見出し画像

インターンシップ通信Vol.5 期待通りの結果が出ない時の対処

こんにちは。スイスは今11時頃です。
今日は私も半休をいただいてますので、普段あまり気にはしていないが案外大事だなと思ったことを書き残しておこうと思います。

それは、思い通りの結果が出ない時の対処法です。

案外思い通りにならないことが半数。だけど、それはその時に必要なプロセスだったりします。理由はいろいろあると思います。ですが、思い通りにならないと人は多かれ少なかれ落ち込みます。

こう言う時は大抵、自分の中のイメージを更新する必要があるときに起こるのではないか、と考えています。

1.思い通りに行かない=イメージを書き換える時期

大抵人は、イメージを更新しないといけない時に転けます。人は得てして失敗をイメージしたり、成功のイメージが描けていない時に転けるからです。転けるたびに、思考を切り替え、イメージを書き換えることで人は成長します。イメージコントロールスキルを磨くことは、すなわちスキルを伸ばし、自分が望んだ結果を生み出す力を養うことに相当します。

うまくいくイメージができない時か、もしくはイメージ自体が自分が望んでいるイメージと相反する時、そのサインとして、<思い通りにいかない>現象を引き起こしています。つまり、イメージがうまくできていないということです。

原因は不明です。単に調査不足かもしれないし、単に知識不足かもしれない。いずれにせよ、成果が出ない原因の第一位はイメージがうまくできていない時です。

理論的に、失敗の数だけ実力が伸びるのは傾向として正しいとは思いますが、関心を向けていただきたいのはどちらかといえば失敗の数の方ではなくどれだけ行動イメージに修正反映できたかの密度です。

失敗を責めるのが意味ないのはそのためです。重要なのはあくまで「修正」であって「感情に刻む」ことではない。それでは相変わらず同じ結果を招いてスパイラルに陥る、スランプに陥ると言うことになります。修正をしないのでは、いくら反省したり感傷に浸ったところで無意味です。

だから、うまくいかなかったり、思い通りにいかないと感じたら、すぐさまにイメージを書き換える癖をつけていってください。その繰り返しで、自分の思う現実の描き方と自分の表現したい人生とのリンクが強まるからです。

2.イメージ=VISIONを描くのが先

イメージというのは、大小含めてビジネス界ではVISIONのことをいいます(小さな行動、例えばシュートを入れる、契約をとる、などのイメージの場合はどちらかといえば「シミュレーション」や「イメージトレーニング」ですが、それは巷にある書籍にたくさん書いてあるので割愛します)。

夢、VISION、目標、タスクは解像度が変わるだけで内容目的はずっと同じ。


例えば東大に合格したいというのは夢としては正しいのでしょうがVISIONとしては少し間違っています。VISIONにするならば東大理一か理二か、また駒場を終えた後で何をして過ごしたいのか、対して教養の期間に何をしておきたいのか、体験したいことを明瞭化しておくことです。銀行口座を渋谷で作るのも悪くありません。後輩に夢を与えたいというのは動機としては学べますが、まず最初に自分の満足を考えるべきです。


要するに夢を持つことは大変素晴らしいことですが、どんな行動結果もまずは明確なVISIONを描くのが先決です。

例えば、私がこれまで実践した例で、スイス移住(というより厳密には欧州圏への移住)という夢がありました。
欧州圏への移住という夢を持ったのは、今から15年前に遡ります。
初めてドイツ、イタリア、オランダの土地に足を踏み入れ、福祉レベルの高さと環境の豊かさに完全に心を奪われてしまったのを今も思い出します。

一方で欧州圏への移住に関するVISIONとしては、自分が将来結婚したり、子育てをしたりする上で、自分も欧州の大学に通いたかったので、大学に通いながら過ごしたいと思うオランダやザクセン州に住み、何年かに一回欧州内を移住するといったVISIONを描いていました。日本でも有名なライデン大学や、エディンバラにも興味がありました。

*VISIONというのはおおむね夢を具体的な構造で示したものだと思っておいてください。
EG) 夢> 空を自由に飛びたいな
 VISION>  空を自由に飛べる空間発生装置を作る

