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「話したくないけれど、誰かに聞いて欲しいこと」

「話したくないけど、誰かに聞いて欲しいこと」

誰しも、こういったことがあるものではないか。

そのモヤモヤを抱えたまま生きるのは、心に重たい石を抱えているようで非常に心地が悪い。
私自身も、仕事のストレスや過去の失敗、理不尽な思いをした経験など、心の中でくすぶる感情を抱えてきた。

例えば、仕事で自分が頑張ってきたことが認められず、理不尽な思いをしたり・・・、決して誰かに話せるものではなかったなど。

こういった経験は意外とあるあるなのではないか。

パートナーや親友に打ち明けられればよかったのだが、強固なプライドやその後の「みられ方」、その場の雰囲気が悪くなることが壁となり、吐き出すことができなかった。

今日は、そんな「本当は話したくないけれど、誰かに聞いて欲しいこと」について、整理していこうと思う。


抱えたモヤモヤは、いつか膨らむ

血の気が引くようなショックを感じても、不思議と日々の忙しさのなかに溶け込むと、そのモヤモヤは知らずの間に忘れてしまうこともある。

むしろ、わざと忙しくして考えないようにすることもあるし、状況や環境、はたまた運のせいにして、蓋をすることもある。

半ば、投げやりである。

しかし、同じようなシチュエーションに出くわすと、再びそのモヤモヤが沸々と思い出され、徐々に大きくなってしまう

そうなると、心の中はますます重くなり、前向きな気持ちを持ち続けることが難しくなる。何をするにも、何かを言い訳にしてしまったり「どうせ・・・」といった思考によりやすくなってしまう

抱えきれないほど成長した【モヤモヤの対処法】

そうなったとき、ここ最近の私が決まってやっていることがある。
それは、

遠方で一人暮らしをしている90歳のおばあちゃんと話すこと

である。

おばあちゃんに話すことで、自然とモヤモヤが浄化される。
戦争をはじめ、理不尽しかなかった世代を生き延びた人の言葉は深い。
私の想像をはるかに超える苦悩を体験した彼女に話すと、自分の悩みがちっぽけだったことに気づく。

決して、「私たちの時代はね・・・」などと話し始めることはない。「よく頑張っているね。」の一言で、モヤモヤの濃度が薄まり、やがて消えていく。

その度に、「こんなことで悩む必要はないではないか。」と思えるようになって、一段階段を登れたような感覚になる。たった一言で、少しだけ強くなれる気がするのだ。

また、海外旅行をするようになってからも、モヤモヤの小ささに気づくことが増えた。異国の地で新しい文化や風景に触れることで、自分の悩みがいかに小さなものであるかを実感することができた。

書くことが見えないモヤモヤの正体を暴く

さらに、最近始めた毎朝のジャーナリングで、そのモヤモヤとの付き合い方がわかるようになってきた。日々の思いや感情を紙に書き出すことで、モヤモヤの正体を認識し、正体を暴くことで心の中が整理される。正体がわかると不思議と気持ちが軽くなる。

見えない敵ほど、怖いものはないのかもしれない。

「話したくないけれど、誰かに聞いて欲しいこと」

誰かに聞いて欲しい。
でも意見して欲しくないし、聞いたことで自分へのネガティブな感情を抱いて欲しくない。
またその後やりづらくなるのも面倒だ。

こういったプライドや負の感情が壁となって、人に話すのが憚られる。

もちろん、無条件で吐き出せる相手やその道のプロに相談できたらいいのかもしれない。

しかし、そういった相手がいなくても、自分なりの方法でうまく処理できると、心の中が軽くなることもある。

そんなことをあれこれと考えた今日。みなさんはモヤモヤをどう対処していますか?

では、また!

#自分で選んでよかったこと

最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️