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ラーメン屋が無い!

連休の高速は思いの外空いていた。

なんのストレスも無く車は都会から離れ、
あっという間に田舎の景色が飛び込んだ。
それから、僕たちはさらに山奥へと車を走らせ、
東京から2時間半かけて目的地へと辿り着いた。

北関東のそこは山々に囲まれた山谷のような場所で、
目の前には大きな湖が広がる温泉地だった。
湖畔を囲むように立ち並ぶ古い旅館の一つに僕だけが滞在した。
というのも、
僕以外の同伴者たちは別のホテルに宿泊したからで、
他のどんな旅館よりも豪華な外観の
いかにも新参者といったホテルに宿泊した。
誰もが一度は聞いたことがあるそのホテルの一流スタッフ達による厚いおもてなしがエントランスだけで見て取れた。
当然宿泊費も倍以上違う。
きっと窓から見える景色は同じでも見え方には雲泥の差があっただろう。

それでも僕は構わない。
むしろ快適にすら思えた。
強がりでは無い。
誰かと同じ部屋に泊まるなんて、僕には出来ない。
1人で羽を伸ばしたいという欲求がとてつもなく強いのだ。
兎に角何もしないでも良い時間が何より有り難く、
同伴者をそのホテルに送り届けた後、
観光地へ繰り出す事も無くこの古い旅館に籠り、
2泊3日の宿泊で入浴以外は部屋でじっと羽を広げ誰にも邪魔される事なく静かに過ごしていた。

そうは言っても腹は減る。
素泊まりで予約してしまったことを思い出し、咄嗟にネットで営業中の店を検索した。
検索欄に「ラーメン」と「〇〇市」と打ち込み最寄りの店を探すも、全てが既に閉店していることを知る。
思わず時刻を確認する。 

「19時、、、」

都心に長いこと住んでいて、夜7時にラーメン屋が一軒も営業して無いなんて経験は未だかつてあっただろうか。
直ちにGoogleの機能を疑った。
そんなはずはないと自分がいる観光地の周辺を調べても出てこない。
仕方なくラーメンは諦めることにした。

「定食」、「居酒屋」、「グルメ」、「食べたい」・・・

飲食店のハードルを徐々に下げていっても、
一向に検索に引っかからない。
検索範囲を広げても夜の山奥には営業中の店が出てこない。
観光地でコンビニ弁当を食べる自分を想像した。

「無いな」

と即座に答えを出しつつも、念のため近くのコンビニを検索しする。

「いや、どこにも無いよ!」

最寄りのコンビニは約20キロ先にあった。
だんだん腹が立って来る。
何気なくラーメンと検索した気持ちが何故か一層増してきて、こんな時に限ってどうしてもラーメン以外受付なくなってしまった。

中指と人差し指を駆使してゆっくりケータイ画面に沿ってピースを繰り返す。
何回目かのピースで営業中のラーメン屋の大群を探知したその場所は、現在地から約30キロ離れていた。
都心から府中市くらいまで行ける距離だ。
おまけに街灯も殆どなく天候は雨で視界も悪い。

気付いたら車のキーを握りしめ、雨空の下にいた。
都会の喧騒から飛び出し人気観光地に来たはずの僕は、
街頭も僅かなド田舎から逃げるように車を走らせた。

ラーメン屋ならどこでも良い。
最寄りの市街地への最短ルートをモニター画面に映し出し、片道40分と出ても臆することなく山を抜け、まるで食べ物を求めて人里まで降りて来た季節外れの獣のように、僕は街へと繰り出す。
そして、出所して初めての食事にありつけた元囚人みたいに3日ぶりのラーメンを貪り食った。
店を出てこの地の目的を失った僕はすぐさま街を後にした。

行き同様に40分程かけて旅館へ戻った時には、
既に人影も灯も、人の呼吸すら無かった。 
1日の終わりが早いにも度が過ぎる。
起きてることすら御法度のように思えた静かな田舎で息を殺すように夜更かしした後、知らぬ間に寝落ちした。

旅館の醍醐味は、景色でも無い、飯でもない。
朝風呂だ。

早朝、僕は都心の一人暮らしとは無縁な湯風呂に浸かっていた。
掛け流し温泉で独占と独唱を謳歌している所に、
脱衣所に人の気配。
束の間の至福に見知らぬ地元民がやってきて、
田舎ならではの風呂場の社交が始まったのだ。
無論、始めたのはその30代後半くらいの男で。

「どちらから?」

それからお互い興味の無い質問を投げかける。
話を聞くに、この旅館の宿泊客では無く、
遠い田舎からわざわざ湖で釣りをする為だけに遥々やってきたという。

「何が釣れるんですか?」

なんて釣りをしたことがない人間がするもんじゃなく、
リアクションに困る返答しか返ってこなかった。 

下らない会話が続くにつれて、
この状況がとても不思議で可笑しくなってくる。
都内の風呂場で見知らぬ人に話しかける事なんて無かった。
都内の大きい大浴場に浸かっていても、
物理的にも精神的にももっと距離がある。
一方、田舎の風呂場は一生関わりの無い人間ともいとも簡単に会話が成立し、たわいも無い質問をする事の後ろめたさも無い。

ふと昨晩の自分を思い出す。
やる事もする事も無い事が有り難かったはずの自分が、
遅くまで出会い系アプリを開きひたすら右スワイプを繰り返していた。
会えるはずのない距離にまで設定して、課金まで一瞬頭をよぎった。

田舎に来て、
誰とも会えない、自由にラーメンも食えない環境に置かれた僕は無意識に誰かを求め、いつでも食えたはずのラーメンの呪縛に縛られていたのだ。

そう思ううちに、
風呂場にふらっとやってきたこの男との出会いが特別なモノに思えて仕方なかった。

今晩は乗ってきた車で1人寂しく車中泊をして翌朝地元に帰るという。

すっかり温泉が僕の肌の奥へと浸透し、まるで心の奥まで包み込むかのように田舎の優しい情緒が身体全体に行き渡った気がした。

新しい無意味な出会いも悪くない。
車中泊と聞いて、自分の広めの部屋を想像した。
奇跡的な出会いをしたこの男性とビールを飲みながら朝まで語り合ったら面白いはずだ。


なんて発想は一瞬で却下した。

田舎の情緒も温泉の効果も、
一人になりたい欲望に勝ることはない。


ああ、


帰って早くラーメンが食いたい。


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