このVISIONが鮮明であればあるほど、日々の行動や活動にメリハリがついてきて、人生にも何か節目のようなものができるようです。

それは仕事に限らず、フランスに住みたいでもいいし、私なんかはセーヌ川沿いに「鴨川」という日本風のカフェをプロデュースするのが夢の一つです。というか、ヨーロッパ全土に渡って、自分のお店を持つことが、夢です。一方VISIONとしてはまだ未完全です。カフェなどは大概利益のでない業態なので、投資回収効率としては最悪です。なきにしもあらずなのは自分で持っている建物の中でグループ企業として設立する法人で運営するパターンならビジネス的な可能性は感じますが、そうでなければビジネスとしては構造がまだまだ曖昧です。

ですので、VISIONとしては「カフェ付きの商業物件を複数保有する不動産グループ企業」となるわけです。

もちろん、VISIONがなくても生きていけると思いますし、VISIONがないと生きられない、価値のない人生とも思いません。

ただ、一般的にみて、VISIONがないよりはあったほうが、割と進歩は早まり環境の変化に耐えやすくなるような傾向があると思います。それは、ブレないからだと思います。環境が変化すると戦略変更を迫られます。事業もスクラップして作り直したり、市場を変えたり商品の輪郭を切り直したりと大忙しです。しかし、売れる原因は実は市場はもちろん重要ですが、事業主本人の主体的な行動によってのみ生まれるので、最後はVISIONや、今回はあげませんがMISSIONなどがものを言います。


3.夢を具体化することがVISIONを持つ第一歩

私の場合、欧州圏へ移住してからは現地の大学に入り、ドイツ語が流暢になるというぼんやりとした夢はありましたが、ほんの9年前まではそれらを具体化できていなかったように振り返ります。

なぜ?を聞かれるなら自分の人生の幸福を願っているからとしか言いようがありませんが、大学に入りドイツ語が流暢になったところで何を実現するのかのVISIONは割と最近になって明確化されました。

私は、ドイツ語が流暢(最低C1以上)であり、スイスドイツ圏の大学で数学と天体物理学を専攻し、重力波研究と応用の第一人者になる。(AIに搭載することが、目標です)というPERSONAL VISIONを描いています。

ビジネス面では、民間の小型宇宙船の開発会社を設立し、航行システムで世界一のブランドを獲得することが私の夢です。

これは、私の個性なので、なんでそうするのと言われてもDesireにはこれといって理由がありません。夢というのは極めて衝動的なものです。誰にも説明はできないし、でも実現したら楽しいだろうし、未来が開けるイメージが立つ。

何より、これから400年近くは宇宙開発産業が第一位になることは言うまでもありませんしね。ビジネス的な将来性も全くいうことありませんから、面白いと思います。(得てしてそれがどうしてそれが成り立つのか、と考えることは非常に生産的)

VISIONとしては「世界最高のチームと共に作り上げる民間の宇宙航空機開発企業」を掲げたい。なぜVISIONには世界最高のチームと冠しているかというと、”世界一のブランド”だからです。世界一のブランド=信頼を得るには、世界最高のチームでなければ、成り立たないと思うからです。そのチームが世界最高のチームと言われる所以は、設計、開発企画、材料工学などうってつけの第一人者が携わり、科学界においても、産業界においても追いつくことのできないようなスペシャリスト集団であるからだ、とつづけるのがVISION STATEMENTとしては妥当です。

こうやって、具体化していけばしていくほどVISIONは強い想いと、インパクトを帯びていき、ついに夢の実現へと動き出します。

4.「なぜ」は多用し過ぎないに限る

ところで、「なぜそれをするんですか」、という合理化は、行動に移すにあたり毒にも薬にもなります。薬としての面は、モチベーションが落ちた時に矯正する際に用いることができるかもしれないという点。モチベーションの担保としては有効かもしれませんね。ですが、毒の面としては「なんでも理由がないと動けない人」になりかねないという点です。こういうケースは、自分のモチベーション源がどこにあるかわからなくなった人によくみられます。

