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#11 海外に出るまでに何故こんなに時間がかかってしまったのかを考える

今となっては不思議でたまらないけど,僕はこの留学に来るまで,海外経験というものがほとんど皆無に近かった.研究室に入るまでは,東南アジア数国を旅行で訪れた,本当にその程度だった.

研究室の同期にも,”いかにも海外経験ありそう”と言われたことがあった.口ではいつでもグローバルを語ってたし,英語の勉強もそれなりにこなしていた.そのくせ,海外経験がない,というのは今思い返すとなんとも恥ずかしい気持ちにもなる.

だけど,大学に進学して学部で勉強しているうちは,自分が海外で生活する,というイメージが全くわかなかった.

そしてこれは最近分かったことだが,イメージがわかないことは行動に移すことができない

学部生活は日々授業に出るので必死で,もし長期で留学したかったら休学するほかなかった.やりようによっては単位を前もってとる,等の処置をすることで休学せずに留学することは可能だったかもしれないが,少なくともそこまでして留学することを実現しようとは思えなかった.休学して留学しよう,と思えるまで,僕の中で留学に対する気持ちは高まっていなかった

今思えば,海外に出てくることで気づくことは本当に沢山あるし,留学の経験なしに自分の人生は成立しないだろう,とすら思える.

今は偉そうにこんなこと語れるけど,でもそれも結果論に過ぎなくて,学部で勉強していた頃の自分に今の自分が説得できるか,というと自信はない.

いや,自分にだったらなんとかなるかも.価値観を共有できる人への説得は感情が共有できる分比較的に簡単に話が通じるケースが多い.だから対話の相手が自分自身であれば簡単かもしれないけど,他人となると話は変わってくる.少なくとも弟への説得は今のところ失敗している(大4の弟に留学の意義を語ったが,イマイチ伝わっていない).

英語の勉強はずっと好きだったんだ.いつだって得意科目は英語だったし,これまでの受験生活で英語が何度も救いの手を差し伸べてくれた.

高校受験なんて,数学で受験者最低点近い点数を取って大泣きした(苦い思い出).それでも合格できたのは,やはり英語がカバーしてくれたからだった(そこまで数学が苦手だった僕がここまで研究を続けているのもなかなかの笑い話だけど).

英語の勉強が好きだったこと.それは大学に入っても変わらなかったし,進学後も続けていた.

でも僕の中で英語の勉強は”科目としての”英語に過ぎなくて,”コミュニケーションのツール”としての英語ではなかったと,今振り返って思う.

だから英語の勉強をしていても海外で生活しよう,という発想には至らなかったのかもしれない.だって英語の勉強の目的は”TOEICでいい点をとる”ところにあるのであって,”海外で誰かと会話をする”というところにはなかったから.

ではどうすればよかったのか,という具体的な対策を講じなければいけないわけだけど,僕の場合はやはり僕と似たような人に,”暑苦しいほどメチャクチャに気持ち込めて説得してほしかったな”,と思う.

僕は考える前に体が動いてしまうタイプなので,とにかくアツい説得をしてくれるような人がいたら動いていたかもしれない.

休学してでもいいからとにかく一度海外に行ってこい.一度自分の目で広い世界を見てこい,こんな風に経験者から熱く説得されていたら行っていたかもしれない.

やはりこれも一度述べたと思うけど,”アンテナ張ってそれに反応する”他ないのかな,と思う.アンテナの張り方も反応の仕方も本当に人それぞれだから一概に解答を導くのは難しいけど.僕自身も,もう少し肩の力を抜いて,もっと広い視野でいろんなものを見れたら色々違っていたのかな,と思う.

まぁ僕が肩の力を抜くことがびっくりするほど下手なくらい不器用なのはわかっているので,これは思うだけで行動に起こせる日はおそらく来ないと思います.目の前のことにその都度全力で向き合ってでしか成果を残せないこともわかっているし,この生き方もとても好きなので反省する必要もないかな,と思っているんですけどね.

目の前のことにしか視野がいかない極端に狭い視野で海外にたどり着けたことを今はハッピーに思う.これだけですね.

あとは後輩にもっと効果的に海外留学のメリットを伝えられるような文章を考えようかな,と思います.気持ちだけでぶつかるのではなく,どんな人にも納得できるような論理が必要かな,と思うのでそれはこれからの時間で準備したいなぁ.

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