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今週のジャンプ読んだ?

男なら誰しもが週刊少年ジャンプを読んでいるだろう、
という偏見にも近い思い込みが僕の中に常にある。

学生時代。
月曜の学校帰りは友人とお決まりのコンビニに立ち寄り、
雑誌コーナーをあたかもプライベートゾーンのように陣取って長時間の立ち読みをかました。

『友情』と『冒険』が詰まった名作たちの集合体が300円以下という低価格で売られていても、
学生の財布事情からすれば毎週購読の出費は痛かった。
今思えば、
それは都合の良い口実に過ぎなかったかもしれない。
『週刊少年』という名前にあやかり、僕たちが正になんて勝手な特権階級を振り翳して堂々と仁王立ちで無銭読書を仕出かしたに過ぎない。

必ずと言っていい程窓際に陳列された雑誌たちの前で、
自分勝手な理由を武器に長時間佇んでいた少年たちの光景は、当時よく目の当たりにした。
今考えれば、なんとみっともなく恥ずべき行為をしていたんだと猛省してしまう。

コロナ禍になり、
立ち読み禁止を強く掲げられてからそのような光景が見られなくなったのは、過去の度重なる愚行への制裁が今になってやってきたのだとさえ思ってしまう。

少年ジャンプはもはや全人類ジャンプに改名してもいいくらいに少年という枠を越え、全ジャンルの人間の心を動かす名著であることは言わずもがなで、
社会人になった30歳の僕は今でも毎週読んでいる。
当時読んでいた作品の殆どが完結し、連載の入れ替わりが繰り返され、まるでジャンプそのものが歳を取り成長していくかのように様変わりしたが、
僕もまたしっかりお金を払って本当のプライベートゾーンで腰を据えてから読むような真っ当な人間になった。
偉そうに言える事ではないのは承知している。  

繰り返しになるが、学生時代にお金を払わず毎週名作を読んでいたことは反省している。
ただそれ以上に、作品への関わり方に対する僕の思いが変化したのだ。
それはジャンプに限らず、無料で視聴できるテレビのバラエティ、ドラマに対しても言える。

全ての作品には、人が必ず関わっている。
漫画だったら作者がいて、
ドラマや映画には演者がいるように。
作品の中では見えてない所で関わる人物がいる。
漫画家には編集者がいて、
演者にはマネージャーがいるように。
見えてない所にこそ人がいる。

少年だった僕の頭の中にどれほどの人間がイメージされただろうか。
大人になるにつれてその見えない人の数が増えていき、 次第にとんでもないお金と人間たちの影に恐怖すら感じるようになった。
無料である事の重みを知り、有料であるが故の自由に気付き、終いには作品への感想を口に出すことすら憚れるようになっていく。
それはそれで健全ではないことも覚え、尊敬を抱きつつ冷静に分析することを学んだ。
そしていつしか、そんな向こう側の人間に憧れ、自分自身が作品というものに直接関わりたいと思うようになった。その関わり方は色々な形であるが、
僕は脚本家という道を選択した。

それでも、
毎週やってくるジャンプを楽しみに生きていたあのわんぱく少年は、今も変わらず月曜のコンビニに立ち寄り、
脇に抱えて心を躍らせながら出勤している。

同僚と顔を合わせば開口一番、 
教室に入って友達に向かって発した時のように。

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