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職場環境の「変化」が、かなしかった話

今日は、一日曇りの予報だったけれど、途中パラパラと小雨が降っていた。梅雨明けはまだ遠そうだ。
台風はまだ来ていないようだけれど、来月になったら増えるのだろうか。

昨日のnoteで、「怒りは二次感情」ということを書いた。
昨夜言葉にしていたせいか、なんとなく今日も似たようなことを考えていて、少し気がついたことがある。

私は、職場における環境の「変化」が、かなしかったのかもしれない。

この場合の変化は、担当者が異動して別の人になったこととかも含むかもしれないけれど、おそらく少し違うのだと思う。

新しく来た人によって、以前はスムーズに行われていたことがそうじゃなかったりとか、私からすれば今変える必要があるとは思えないことを変更されたりすることとか、そういった、その人が来たことによって「自分が馴れ親しんだ風景」が(良くも悪くも強引に)変えられていくことが、かなしかったのかもしれない、と。

私は、環境の変化に弱い。私にとって、相当なストレス要因でもある。具体的な例で言うと、「引っ越し」が当てはまる。

「引っ越し」をすると、良くも悪くも住んでいた街の景色や自分の家の間取りなど、「普段自分が暮らしている風景」ががらりと変わる。

そのことが、私はものすごく苦手だ。引っ越し自体は、これまでに何度か経験はあるものの、何回やってもいまだに慣れない。生涯における引っ越しの回数は可能な限り減らしたいとすら思っている。

引っ越し後、新しい環境に馴染むのにもだいぶ時間がかかる。最低でも半年は必要だ。慣れるまでで言えば、おおよそ1~2年程度はかかっているかもしれない。

同じ理由で、「異動」もあまり得意ではない。私の所属する会社の場合、異動すると事業場が変わることも少なくないので、職場の環境、雰囲気、場合によっては業務内容が一気に変わる。そしてやっぱり、新しい職場に来てから慣れるまで、おおよそ1年くらいはかかる。

そう考えたとき、今回の環境の変化がかなしかった理由の一端が、すこしわかった気がした。

私は今の職場に来て、現時点でおおよそ1年ちょっとだ。環境への慣れ度合いで言えば、ようやく慣れてきたかな、というところ。
にもかかわらず、新しく来た人によって「これまで自分が馴れ親しんだ風景」が(多かれ少なかれ自分の力の及ばないところで)変えられてしまった。

そりゃあそうだ、と思わず納得してしまった。

ようやく慣れてきたのだ。これから少しずつ、新しいことに挑戦したりもできるかもしれない、と思った矢先。

(言い方はひどいが)これまで関わったこともない人に、いきなり「自分の馴れ親しんだ景色」を変えられてしまった。

「私はそんなこと望んでいない!」というのが、おそらく一番の本音だったのかもしれない。
「私の知っている、馴れ親しんだこの光景を、勝手に変えないでよ!」という心の声が聞こえてきた気がした。

たぶん、今回の変化が1年、2年後であれば、また話は違ったのかもしれないと思う。わからないけれど、その頃には今の環境にも十分慣れて、「変化」しても、ここまでの怒りとかなしみは抱かなかった可能性がある(また別の感情が生まれているかもしれないが、その時はそのときだ)。

不可抗力だし、私がそんなことを思う権利はないかもしれない。というか、ないだろう(ただのスタッフだし)。

ただ、私はかなしかったし、そのことに自分が気がついていなかった。
そのことが、今回の苛立ちをここまで根深くさせた要因の一端かもしれない、とは思う。

しかし我ながら、ここまで苛立たないと自分のかなしさに気がつかない、気がつけないのも、なんだかなぁ、と思う。
喜怒哀楽は顔に出るのに、自分の感情に自分で気がつけないって、いったい何なんだ、と思わなくもない。自分自身に対して、鈍すぎやしないか。

そのあたりのことは、また別の機会にでも考えてみようと思う。

とりあえず、今日はここまで。「かなしい」という感情が自分でも意外だったので、わかって少しすっきりした。

さて、お風呂に入って休もう。どうか、ゆっくり眠れますように。

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