Desireは辞書で調べると、"A strong feeling of wanting to something…"と続きます。つまりfeelingの問題なので、そこに理由をつけようと思うほうが無理があります。人間が全て合理化できるならば、おそらくその時すでに超小型のスパコンを搭載したAIロボットが世界を統一している頃でしょう。
人間の心理探求としては面白いですが、あまり生産性がないところに意識を向けないほうが、経験上はハイパフォーマンスだと思います。

科学界の人ならわかると思いますが、「なぜ」には限界があります。まず人間の脳の認識能力の限界があり、これはつまり物理的な次元の制約でもあります。太陽が丸いのは重力や引力の影響を受けているからと答えられますが、、なぜ重力や引力の影響で丸くなるのかと言われると数式を書くしかありません。そしてお察しのようになぜその数式で説明ができるのか、と聞かれても誰も答えられません。「数式がそれを示しているから」が限界です。

このように次元制約があるため、「なぜ」には元々限界があります。浅過ぎてももちろん困ることはありますが、Desireを説明するときは「なぜ」には限界があることを知った上で適度に使う必要があります。

なぜが有効なのは、<ツール>の選択に対して使うのが有効です。なぜそれを選んだのですか、という問いに対しては非常に有効に機能します。

EG) Q>なぜMacにしたのですか?
 A > ユーザビリティを優先したからです。

極めて鮮明な理由です。ですが、ユーザビリティを説明しろと言われても難しいです。プログラマや機械マニアならもしかしたらWin PCを選ぶかもしれない。誰にとっての何の時のためのユーザビリティなのかは一般に解釈が複雑化しやすいからです。

しかし、「なぜこれを学ぼうと思ったのですか」に対して「学びたいと思ったからです」は流石に思慮に欠けます。興味ないのか?と思われかねませんし、自分でもよくわからなくなってしまいます。「誰かに言われたから」では始める前から諦めているのと同じです。

これはどちらかといえばその人の思考力=地力の問題です。

例えば「なぜ計算科学を学ぼうと思ったのですか」に対して信頼されるナビゲーションシステムへのコアコンピタンシーになると考えているからです、というならまだわかる。あなたのモチベーション源は航行システムなのね、と(それが本心なら特に有用)。

何がどうつながってそう思いついたのかについては語れるところがあると思います。ただありのままを自然言語だけで説明するのは大変に苦労することが多い。

EG)なぜ宇宙に興味があるのですか

もしかしたら人によっては美しいと感じるからとか、未知の世界が広がっているからとかまぁ色々ありますが、なぜ美しいと感じるのですかと聞かれてもそれは困る。それはもうAIロボットの世界観です。情緒を失った世界ではありですが、情緒が残っているうちは、聞かなくていい。

このように人間心理や真理そのものを探求しようにも、限度があるわけです。興味があるなら、あなたはまず大学院で脳科学や内分泌などを研究すべきです。


5.まとめ


細かいことを言い出したら切りがありませんが、人間や現実は全てイメージでできています。

経営が悪化したときはなぜ悪化したかを考えるのももちろん大事ですが、それは新しくイメージを作り直したり、多くは夢が古く、新しい夢をみるべき時なのです。時に、年齢を理由にして諦める人を見かけますが、自分に蓋を閉めても可能性が広がることはありませんし、そこのメリットは1円もありません。

欧州なら85、86歳になっても大学に入学します。夢に年齢は関係ないですよ。それは夢を見失った人が何らかの適当な理由を探しているだけです。

日本でも、80歳、90歳になってもmac bookを持ち歩いて中央区のカフェでプログラミングをしているおじいちゃんおばあちゃんはいますよ。

年齢?それは100%思い込みです。

少なくとも脳は使っている限りは衰えないはずだし、肉体もいくらでも運動についてきます。精神的な問題を他人の理由に転嫁しないことです。そこから人生は何度でもスタートできる。


夢を諦めないことが、生きることなのだと思います。
夢を失うのは、死ぬのと同じです。
なぜ?

記憶は魂に宿るのであって、肉体はいずれは滅びるからです。

夢は個性の表現です。
夢がないなら、犬猫となんら変わりません。


26th Jan 2023










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?