、何度も立ち上がって。
 少年の身体のあちこちには打撲の青黒い痣が出来ている。瀕死の状態から蘇生したばかりの身体で戦い続け、体力も気力もとうに限界を超えていた。
 それでも、囚われた仲間を何としても助けるのだという強い気持ちだけで少年は戦い続ける。
 ペリスコープから覗くと盾にされた檻の中から人質の王姫が泣きながら何か懸命に叫んでいるのが見えた。私に構わず撃って、と言っているのだ。
 少年は首を振る。あれだけ辛い目に遭ってなお自身を犠牲にしようとする彼女を、魔族達を、誰ひとり犠牲にしてはならない。絶対に。
 だが、そんな少年の勇気を嘲笑うかのように邪神騎の攻撃は激しくなるばかり。

(助けるんだ、何としても……)

 どれくらい戦い続けただろう。
 ペリスコープから邪神騎の位置を確かめようとした少年は、今までにない激しい衝撃に突き飛ばされ倒れ込んだ。
 額を打ち、頭から血が流れて汗と共に視界を奪った。疲れ切った自分の身体に鞭打って、それでも少年は再び立ち上がろうとした。
 だが、手も足も、もう動かなかった。

(駄目だ、立つんだ)
(僕がここで倒れたら、一体誰がみんなを……)

 痙攣を起こした腕が、それでも何かに掴まって起きようと、立ち込める硝煙の中を弱々しく彷徨う。

(立つんだ、何としても……)

 そのとき、彼の手を硝煙の中から誰か・・が掴んだ。

「誰……」

 朦朧としながら少年は呼びかける。
 それは、鋼のように固く力強い、だが同時に温かみを湛えた手だった。

「Hast du uns hierher gebracht? Aus dem Land des Todes?」
(黄泉の国より、我等を召喚したるは汝か?)

 知らない言語だったが、不思議なことに少年はその意味を理解することが出来た。
 うなずく力さえなく、朦朧とした目でただ見上げた。
 長身の男だった。
 鋭い眼光を帯びた掘りの深い顔立ちは、どこかで見た覚えがあった。銀縁の黒い軍服を着ている。
 男の首許には勇者の中の勇者たる証、騎士十字章が飾られていた。同じ黒い軍服を着た四人を従え、彼はじっと少年を見つめている。

 ――まさか……!

 少年の瞳が驚愕で見開かれた。

 子供の頃から憧れていた男。
 いじめを受け暴力に抗って立ち向かう時、いつも思っていた。
 彼のようになりたいと。こんな勇気ある男になりたいと。

「ヴィットマン……」

 男は静かに頷いた。

「ミヒャエル・ヴィットマン……」

 鋼鉄の虎を駆った伝説の戦車兵は、少年の脇を抱きかかえた。引き摺って戦闘室の端に背中をもたれ掛けさせると、彼の顔と同じ高さから視線を合わせた。

「お前は一人で戦っていたのか。あの怪獣から囚われた者を救うために」
「……」
「我々が崩れゆく祖国を守ろうと戦ったように……」

 少年には頷く力もなく……だが、その潤んだ瞳が彼の問いに答えていた。

「そうか」

 彼はすべてを理解した。
 かすかに微笑むと、背後へ鋭く号令する。

「Erfullen Sie Aufgaben an bestimmten Stellen」
(全員、配置につけ)

 凛としたドイツ語の号令が車内に響く。その声は、まさしく数え切れない激戦をくぐり抜けた歴戦の強者のそれだった。
 「Jawoh了解!」と兵士たちが返答し、それぞれの部署へさっと移動する。少年はドイツ語を知らなかったが、彼等の会話を心話のように理解することが出来た。

「我らの敵はあの異形の怪物だ。蛇のように素早く動き、このティーガーを翻弄していたようだ」

 男が覗き見たペリスコープの向こうでは、ようやく起きた邪神騎が空に向かって苛立ちのような奇声で咆哮を放った。
 びりびりと大気が震える。
 チート勇者ですら怖じ気づきそうな雄叫びだったが、配置についた兵士に動揺した者は一人もいない。こんな咆哮より激しい砲声轟く戦場を幾度もくぐり抜けてきたのだ。彼等もまた鋼鉄の虎で戦った猛者達だった。

「奴め、もう勝った気でいやがる」

 操縦席の兵士が嘲笑を含んだ声でつぶやくと、男は不敵に笑って言い放った。
 伝説ヴィレルボカージュの戦いの幕を開けた、あの一言を。

「……では、本当の戦いを教育してやるか」



次回 第16話「勇者の証」


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